5-5 自然現象研究所

 トキアの先導のもとたどり着いたのは古びた建物だった。風景に溶け込むように建っている施設は研究所というよりは公民館みたいだ。自然現象研究所と書かれた木製の古い看板がかけられた門。その向こうに畑が見える。規模が小さいことから家庭菜園なのだろう。手入れの行き届いた瑞々しい野菜はおいしそうだが、気合いをいれて来た分のどかな光景に脱力を覚えた。


「ほんとにここ?」

「ほんとにここ」


 私の疑問にトキアは笑顔で答える。トキアの満面の笑みを見て、それからもう一度目の前の建物を見る。家庭菜園の奥に鳥の餌置き場やらウサギの飼育ゲージを発見した。

 余計になんの施設だか分からなくなる。


「今は動物飼うのが趣味な人がいるのかな?」


 トキアはふわふわ漂いながら鳥箱へと近づいた。その途端、中にいたらしい鳥が慌てて逃げ出す。危険な敵から逃げるような必死な姿を見て猫に威嚇される彰を思い出した。

 双子そろってというか、これも呪いの影響なのかもしれない。そう気づいて苦い気持ちになった。


「勝手に入っちゃっていいのかな?」


 ふわふわと中に入ってしまったトキアに対して香奈は門の前でそわそわしている。私はその隣から動く気にならない。本当にここであっているのかという疑問が消えないのもあるが、招かれないのに入っていいものかという不安もある。

 洋館の敷地に一歩踏み入れた時に感じた不快感を覚えている。知らない土地に入り込むことが思わぬトラブルを呼び寄せることがあると知ってしまった。狐のお山に悪しき者が入れないように、ここも一定の人間しか入れないなにかあったらどうしよう。そんな不安を覚える。


「じゃあ、僕が先に行って挨拶してくるよ」


 私の不安をよそにトキアは止める間なく壁をすり抜け中に入ってしまった。普通に玄関からいかないの? と私が戸惑っている間に中から悲鳴が聞こえてくる。隣の香奈がビクリと体を震わせたが、私は数日前、シェアハウスでも同じ光景をみたなと乾いた笑みを浮かべた。トキアが怖がられる存在なのはどこにいっても変わらないらしい。


 悲鳴に続いてなにかが倒れる音、悪霊退散! と叫ぶ声まで聞こえてきて、私は香奈と顔を見合わせた。香奈は心配そうに中を見つめている。私たちよりも人でない者になれている人たちだから心配いらないとは思うものの、いきなりトキアが壁をすり抜けて現れる恐ろしさは分かる。

 数分で騒音と叫び声は落ち着き、物音一つ聞こえなくなった。

 シェアハウスの時はこの後、疲れた顔をしたクティさんが中から出来たわけだが、今回も誰か出てくるのだろうか。私はドキドキしながらその時を待つ。


「おまたせ~」


 そういってドアをすり抜けて出てきたのはトキアだった。妙に楽しそうだ。幽霊になると人を驚かせることに生きがいを見いだしてしまうものなのだろうか。

 私が疑問に思っている間にトキアがすり抜けてきたドアが開き、中から人が現れる。よっこらせと身をかがめて中から出てきた人はかなり背が高い。遠目に見ても分かる褐色の肌に長い髪を三つ編みにした男性だった。男性はトキアに服の裾を引っ張られ、私たちの方を見た。その目は細く、瞳はうかがえない。


「トキア様が若い女子おなごを連れてくるとは意外じゃのう。どちらか嫁にでも貰うのかの?」

「なにいってんの、僕もう死んでるし、頑張って子供残す必要ないんだって」

「そうじゃった、そうじゃった。いやぁ、未だ実感がわかないんじゃよ。あんなに苦労しておった呪いが解けるとはのぉ」

「僕も未だに夢見てるみたいにふわふわしてるけど」

「それは死んでおるからじゃないかの?」

「言われてみれば」


 トキアと男性は声をあげて笑う。仲がよさそうだが和やかに話している会話が笑えない。なんだこれブラックジョーク? いやゴーストジョーク?

