2-4 緊張の四時間目

 時間の流れる速度はいつもと変わらないはずなのに四時間目はあっという間にやってきた。楽しみにしていると認めることは嫌だけど、気になっているのは本音。


 元々のり気でなかった私ですらそうなのだ。クラスは朝とは違う方向で浮足立っていた。

 三時間目の先生はあまりにも教室の空気が落ち着かないものだから、なにかあったのか? と首を傾げた。

 それに対してのりのよい男子が「百合先生がとっておきの話を聞かせてくれるんです」と元気よく答えたものだから、先生は目を丸くした。


 信じられないことを聞いたというような反応を見ると、百合先生を怖がっているのは生徒だけではないようだ。

 その恐怖心すらかき消してしまうのが好奇心。それを証明するように授業開始まで五分ほど時間があるにもかかわらずクラス全員着席済みだ。


 ひそひそと小さな声でささやきあう声がやけに響く。それほど教室は静かで、視線は先生が入ってくるドアに釘づけだ。

 事情を知らない人から見れば異様だろう。


 それでも教室の中は期待に満ちていた。教室内では目立たないように気配を殺している香奈ですら、身を乗り出すようにしてドアを見つめている。

 私も特にすることがないからドアの方に視線を向ける。百合先生が来る気配はない。

 

 時計を見れば、授業開始まで残り一分ほど。

 早めに来ればクラスメイト達に質問攻めにあうのを察して、ギリギリに来るのかもしれない。あの先生の態度を見るに十分ありえる。

 話を聞いたのは短い時間だったが、厄介ごとには極力関わりたがらない性格に見えた。


 なぜ噂の話などしたのだろうか。

 うっかり余計なところまでいってしまったのだとしても、ごまかす手段はあったように思う。怖いと有名な先生なのだ。あの強面で睨まれたらどれほど気になっても聞けなかっただろう。


 それを見越して先生たちは百合先生を代理によこしたのかもしれない。

 百合先生相手にバカな質問をする生徒はいないだろうし、恐怖心から騒ぐこともせず大人しくしているのではないかと。

 学校で生徒がケガをして入院したなんて話は広まってほしくないだろう。被害を極力減らすために、噂の発生源であるうちのクラスを黙らせようとしたのかもしれない。


 先生も考えたものだなと感心すると同時に、子どもの好奇心をなめていたなと同情する。

 同じ子供の私ですらここまでクラスメイトが興味を持つなど考えていなかったのだから、大人に察しろという方が難しい気もするが。


 そんなことを考えていると、時計の針が授業開始の時間をさした。同時に授業開始を告げるチャイムがなる。

 教室の中に「百合先生は?」という空気が流れた。私もその1人だ。


 もしかして来ない? そんな不安が広がる。

 逃げた? それとも何かあった? あの百合先生が?

 困惑交じりの様々な思考が教室内を包みこむ。それを肌で感じても私たちは待つことしかできない。

 教室に不穏な空気が満ちた。


 次の瞬間、その空気を打ち破るように

「授業はじめるぞ」

 教室のドアを勢いよく開ける百合先生の姿があった。

 チャイムが鳴り終わるのと同時だ。


 ピッタリすぎるタイミングにこの人の体内時計の正確さどうなってんだと私は驚いた。偶然にしては百合先生の様子に焦りはない。質問攻めにされないように本当にギリギリに入ってきたのだ。


「ほら、さっさと教科書開け。二十三ページだ」


 こちらの困惑に気づいているだろうに、一切視線を向けずに教科書を開き指示を出す百合先生。私を含めたクラスメイトは操り人形のように示されたページを開く。


「まずは前回の復習な。問題集の五ページ問三やってみろ」


 声を発する時間を与えずに次の指示がとび、教科書を開いた私たちはそのまま問題集を開き、問三に視線を向ける。


「制限時間は三分な。準備できたか? はいスタート」


 パンッと手をたたいた音に、私たちは慌てて問題にとりかかった。百合先生はいつの間にか用意したのか、ストップウォッチを取り出して時間を眺めている。


 前回の復習問題をときながら、私は密かに戦慄していた。声をかけるタイミングがまったくない。


 百合先生の空気に飲まれていつにない緊張感が教室を包む。百合先生だけは教卓に背を預け、自宅でくつろいでいるようなリラックスした様子でストップウォッチを見つめていた。

