二話 狐の話と数学教師

2-1 そらせない話題

「何者なんだろ……」

 少年が姿を消した方向を見つめて香奈は神妙な顔をした。


「それっぽいこと言ってるだけで、一切関係ないかもよ」


 具体的なことはいってなかったし、こちらをからかって遊んだだけかもしれない。つまり私はいいように扱われたわけだ。そう思ったら余計腹が立ってきた。


「そうかな……なにか関係あると思うんだけど。小説とかでも序盤に出てきたキャラが後半重要な役割だったりするじゃない?」

「小説の読みすぎでしょ」


 目を輝かせて話す香奈にあきれる。それはあくまで空想の世界の話で、これは現実だ。そんな都合のいい展開になるはずもない。


「もう帰ろう。祠も見たし満足したでしょ」

「もう帰るの……」

「もう帰るのって、これ以上なにをするつもりなの」


 考えでもあるのかと思えば香奈は目を大きく見開き、それから空を見上げて最終的にアハハと乾いた笑みを浮かべた。なにも考えていなかったらしい。


「はい、なにもないなら終わり。帰るよ」

 これ以上付き合っていると駄々をこねられそうなので、香奈の返事を待たずに歩き出す。


「ちょっと七海ちゃん待ってよ! 今考えるから!」

「考えなくていい」


 余計なことを思いつかれても困るので歩くスピードを速めた。

 香奈は小柄な体型とマイペースな性格からか歩く速度がゆっくりだ。私は逆に背も高くて速足だから、香奈と歩くときは意識的にゆっくり歩いている。それをあえて早くしているので、香奈は小走りじゃないと追いつけない。


「ちょっと待って! おいてかないで!」


 予想通り香奈の焦った声が聞こえてきた。それでも私は速度を緩めない。こんなところさっさと出ていきたかったし、これ以上この件に関わりたくなかった。


 少年に忠告されたからではない。断じてない。

 ただ、嫌な予感がするのだ。


 振り返れば草木の隙間から祠が見えた。遠目だと壊されたこともわからず、ただ月日で風化した赤色だけが目に入る。それだけなのに私は体が凍り付くような気がした。


 祠が恨めし気にこちらをにらみつけているように見えたのだ。


 祠に目があるわけがなく、生き物ですらないのだからありえない。それなのに、なにかがじっとこちらを見つめているような気がする。

 私はその感覚を振り払うために、さらに足を速めた。


「まってって、七海ちゃん!」


 後ろから追ってくる香奈の声に少しだけ安心したのは秘密だ。



※※※



 噂の検証はこれでおしまい。

 香奈は不満そうだったが祠は確認した。これ以上することはない。そう強引に説き伏せて解散したのが昨日。

 数日は香奈の構ってという視線がうるさいだろうが、それも時間が解決してくれる。そう私は軽く考えていた。


 それが甘い考えだったと気づいたのは次の日の朝。なぜか早めに登校した香奈とは違い、いつもどおりの時間に私は教室のドアを開けた。

 そこで私が目にしたのは、和気あいあいと例の噂話を語るクラスメイトたちの姿だった。


「なにこれ……」


 ドアの前に立ち尽くしていると嫌でも耳に入ってくる「着物の女の子」「祠」「祟り」という単語。

 まてまて、君たち昨日の今日でなにがあった。と私は頭痛をこらえながら自分の席へと移動した。


 これでは時間経過でごまかすという私の作戦が通用しない。いくら私が香奈の話を無視しようと周囲が香奈の興味を煽り続けるのだから意味がない。


 聞こえないふりをしようにもクラス中がその話題で盛り上がっているらしく、席に着くまでの短い間に何度も同じ単語を耳にした。

 なんでそんなに盛り上がってるんだ。おまら高校生だろ。


 心の中で悪態をついたところで状況は変わらない。だからといって口に出せば私が悪者になりかねない。

 私にできる対抗策としては知らないふりを続けることだが、それにも限界がある。一昨日の私だったら「なにそれ」で片づけることができたが、今の私は知っている。


 壊された祠。嫌な予感。そこで出会った謎の少年……。


「香奈ちゃんおはよう。なんだかすごいことになってるね」


 興奮を隠しきれない様子で香奈が足早に近づいてきた。目が輝いているのを見ると、私と違って上機嫌なようだ。


「なにがあったの……」


 無視したいところだが、無視し続けても心労がたまると理解してしまった。意地になるよりも原因を把握した方が対応しやすい。


「昨日また着物姿の女の子が出たんだって」


 内緒話をするように、小声で香奈は耳打ちする。香奈のもったいぶった言い方に対して、私はがっかりした。


「今までだって出てたんだから今更でしょ」


 大騒ぎするクラスメイトたちを見て呆れる。目撃情報が一つ追加されたぐらいで、なんでこんな騒ぎになってしまったのか。


「女の子が出るのは今までもあったけど、今回は事情が違うんだよ」


 香奈はそこで言葉を区切り視線をそらした。さっきの楽しそうな様子とは違い、複雑な感情を持てあましているようだ。

 先を話してという意思を込めてじっと見つめると香奈はゆっくりと口を開いた。


「うちのクラスの子が、女の子と遭遇したみたいなの」


 香奈はそういうと視線を動かす。その視線を追うと空席になっている席が目についた。座らずの席ではない。昨日まで普通にクラスメイトが座っていた席だ。

 席の主はあまり話したことはないが、お調子者の騒がしい男子だったと記憶している。


「その子はどうしたの」


 もうすぐホームルームが始まる時間だというのに、空席という状況に嫌な予感がする。席の主は率先して騒ぐタイプだ。前々から噂になっている事件に巻き込まれたとなったら、自ら事件のあらましを大げさに説明してくれるだろう。

 そんな彼がいない。嫌な予感がして香奈を見ると、香奈は先ほどの明るい表情とは真逆の暗い顔をしていた。


「ケガして今、病院にいるんだって」


 その言葉に、一瞬時間が止まったような気がした。

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