6-3 奥の手

「お前たちが子狐が起きてから私たちの信仰が戻るように尽力してくれていたというのは今日までの様子を見てよく分かった」

「じゃあ!」


 思ったよりも交渉が上手くいきそうな気配に私は前のめりになる。後ろの香奈たちからも喜色の感情が伝わってきた。

 しかしお狐様は厳しい顔で開いていたセンスを音を立てて閉じた。


「だが、それはお前たちだからこその出来たこと。お前たちだからこの数の人間が集まった。今日ここに集まった人間は私たちを、神を信仰しているわけではない。お前たち人間の子供の願いを叶えに集まったのだろう」


 鋭い指摘に私はなにも言い返すことが出来なかった。視界の端で深里が笑みを深めている。センジュカはどうでも良さそうな顔で私とお狐様のやり取りを眺めていた。


「高校というものは三年らしいな。つまりお前たちは三年後にはここを出て行く。三年後、私たちを神として崇めるものはいなくなる」

「母上様、そんなことは!」

「ないとなぜ言い切れる。私たちはすでに一度忘れられている!」


 お狐様の咆哮に子狐様は言葉を飲み込む。


「お狐様、私たち商店街の者たちはずっとお狐様のことを信仰すると誓います」

「そうです。子狐様の祠だって作る予定です!」

「そういうお前らはいつまでこの地にいるんだ? 今の時代、人間の子供は都会とやらに出て行くものなんだろう?」


 お狐様の指摘に小野先輩と千鳥屋先輩が黙り込んだ。千鳥屋先輩の実家はここではないし、小野先輩は大学進学を機に地元を離れる可能性がある。二人がいなくなっても商店街の人たちはお狐様を信仰するだろうがお狐様にとってそんなことは関係ない。お狐様が信用しようと思っているのは子狐様と会話し、親しくなった私たち。子狐様の存在を知らない一般人ではないのだ。


 それにしたって学校が三年であることといい、大学進学の話といい、一週間で人間の進学事情をここまで知ることが出来るものなのだろうか。誰か入れ知恵したのではと深里を見れば優雅に微笑んでいた。この野郎と心の中で拳を握りしめる。この思考だってお狐様には伝わっているだろうが、私たちがずっとここにいられる保証ないことも伝わってしまった。小野先輩と千鳥屋先輩は黙り込んでいるし、私も数年後の自分がどこで何をしているのかなんて想像も出来ない。


「これにて決着ですね。子供にしては頑張ったのではないでしょうか」


 パチパチと嫌みったらしく手をたたいた深里がお狐様に歩み寄る。お狐様は深里に不快そうな顔をしたものの何も言わない。今ではなく将来を見据えた深里の提案の方がお狐様にとっては良く思えたのだ。

 だが、こんなところで引き下がるわけにはいかない。そもそも深里は外レている可能性がある。

 そう思った瞬間、お狐様が驚いたように目を見開き、深里を凝視した。私の思考は間違いなくお狐様に伝わっている。そう確信した私は声を張り上げた。


「私たちが人間の子供だから信用に値しないというならば、そもそも人間じゃない深里さんはもっと信用に値しないのでは」


 私の言葉に余裕だった深里の表情が抜け落ちた。歩みを止め、じっと私を見つめる深里の顔には何の感情も浮かんでおらず、真っ暗な深い穴をのぞき込んでいるような不気味さがじわじわと足下から悪寒が這い上がってきた。それでも私は引くわけにはいかない。私の手を香奈がぎゅっと握りしめ、彰が私を勇気づけるように背中に手を当ててくれる。


「私が人間じゃないとおっしゃるのですか? 一体どこからそんな、荒唐無稽なお話が?」


 深里は今までと同じように優雅に微笑んだ。しかし今までと違い目が笑っていない。もともと能面のような不気味な笑みだと思っていたが、先ほどまでとは種類が違う。見つめられているだけで心臓が凍り付くような冷たい笑みを前に私の足は震えそうになる。


「私が人間じゃないなんて、どこにそんな証拠があるんですか? ねえ、お狐様」


 深里はお狐様に微笑みかける。お狐様は眉を寄せて深里を凝視したが確信を得られていないようだ。羽澤の人間は呪いの影響で人と外レ者の境界線が曖昧だという。気配が独特でわかりにくいという話を深里は知っているのだろう。隣で涼しい顔をしているセンジュカから聞いていたのかもしれない。だから堂々と人間のフリをしてお狐様の前に現れることが出来たのだ。


 それとも、本当に深里は人間なのだろうか。山鬼を襲い、集落の人間を皆殺しにしたのは深里ではない? そうなると私たちの考えていた作戦は根本からまちがっていたことになる。一体どうすればと焦る私の背後から人の近づいてくる足音が聞こえた。先に振り返った千鳥屋先輩の驚いた声が聞こえる。


「大変なことになっていると言われて来てみたのですが、これは一体どういう状況ですか?」


 その声は落ち着いた男性のものだった。初めて聞いた声だと思う。それなのにどこかで聞いたことがあるような既視感を感じた。不思議に思いながら振り返るとそこには二人の男性と一人の少年。少年は特視で出会った双月。その双月に護られるように立っている男性のうち一人は見覚えがない。しかし、二人に挟まれる形で立つ、森には似つかわしくないスーツを着込んだ男性に関してはハッキリと覚えがある。会ったこともないのに一度会ったら頭から離れない完成された容姿。そして私がよく知る人物と重なる造形。


「羽澤……ひびき……」


 思わず漏れたつぶやきに気づいた響さんは上品に微笑んだ。顔の造りは深里とそっくりなのに笑い方が柔らかくて優しい。同じ造形でも表情一つでここまで違うのかと驚いた。

 響さんの視線は私を通り越し隣にいる彰へ移る。突然現れた実の父親に固まる彰に対し響さんはただ目を細めた。それは間違いなく愛おしい子を見る父親の表情で、見ているだけの私がむずがゆさを覚えるものであった。

 響さんはすぐに彰から視線をそらすと私たちの横を通り抜け、深里と向き合う。その間も男性と双月は護衛のように響さんの両脇から離れなかった。


「兄上、お久しぶりです。まさかこんな形で再会することになろうとは」

「響……」


 深里の表情が歪む。それは初めて見るものだった。取り繕った仮面がボロボロと剥がれ落ち、中の醜く歪んだ本性が現れる。同じ造形だからこそその違いがハッキリと分かった。響さんが光ならば深里は闇。憎悪を隠すこともない深里の表情に私は鳥肌が立ち、私の手を握りしめていた香奈の力が強まったのを感じる。香奈の足下から低い獣のうなり声が聞こえ始めた。


「なんでお前がここに居る」

「友人から連絡が入りまして、羽澤家が所有している学校でもめ事が起こっていると。ここを廃校にして山を更地にし、テーマパークを建てる計画だと聞いたのですが私には一切連絡が入っていません。羽澤家の現当主は私なのに」


 あくまで穏やかに響さんは語るが話せば話すほど深里の表情は険しくなる。鬼でも裸足で逃げ出しそうな形相だったが響さんは全く動じた様子がなくあくまで上品に話し続けている。その姿を見て私は確信した。この人は間違いなく彰の父親だ。


「兄上、説明頂きたいのですが、当主の私に断りなく、どうやってここをテーマパークにするおつもりですか?」

 場違いなほど静かな響さんの言葉に深里が奥歯を噛みしめる音がした。

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