2-2 広がる噂

 意識の外に追いやっていたクラスメイトの会話から「病院」「ケガ」「入院」という単語が耳に入る。それを和気あいあいと話しているクラスメイトに腹が立ってくる。

 それはそんな楽し気に話す内容ではないだろ。

 私の機嫌が急降下したことに気づいた香奈は慌てて次の言葉を口にした。


「ケガっていっても大したことないって。頭も打ったから一応検査入院ってことになっただけで」

「だとしても、楽しく噂する内容ではないでしょ」


 吐き捨てるようにいうと香奈は「そうだよね……」と肩を落とした。少しでもオカルトだと思って、喜んでしまった自分を恥じているのかもしれない。


「ケガの原因は例の女の子なの?」

「話を聞く限りはそう。ケガした子、噂を知ってたみたいで、女の子に会ったとき冗談で言っちゃったんだって。祠を壊したのは自分だって」

「アホなことしたね……」


 私はため息をついた。

 高校生にもなってガキみたいなことをするからだ。というには、結果が入院ではわりにあわない。検査入院とはいえそれは結果であって、最悪な事態になっていた可能性もある。


「それで怒った女の子にケガさせられたの?」

「正確にいうと、怒った女の子が怖かったから逃げ出したところ転んでケガしたんだって」


 なんとも間抜けな話に私は言葉をなくした。香奈も私の反応を見て、アハハと乾いた笑みを浮かべている。


「その話はどこから広まったわけ」

「本人が友達にいったらしいよ。その話を友達がその友達にって、夜の間にあっという間に広まっちゃったみたい」


 自分の醜態を面白おかしく周りに広めるとは……。今入院していることを考えれば病院のベッドでだ。本物のアホに違いない。


 一瞬でも同情したことを後悔した。盛り上がるクラスメイトの様子にも納得がいく。入院した本人がその調子じゃ、暗い雰囲気になるはずもない。本人が騒いでくれとふれ回っているのだから。


 私はあらためて噂話に花を咲かせるクラスメイト達をみた。

 ふだんとは違う非日常の話題を目を輝かせて話している。電話で詳しく聞いたんだけど。とか、女の子に心当たりがある。とか、事実と嘘と推測か混ざり合っていく。それを私は冷めた気持ちで聞いた。


 本当にお前らは高校生か。話の盛り上がり方が小学生だぞ。

 呆れてはいたが怒鳴り散らす気にならないのは、その熱気がどこか嘘くさかったからだ。

 退屈な日常に紛れ込んだ非日常に興奮しているのは分かる。その裏に不安と恐怖も見え隠れしていた。

 いくら本人が面白おかしく語ったところで、入院している事実は変わらない。入院の原因になった存在がいるのも確かだ。男子のいっそわざとらしく思えるバカ騒ぎに比べて、女子は不安を隠しきれなかったのか顔を寄せ合い小声で話している。


 今回の時間で噂を知った子も多いだろうが、その前から知っていた子だっているだろう。そういう子たちからすれば、今回の件はただの噂が現実味をおびたということだ。


 この騒ぎはすぐには収まらない。今回の件は関わらないと私は固く誓っているが、香奈が首を突っ込みたがるのは目に見えている。目の前で自分が好きなジャンルの話を永遠と聞かされて興味を持つなというのは無理な話だ。


 どうにか気持ちをそらせないかと、早くも落ち着かない様子の香奈を見て考える。

 祠と女の子の話よりもインパクトのある話題で香奈の気を引くのが一番だが、それが思いつかない。普通の雑談をしたところで「それより」と話を変えられるのは目に見えている。


 どうしよう。

 悩む私の意識を中断させたのは予想外の音だった。


「お前らうるせえんだよ。幼稚園児じゃねえんだから、時計見て自主的に着席しろ」


 ガンッと勢いよく開いたドアと大きな音に、私含めクラスメイト全員がびくりと肩を揺らした。そのまま視線をドアに移すと見慣れない教師が立っている。

 私たちの担任の小柄なやさしい女性教師ではない。身長も高く体格もごつい男性教師だ。それだけでも怖いのに、こちらをにらみつけるのは鬼の形相といっても言い過ぎじゃないくらいの迫力。


 一瞬静まり返った教室は次の瞬間、慌てて席に移動する生徒たちで騒がしくなった。

 香奈は泣きそうになりながら逃げるように席に着き、もともと席についていた私はどこか唖然とその様子を見守った。


 全員が席に着くと、今までの騒ぎが嘘だったかのように静まり返る。いつもだらしなく座っている生徒すら、背筋が伸ばし、緊張した面持ちで扉の前に仁王立ちしている教師を見つめていた。そういう私も自然と背筋が伸びているのだから、人の事は笑えない。


 教師はただ私たちを無言でにらみつけている。それだけで教室内を緊張が包む。誰もなにも言わない。身じろぎもしない。そんな状況が1分ほど続いた。

 まるで私達に恐怖が浸透するのを待っているような間だった。


「できるなら最初からやれ。手間かけさせんじゃねえよ」


 私達をじっくり観察したあと、教師は吐き捨てるようにそういって教室の中に入ってきた。手間もなにもあなたは扉の前でこちらをにらんでいただけでしょ。とは口が避けても言えない雰囲気だ。


「なんで百合先生が……」


 教卓にたった教師を見て、クラスメイトの一人が勇敢にも声を発した。

 その言葉で私は目の前の教師が誰であるか気づいた。正確にいうと噂で聞いていただけなので、気付いたというよりは情報と合致した。


 私と同じように噂だけは聞いていたらしいクラスメイト達は「ああ、あの噂の」という納得した顔をする。全く知らない謎の怖い人よりは、噂で少しは知っている怖い人の方がまだ受け入れやすいらしい。少しだけ教室の空気が霧散した。


「知ってるなら話は早えな」


 のだが、にやりと笑う百合先生の顔が迫力ありすぎて、緩みかけた空気がそのまま凍りつく。

 本当にこの人教師なのかと私を含め大多数が思っているだろうが、正真正銘教師なのだ。

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