6-4 正反対な兄弟

「な、なんで羽澤響がここに?」


 彰が呆けた顔で呟いた。彰から「お父さん」という可愛らしい単語が出るとは思っていなかったが、実の父親をフルネーム呼びはどうなんだろう。血の繋がった父親という実感が薄いのかもと考えた私は自分の考えにダメージを負った。


「私が呼びました」


 片手を上げながらそういうと彰と千鳥屋先輩の視線が突き刺さる。二人ほどではないが事前に話を聞いていなかった小野先輩からも説明してほしいという圧を感じた。


「センジュカを攻略するには所属している組織から攻めたらいいってト……リンさんから聞いたときにひらめいて」


 トキアという名前が出そうになったがなんとか軌道修正。千鳥屋先輩と小野先輩にはバレたかもしれないが彰は不自然な間よりも話の続きが気になったようだ。私の手を力いっぱい握って話の先をうながす。ちょっと力入れすぎじゃない? 私の腕折れない?


「深里が羽澤の名を利用して好き勝手やってることを羽澤家現当主である羽澤響さんは知らないんじゃないかなと」

「……知ってたら響様の性格からして止めるわね」


 千鳥屋先輩のつぶやきに私は頷く。話に聞く響さんの性格は彰の父親とは思えないほど善良だ。となればいきなりやってきて学校を廃校にしたり、山を更地にするような強硬手段を取るとは思えない。つまり深里の行動は独断。


「深里にいくら信者がいて協力してくれたとしても山一つ更地にする大規模な計画を当主の許可なく出来るとは思えない」


 深里は個人ではなく羽澤という家名を使って周囲の信頼を集めた。つまり問題が発生すれば現当主である羽澤響の責任になる。深里のことだから自分は好き勝手にし響さんに面倒事は全部押し付けようとでも考えていたのだろう。事情を知らない響さんが突然現れた問題に慌てふためくことも踏まえて深里の嫌がらせだったのかもしれない。


「だから特視の皆さんに羽澤家現当主に現状を伝えてほしいってお願いしたの」

「七海ちゃんがそんなこと考えてたなんて知らなかったから私もびっくりしたよ」


 現場にいた香奈が当時を思い出した様子で苦笑する。連絡がとれるかわからなかったため、香奈にも伝えていなかったのだ。期待させて出来なかったら悪いし。


「じゃあ何で、今日まで僕には教えてくれなかったの」

「いだだだだ!」


 彰が目を吊り上げて私の腕を掴む。さっきまでのとっさに力が入っちゃったという可愛いものではなく、本気で力を込めてきている。青あざになったらどうしてくれる。


「彰くん、お父さんが来るって聞いて平然としてられたの!」


 悲鳴混じりに私が叫ぶと彰は眉を寄せて手を離した。それが答えだ。ただでさえこちら側のカードは少ない。少ない手数を有効活用するためには深里に悟らせず、準備をさせないことが肝心だ。彰が若干挙動不審になったからといって響さん登場に繋がるとは思えないが、念には念。いきなり実の父親が現れた時の彰のリアクションが気になったわけではない。


 ギロリと彰に睨まれて、私は慌てて目をそらした。お狐様のように心が読めるわけではないはずなのにこの勘の良さはなんだろう。


「つまり、どういうことだ」


 一通り場が収まるのを待っていてくれたのかお狐様が腕組みをして私達を見回す。深里は次の手を考えているのか微動だにせず、センジュカは「あらあら」とつぶやきながら頬に手をあて、成り行きを見守っている。深里が不利な状況だというのにあまりにも他人事だ。


 ぐるりと周囲を見回した響さんはお狐様と子狐様に目を止めると二人の元へと歩み寄りその場に膝をついた。


「事情は特視の方々から伺っております。うちから契約を持ちかけたというのに大変申し訳ありません。忘れていましたでは許されないことです」

「ほー。お前はなかなか話がわかる人間のようだ」


 お狐様の機嫌が上向いたのがわかった。深里に対するものと明らかに違う、好印象の反応に深里が眉を吊り上げるのが見えた。

 

 深里と響さんの雰囲気は正反対。深里は見ているだけで不安になるような存在だが響さんは見ているとなんだか安心する。話すだけで周囲の空気が清らかになるような錯覚すら感じる。子狐様も初対面とは思えないほど安心した顔で響さんを見ているから持って生まれた気質がそうなのだろう。


 となるとリンさんはこの清らかな空気に負けたのだ。彰、リンさん、クティさんといい邪悪な奴らは純粋無垢な香奈に弱い。香奈以上に空気が澄み切っている響さんをリンさんが気に入ったのも頷ける。