 その差が余計に私を混乱させた。おそらくクラスメイト達も同じような心境だろう。


「三、二、一、終了。はい答え合わせだ。後藤、答え」

「は、はい!」


 突然名指しされ、慌てた様子で後藤君が立ち上がる。うわずった後藤の答えに百合先生は「正解だ。よくできた」と小さく笑った。しかし元の顔が怖いので、笑顔ですら悪役にしかみえない。

 後藤君は顔を引きつらせて、「ありがとうございます!」と勢いよく頭を下げた。引きつった顔をごまかすためかもしれない。


 そのやり取りは学校というよりは軍隊。


「お前らも解けたか? 外れたやつがいたらも一回説明するが……問題ないみたいだな。じゃあ、今日の部分入るぞ。教科書二十三ページの……」


 教室内を見回して問題ないと確認すると、百合先生は教科書を開き、今日の授業内容の説明を始める。

 私たちは慌てて問題集から教科書へと視線を戻し、百合先生が示す部分に視線を向けた。

 

 クラスメイト達が百合先生に噂の真偽を聞きたげな視線を向けるが、次々に示される指示と解説に、いつの間にか噂の話よりも授業についていく方に必死になっている。

 ほかの事を考えているとあっという間に置いて行かれそうなのだ。聞いていなかったと答えたら怒鳴られることは間違いない。そんな緊張感のなか、クラスメイト全員が一言も聞き漏らさないように百合先生の解説に耳を傾ける。


 ちらりと百合先生を見ると、教室内に視線を向けながら満足げにニヤリと笑っていた。その姿は完全に悪い大人だったが、不思議と最初のように怖い印象は受けなかった。

 

 百合先生はよい先生だ。

 最初疑ったのが嘘みたいに私は確信し、授業に集中することにした。


「お前らそんなに噂のこと気になるのか」


 百合先生が噂の件を口にしたのは、授業の半分をすぎたあたりだった。

 

 本日不在の担任教師には悪いが、百合先生の解説はわかりやすいうえにテンポがよい。生徒の様子をよく観察しているようで、説明を理解していないと気づけば丁寧に教えてくれ、分かっていると判断すればどんどん次へ進む。

 

 担任の先生であれば一時間かけて教えたであろう問題を半分ほどで解説し終え、一区切りついたところでこの発言。最初から計算してテンポを速めにしていたのかもしれない。


 集中したために理解はできたが、テンポの速さと緊張による疲れが出てきたクラスメイト達は、その声で途端に元気を取り戻した。

 現金なものだなと私は呆れる。

 百合先生はその反応を予想していたようで――というか休憩をかねてわざと言ったのかもしれない――ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。


「気になります! 教えてくれるんですよね百合先生!」


 一人の男子がそういうと、ほかのクラスメイト達も口々に声をあげた。大変わかりやすい反応に呆れてしまう。


「お前らがそんなにオカルト興味あるとはな。非現実的とか言うもんじゃねえのか」


 あまりの食いつきように、ちょっと引いた様子で百合先生は眉を寄せた。

 その意見には私も同意したい。最近の子供は夢がない、冷めていると聞くが、うちのクラスメイトに限っては夢を持った子しかいのかもしれない。

 どんな比率だ。


「他のクラスだとそういうやつもいるけど、俺たちの場合全く関係ないわけじゃないし……」


 一番最初に声を上げた男子が、今日休んでいる生徒の席へ視線を向け、小さな声でつぶやいた。

 百合先生もその席へと視線を向けつつ、確かにそうだなと同意する。


 ほかのクラスの生徒にとってはあくまで噂。しかし、うちのクラスには被害にあった生徒がいる。嘘と片づけるには、入院したという事実は大きすぎた。


 たしかに入院した生徒は大げさに話を盛る傾向はあった。それでも全てが作り話ということはなかった。実際にあった出来事を聞いた者が楽しめるよう大げさに、面白おかしく脚色するのが得意なエンターテイナー。だからこそクラスの輪の中心だったのだ。


