2-3 強面数学教師
主に三年生担当の数学兼生徒指導の教師、百合先生。名前はたいそう可愛らしいこの教師は怒らせてはいけない人物として、関わることがほとんどない一年生の中でも有名だった。入学して一ヶ月で、あっという間に話が広がったのだから相当なものだ。
名前には似つかわしくない強面と、厳しい指導に先生とは思えない口と態度の悪さ。それだけ聞いたらなぜ教師なのかと疑問がわくが、怒らせるようなことをしなければ授業はわかりやすいし、進路のことや悩み相談など、意外と親身に聞いてくるらしい。本人を目の前にすると嘘だろ。と言いたくなるほど怖いので事の真相は不明だが。
「主に3年を担当しているから、俺の顔を知らないやつもいるだろう。自己紹介する。数学を教えるのと、やんちゃした生徒にお灸をすえるのが仕事の佐藤百合だ。よろしくな」
よろしくしたくない迫力ある挨拶をされ、私含めてクラスメイト全員が壊れたおもちゃみたいに大きく首を上下させた。
うちの学校は私立だし、自由な校風を売りにしているわりに不良が少ないのは、この先生の存在が大きいのだと理解した。こんな先生いたらやんちゃする気になんかならない。
「それでだ、普段3年担当の俺がなんでわざわざこの教室きたかっていうと、お前らの担任の先生が今病院にいってるからだ」
病院という言葉で教室がざわめいた。一瞬百合先生への恐怖より好奇心が勝ったのだ。それもすぐに百合先生のにらみつけるで敗北したが。
「その様子だと事情は分かってるみたいだな。入院してるやつが相当なおしゃべりらしいし、予想はしてたが……」
そこで百合先生は言葉を区切った。それから迫力満点の笑みをうかべておっしゃった。
「お前ら面白いからって首突っ込むようなことすんなよ」
本当に怖いと、人は呼吸を忘れるのだと知りたくもないことを知った。
私が直接睨み付けられているわけじゃないのに体が動かない。視界にうつるクラスメイトが青い顔をしているのを見て、自分も同じような顔をしているのだろうと思った。
「で……でも先生。俺たちが首を突っ込まなくても向こうから来るんですよ」
勇敢というべきか無謀というべきか、男子の1人が反論する。声が震えているのを見ると、相当な勇気を振り絞ったのだろう。すごいな君。まだクラスメイト全員の顔と名前が一致してないけど、後でちゃんと覚えよう。
「放課後1人で学校に残るようなことしなきゃいいだろ。今回被害にあったやつも、わざわざ会うために放課後残ってたんだ。そういう余計な事しねえ限り遭遇することはねえよ」
腕を組んで退屈そうに答える百合先生を見て私は驚いた。
この先生ちゃんと噂について把握しているらしい。担当が数学だしこういう話は「アホらしい」の一言で片づける印象だったから意外だ。
「百合先生……女の子の噂知ってんの?」
私と同じように思った人がいたらしい。質問というよりは疑問がぽろりと口から出たといった様子だが、確かに声は教室全体に響いた。
当然百合先生にも聞こえたらしく「しくじった」という顔をした。知らぬ存ぜぬで通した方が色々と都合がよかったのだろう。実際、百合先生が今回の件について知っていると分かった瞬間、クラスメイト達の目の色が変わった。
「先生! 1人じゃなければ問題ないってなんでいえるの」
「あの噂って本当なんですか」
「女の子っていったい」
「祠が関係あるって話だけど本当?」
恐怖より好奇心が勝ったらしく、口々に飛び出す質問に、先生はあからさまに嫌そうな顔をする。それでもクラスメイト達の勢いは止まらない。
普段だったら体験できないような非日常というものが与える現実味のなさや未知への好奇心。それが常識的な判断を鈍らせているように見えた。斜め後ろに座っている香奈を見れば、質問まではしないものの席に戻るときの涙目はどこにいったのか、期待のこもった視線を百合先生に向けている。
怖いものには近づかない、視界に入れない(オカルトはのぞく)がモットーの香奈とは思えない反応を見れば、クラス全体の妙な勢いも理解できた。
恐ろしいな非日常。こんなに皆珍しい現象に飢えているのか。それともうちのクラスがアホなのか。
生徒たちの期待を一身に背負った百合先生は、相変わらず嫌そうな顔でこちらを見つめていた。普段だったらひるむだろう強面でも、全くひるまないクラスメイト達の熱意に諦めたのか、
「今日の数学の授業も俺が担当することになったから、それまで待て。じゃあ出席とるぞ」
問題を先送るにする選択をしたらしい。
私はその意外な反応に目を丸くした。てっきり無理やりクラスメイトたちを黙らせると思っていた。しかも話すことがある様子。もしかして、本当になにか知っているのだろうか。
そのあとはクラスメイト達がなにを聞いても、百合先生は聞こえていません。という態度を貫いた。
出席を取り、注意事項を軽く話して何事もなかったかのようにさっさとクラスから出ていく。その姿には一切の迷いがなかった。
顔の怖さも鬼だがスルースキルも鬼。
百合先生が教室を出て言った瞬間、教室の中が再び騒がしくなる。
「百合先生待てって言ったけど、教えてくれんのかな」
次の授業の準備をしていると興奮を隠しきれない弾んだ声が耳に入った。私以外も耳をすましているらしく、教室が一瞬静まり返る。
「きっと教えてくれるって。先輩が百合先生はこえぇけど約束は絶対守ってくれるっていってたし」
明るく答えるクラスメイトの声を聞きながら、意外と律儀なのだなと私は驚いた。
だがあれは約束に入るのか。
一連の流れを思い出して首をかしげる。待て。とはいったが教える。とは言っていない気がする。果たして本当に教えてくれるのか……。
次の授業の準備を終えた私は、今日の予定表を机から引っ張りだした。
数学は4時間目。昼休み前といったら多少時間が食い込んでも許される。それを見越したうえであの言葉をいったのなら、期待してもいいのだろうか。
クラスメイトたちほどではないが、私も浮かれているようだ。それに気づいて人知れず眉を寄せた。
ダメだ。非日常というペースに巻き込まれては。このままでは自然と首を突っ込む流れになってしまう。
『あんまり首突っ込むと君たちも祟られちゃうよ』
昨日の少年の言葉が頭の中に響いて私は頭を振った。言われなくても分かっている。首を突っ込むつもりはない。
その気持ちは変わっていないのに、先ほどから感じる香奈の熱い視線に、だんだん自信がなくなっているのも事実だった。
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