5-8 外レ者

 大鷲さんと双月の話によると山鬼というのは田舎の山奥にある集落に昔から住んでいる鬼のことらしい。多くの人が想像する鬼と同じく頭に二本の角がある体格の良い大男だと聞いた。

 集落の人間は山鬼を神と崇め、独自の宗教観と文化を築き、現代までひっそりと生活していたのだという。


 鬼と言っても温厚な性格で、見た目は厳ついが声を荒げることもなく、子供に優しく、お年寄りに親切。集落を守る神であり、治める長であったらしい。

 特視とも古くから交流があり、時々様子を見に職員が訪問していた。


 三ヶ月ほど前、山鬼の様子を見にいったのがセンジュカだった。

 トキアが死んだと思い込んでいるセンジュカは覇気がなく、トキアが生きていることを伝えられずにいる職員たちは気まずさを感じていた。そんな中、山鬼の様子を見に行くのはちょうどよい息抜きになるだろう。そう思ってセンジュカに任務を任せたのだという。


 ついでに遊んでくれば良い。そう思っていたからセンジュカから報告が来なくても誰も気にしなかった。それが一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と伸びるにつれ、さすがにマズイと思い始めたのだという。センジュカが今更どうこうなることはないだろうが、山鬼の定期視察の報告も届いていない。念の為という緩い仕事であっても報告書をまとめなければいけない。そこで特視は新たな人材を派遣した。それが双月と緒方雄介という職員だった。


 双月も雄介さんも旅行のような気楽さで山鬼の元に向かったのだという。しかし、そこで目にしたのは惨劇。小さな集落には生きた人間の姿はなく、変わり果てた村人たちが転々と倒れ伏していた。山鬼が暮らしていた家は何者かが争った跡が残っており、山鬼の姿はなかった。残っていたのは山鬼の折れた角が一本。他の村人のように遺体はなく、生死は不明。山鬼の性格からいって特視に連絡を取らないのは考えられないため、動けないほど弱っているか死亡していると双月と雄介さんは結論付けた。


「温厚な性格とはいえ鬼は鬼。人間よりははるかに強い。アイツが熊やらただの人間にやられるとは考えられない」


 大鷲さんの隣に座った双月は話をそう締めくくった。

 香奈が私の手をぎゅっと握りしめている。震える体から伝わってくるのはオカルトらしい話への歓喜ではない。紛れもない恐怖。それは私も同じ。もしかしたら震えているのは私の手で、香奈が私の手を握りしめてくれているのかもしれない。そんなことを思うほど私の心は大きく揺れていた。


「深里様が本当に近くにいたのであれば、センジュカと深里様の接点はそこじゃろうな……」

「長髪を一つに束ねた黒髪に青い瞳の中性的な美形。っていうのがこの世の中に何人もいるなら別人かもな」


 双月の投げやりな言葉に大鷲さんは苦い顔をして頭を左右にふった。そんな特徴を持つ人間がたくさんいるとは思えない。


「集落の人間を殺したのは深里様だと思うか?」

「目撃されたタイミングを考えれば無関係ではないだろう。センジュカが視察に向かう数日前に山の麓で目撃されてる。民俗学者で数日から数週間ほど滞在したいと話していたらしい」

「相変わらず息を吸うように嘘を吐く方じゃのお」


 大鷲さんが大きなため息をつく。それに双月も「まったくだ」と眉間のシワを深くした。

 二人からみても羽澤深里という人間は厄介な人物であったらしい。


「時間がたっていたから確証は持てないが、最初の方は人間の犯行に見えた。遺体の損傷が少ない。油断したところを急所を一突きってところだろ」


 双月の言葉に香奈の顔色が悪くなる。大鷲さんは気遣わしげに香奈を見て「外に出るか?」と聞いたが香奈は首を左右に振った。


「最初の方というのは?」

「……だんだんと遺体の損傷が激しくなった。それも不可解な形のものが多い。普通の人間ではまず出来ないような力技で無理やり捻じ曲げたみたいなのが……」

「双月、ストップ、ストップ」


 香奈の顔色が本格的に悪くなってきたところで大鷲さんがストップをかける。話すことに夢中で香奈へ意識が向いていなかった双月が少し気まずげな顔をした。女子高生に聞かせる話ではないと考えられる配慮はあったらしい。


「結論からいうと途中から人間技じゃなくなっていた。ということはだ、犯人は途中で人間じゃなくなった可能性が高い」

「外レたということじゃな」


 大鷲さんの言葉に双月がうなずいた。


「外レるって?」

「人の理から外レる。人間が人間ではない者に変化することをわしらは外レると言う」

「そんな簡単に人ではないものに変化できるんですか?」

「簡単ではない」


 香奈の問いに双月は迷わず答える。


「複数の条件が重ならないと起こらない現象だ。まず、本人に素質が必要。これがないと変化に耐えられず死ぬ。あとは強い執着も必要。あとは切っ掛け。素質や執着があっても切っ掛けがなければ外レることはない」