 そんな彼が被害にあった。そして一部のクラスメイトは電話で直接彼からの話を聞いたという。

 それは彼を知らない子はともかく、知っている子たちを信じさせるには十分だった。


「それに、座らずの席の話もあるし」

「座らずの席?」


 声を上げた男子生徒に同調するようにつぶやかれた言葉に、百合先生は眉を寄せた。

 その話は初耳だったらしい。


「なんだそれ?」

「百合先生知らないんですか? 入院している川島の席ともう一つ空席があるじゃないですか」


 そういって入学式から誰も座らない席を示した。


「あの席、入学式からずっと空席なので、座らずの席って言われてるんです」

「噂だと入学式前に死んじゃったとか、大病で入院してるとか」

「川島の前に女の子にあって、女の子の世界に引きずり込まれたとか。いろんな噂があるんですよ」


 口々に語られる噂話に百合先生の眉間はだんだん深くなった。

 その反応に私は少し違和感を覚える。

 今までの余裕が、少しではあるが剥がれ落ちたように見えた。


「……そういえば一年二組だったな…」


 ぼそりとつぶやかれた言葉に、私を含めてクラスメイト全員が首を傾げた。

 たしかにここは一年二組だ。それを先生が知らないはずはない。代理で来るときに確認しているはずだ。


「先生どうかしましたか?」

「なんでもない。とりあえず座らずの席に関してはほっとけ。俺も詳しくは知らないが、大したことじゃないだろ」


 すぐにいつもの調子を取り戻した百合先生は、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。


「それよりも、噂の話もっと聞きたいんだろ?」


 その言葉にクラスメイト達が一様に目を輝かせる。ちらりと香奈の方を見ると、大きな目を零れ落ちそうなほどに見開いて、その瞳の輝きは光線でも出そうなほどだった。

 そんなに期待してたのかと私は呆れつつも違和感が頭から離れない。

 百合先生、今わざと話題を変えなかった?


「じゃあ、答えてやるよ。何から聞きたいんだ」


 浮かんだ疑問をかき消すように歓声が上がる。先ほどまで静かに授業を受けていたとは思えない盛り上がりように、隣のクラスは驚いているだろうなと思った。


 百合先生は満足げにクラスメイト達の反応を見ている。先程と変わらない態度に見えるけど、どこかに話をそらせたことに満足しているようにも見えて、もやもやが大きくなった。

 この流れから座らずの席の話に戻せるはずもない。そんなことをしたらブーイングを食らうのは私だ。


 それを見越してわざとか?


 そんな疑問すら浮かんできたが、答えは出なかった。答えを出すほど私は佐藤百合という教師の事を知らない。


「先生、あの噂って本当なんですか」


 私の考える余地を奪うように、クラスメイトが元気いっぱい声を上げる。

 百合先生はそれにどう答えたものかとしばし悩んでから、


「本当かどうかは個々の判断に任せるとして、この山に昔から伝わる話を教えてやる」


 人一人殺していそうな笑みを浮かべた。

 その表情一つで、教室中の空気が一瞬で張り詰めたものに変わる。

 私はこの先生から怖い話を聞くことだけは嫌だなと、冷や汗が止まらない体をさすりながら思った。


「狐の祠の話だ」


 祠という単語にクラスメイト達が再びざわめく。噂では女の子はこう聞いて回っているのだ「祠を壊したのはあなたですか?」と。


「信じるか信じないかはお前ら次第。だがな、信じなくてもこれだけは約束しろ。噂の子供に会おうとするな。今の祠には必要以上に近づくな。そして狐を貶すことはするな」


 一人一人と目を合わせるようにして百合先生は淡々と語る。その顔は真剣で、目があうだけで体が震えるほどだ。


「約束するなら話してやる。ここにはな、狐の神様が眠っている」

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