 同時に、リンさんが深里を気に入らなかった理由も分かってしまい、鬼の形相で響さんを睨みつける深里に若干同情してしまった。


「勝手な言い分だとは思いますが、羽澤現当主である私にもう一度機会をくださらないでしょうか? お狐様が幼い子どもの声が絶えない場所を求めていることは聞き及んでいます。お狐様の希望を私が全力を持って叶えると約束します。約束を違えましたら私の体でも命でも捧げましょう」

「おい、まて響!」


 斜め後ろで黙って話を聞いていた男性が慌てた声を出した。双月も目を見開いて響さんを凝視している。私達も響さんの予想外の発言に固まっていた。


「命も張らずに神に納得いただけると思うほど私は浅はかではない」


 視線だけ振り返った響さんはその一言で男性を黙らせた。荒げたわけでもないのによく響く。そして本気だと悟るには十分な気迫があった。


「なるほど。あの悪魔が気に入っているというのは本当のようだ。数百年、いや千年に一度会えるかどうかの大変貴重な魂を持っている。きっとお前を食べたら私は強くなれるのだろうな」

「私はまだ生きてやりたいことがありますので、契約を違えた時だけでお願いします」


 響さんが困った顔をするとお狐様は上機嫌に笑った。嘘みたいにトントン拍子で進む商談に私たちは顔を見合わせる。今まで苦労したのはなんだったのか。最初から羽澤響連れてくれば良かったじゃないかとどこかで見ているだろうリンさんとトキアに文句を言いたい。こんな切り札があると知っておいて教えてくれないなんて酷い奴らだ。


「では、改めて契約しようか。違えた時は今度こそ許さない。お前ら一族を根絶やしにしてやるからな」


 冗談めかしてお狐様は笑うが開いた口から見えた人間にはありえない鋭い牙に私はゾッとした。軽い口調で言っているが本気だ。今度こそ絶対に許さないぞという脅しである。

 それを真正面から受け止めた響さんはなんと微笑む余裕があった。千年に一度の逸材と神様に言われるだけのことはある。


 これで一件落着かと私は息を吐いた。最後はあっさり過ぎて肩透かしを食らった気分だが平和に解決出来るならその方が良いに決まっている。

 一週間よく頑張ったと自分を褒めていたところで、和やかな空気を邪魔するような低い声が鼓膜を震わせる。


「響、お前の両側にいるのはだな?」


 御膳というこの場にそぐわぬ言葉に肩を震わせたのは響さんと双月、二人と一緒に現れた男性だった。

 お狐様と子狐様も聞き覚えのない言葉だったのか眉を寄せる。センジュカは愉快そうな顔で深里を見つめていた。


「あの日、リン様に捧げられた御膳のはずだ。清水晃生しみず こうきに羽澤咲月さつき。いや、羽澤イツキが本名だったか」

「兄上、一体何の話をしているのですか。こちらは特視所属の緒方雄介おがた ゆうすけさんと双月さんですよ」


 余裕だった響さんの表情が引きつっている。深里に比べると表情を取り繕うのが苦手なようで焦っているのがバレバレだった。

 双月が警戒した様子で響さんと深里の間に入る。緒方という男性は深里から響さんを隠すような位置に移動した。


「なんの話だと、笑わせる。お前たちは知っていたんだろ。羽澤がどういう家か。知っていて私には教えなかった。なあ、そうだろセンジュカ!」

「その通りです」


 楽しげに答えるセンジュカを深里は睨みつけた。


「お前も私に教えなかったな」

「当たり前でしょう。すべてを教えるにはあなたは危険すぎますもの。それにあなたは教わらなくても気づいてしまう。私達側からすれば大変厄介な人間。いえ、人間でしたね」


 深里が舌打ちする。場違いなほど穏やかな表情と口調を崩さなかったというのに、今は表情の取り繕い方を忘れたように溢れ出る怒りに身を任せていた。


「リン様、どこかで聞いているのでしょう? なんで私がここにたどり着いたのか、あなたはきっと不思議に思っていたことでしょう」


 深里は空に向かって声を張る。この場の誰でもなく、姿の見えないリンさんに対して。絶対にいると確信した様子で。両手を広げてクルクルと回りながら目を見開き、口角を上げ、楽しくてたまらないという顔で空に向かって叫び続ける。


「切っ掛けは御膳祭でした! 羽澤イツキが鬼に変わった、あの瞬間でした!」


 声を上げて笑う深里の姿はその場にいる全員を黙らせるには十分だった。

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