「山鬼の集落を襲った人間はそれがすべて揃っていたということですか?」


 私の問いに双月と大鷲さんは難しい顔をした。


「……犯人が深里様であるという前提で進めるなら、羽澤本家の人間という時点で素質は十分なんじゃ。あの家の人間、特に本家の人間は生まれた時から外レ者と人間の中間地点に立っておる」

「切っ掛けさえあれば、あっさり外レるってことだ。俺みたいに」


 双月はそういって鼻をならした。


「双月さんは本家の人間だったんですか?」

「いや、俺は分家の人間だ。それでも双子の上だからな。分家の中でも外レる条件は揃っていた。生まれた時から化物に変わる呪いがかけられてるんだから当然だろ」


 あっさりと答える双月に私は言葉を続けられない。なんと声をかけていいかわからずに迷う私から双月は興味なさげに目をそらした。


「犯人が深里様なら素質は十分。切っ掛けは人殺しだろ。小さな村とはいえそこに生活する何十人を皆殺しだ。人の道から外れるには十分。最後の執着については……」

「リン様に向ける執着を見れば十分じゃな。要素はすべて揃っておる」


 大鷲さんはそういうと大きなため息をついて頭を抱えた。ここにきて少ししか立っていないのに二回目だ。私が悪いわけじゃないのに申し訳なくなってきた。


「センジュカは外レた深里様と遭遇したのにわしらに報告せんかったということか……」

「あのババア、俺たちには皮肉いうわりに自分は不真面目だからな。報告は後ですればいいとか思ったんだろ。暇つぶしの玩具取り上げられたくなかったのかもな」

「暇つぶしの玩具……」


 深里を玩具扱いする神経が理解できず私の顔は険しくなる。そんな私を見て大鷲さんが苦笑した。


「センジュカの悪い癖じゃな。気に入った人間を見つけると気がすむまで付きまとうんじゃよ」

「気に入ってるわりにはからかったり、弄んだりするから気に入られた奴はたまったもんじゃねえけどな」


 双月がため息をつく。なにか嫌な思い出でもあるのか眉間のシワが先程よりも深くなった。

 私は気に入った相手をからかったり、弄んだりするセンジュカを想像する。私達に見せた調子で嫌味を言い続けるのだとしたら……。


「トキアくんとそっくりですね」


 私の言葉に大鷲さんと双月が同時に固まった。大鷲さんが青い顔をして頭を左右にふり、双月はまずいものを口いっぱいに含んだような顔をしている。


「それ絶対にセンジュカにいうてはならんよ! 八つ裂きにされる!」

「言いませんよ」


 そこまで怖いもの知らずではない。トキアにはいうかもしれないが。


「気に入ったのか、気まぐれな暇つぶしなのかは分からんが、深里様と行動を共にしている間にトキア様が生きていることに気づいたのは間違いないの」


 大鷲さんが大きなため息をついた。


「そこから暇つぶしが嫌がらせにシフトしたんじゃろ。死んだと思って鬱々していた分も合わせてまとめてトキア様とアキラ様にぶつけることにしたんじゃろうな」

「そこだけ聞くとセンジュカってトキアのこと大好きですね」


 本当は構ってほしいのに素直に構ってとはいえない彰とトキアに行動がそっくりである。血の繋がりはバカにできない。そう思っていると大鷲さんが苦虫を噛み砕いたような顔をした。


「絶対それ、センジュカに……」

「いいませんって」


 そんな世間話するような間柄でもないし、わざわざ危険人物の地雷を踏みに行く趣味もない。

 大鷲さんと双月は疑わしげな顔で私をみた。今日あったばかりだし信用しろというのも難しいだろうが失礼な話である。

 私が不満を抱いていると真面目に考えていた香奈が口を開いた。


「私達、深里さんは人間だという前提で考えてたけど、外レてるなら色々変わってくるよね……」

「どういうこと?」

「彰くんが疑問に思っていた結界を壊してわざわざお狐様を起こした理由。それって深里さんが結界のせいで山に入れなかったからじゃない?」


 香奈の言葉に私達は息を飲んだ。大鷲さんも香奈の意見に同調したらしく「なるほどの……」と呟いている。


「集落の人間を何十人、女、子供見境なくとなればそれは悪いモノだね……」


 お狐様は子供好きな神様で守り神だ。容赦なく子供に手をかけた深里を自分が守る山に入れるわけがない。

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