 隣の香奈を見れば目をパチパチと瞬かせていた。気持ちは分かる。目の前で理解不能な会話を繰り広げられると反応に困る。しかし戸惑っている香奈を見たことで少し冷静になった。


「突っ込みにくい会話してるところ悪いんだけど、トキア、そちらの人は?」


 私がトキアに話しかけると男性は驚いたように見えた。相変わらず瞳が見えないのと距離が遠いので、見間違いかもしれない。驚くようなことはなにも言っていないはずだし。


「この人は、僕のお友達の大鷲源十郎おおわし げんじゅうろう。気軽に源ちゃんって呼んで」

「気軽に源ちゃんって呼んでおくれ、トキア様の客人」


 そういうと大鷲さんは私たちに近づいてきた。距離が近づくにつれて高い身長がよく分かる。私よりも頭一つ分くらい高いから百九十センチくらいあるのではないだろうか。

 人見知りの香奈は私の後ろにすっと隠れた。前よりは他人におびえなくなったが、さすがに高身長の知らない大人となれば怖いのだろう。


「おぉーすまんのぉ。身長だけやけに伸びてしまっての。怖かったじゃろ。飴ちゃん食うか?」


 そういってしゃがみ込んだ大鷲さんはポケットから棒付きキャンディーを取り出して私と香奈、それぞれに差し出した。高校生相手というよりは幼い子供に接するような態度に私は固まる。香奈は目を丸くして棒付きキャンディーを見つめていたが、受け取らないのも失礼だと思ったのか恐る恐る手を伸ばした。私もとりあえず受け取っておく。


「源ちゃん、その子らちっちゃい子供じゃないからね。多感な高校生だよ」

「そうじゃった、そうじゃった。最近若いこと接する機会がなくての、悪気はないんじゃよ。すまんなあ」

「いえ、気にしてないので」


 いきなり棒付きキャンディーを出されたのは驚いたが、子供扱いされたことに激怒するほど子供ではないつもりだ。それにこの人がトキア側であれば私たちを子供扱いするのも理解できる。


「失礼ですけど、大鷲さんはトキアと同じ……人間じゃないんですか?」

 私の問いに大鷲さんは値踏みするように私と香奈を見つめた。じっと見つめ返すと大鷲さんは柔和に微笑んだ。

 

「ご明察の通り、わしは人間じゃない。まあ、詳しい話は中にはいってからにしようかの。客人にお茶も出さないのは失礼じゃし」


 そういって大鷲さんは立ち上がるとどうぞ、と玄関の方を手で示す。私と香奈は顔を見合わせると恐る恐るといった様子で一歩敷地内へ足を踏み入れた。

 洋館で感じた不快な感覚はない。それにほっとすると大鷲さんに不思議そうな顔をされる。


「そんなに警戒されるようなものがあったかの? トキア様、一体どんな説明をしたんじゃ?」

「ここに来なきゃいけなくなるまでに色々あったから、警戒心があがってるんだよ」


 トキアはそういうと肩をすくめる。大鷲は首をかしげた。背は高いし、間違いなく男性だと分かる外見をしているのに首をかしげるといった子供らしい動作に違和感がない。今まで出会ってきた人ではない存在たちも年齢や性別というものを感じさせない者が多かった。人間ではなくなるにつれて子孫を残すための性別は消え、老化という概念も消え、感覚も人から離れていくのかもしれない。そんなことを考えて私は少し怖くなった。

 彰は出会った時から性別も年齢も感じさせない、人から外れたような存在だった。


「ここの人は、どこまで彰くんとトキアくんのことを知ってるんですか」


 私の問いに大鷲さんが動きを止める。じっと私を見てからトキアに視線を動かす。トキアはなにも言わなかった。それはなにを語るのも任せる。そう言っているように私には思えた。大鷲さんも私と同じことを思ったのか困ったように眉を寄せる。


「そうじゃのお、羽澤家から出た経緯や、その後叔父さんのところにお世話になっているのは知っておるし、定期的に様子は見ておったよ。といっても接触したことはないの。資料以上の、人柄に関しては全くというほど知らぬ」

「それは……知る必要がなかったということですか?」


 私の問いに大鷲さんは真面目な顔をした。途端に自分を見下ろしてくる長身が恐ろしく思える。柔和な表情と柔らかい話し方だけでずいぶんと印象が変わるのだと知った。


「そうじゃな。わしらの仕事は観察して記録すること。事実を残すことじゃ。そこに個人の主張など必要がない。羽澤家の双子に関して言えば、弟君がなにをしたかの方が重要で兄君がいつ死んだかに関しては記録が残っていないことも多い」


 香奈が胸の前で手を握りしめたのが分かった。私の体も震えている。


「彰は、あなたたちにとってどうでも良かったの?」

「お嬢ちゃんたちは、話したこともない相手に情を持てるのかの?」


 大鷲さんは小さく笑みを浮かべてそういった。その言葉は正論で、私はなんの反論も口にすることが出来なかった。私にとって彰は知らない相手ではない。でも大鷲さんにとっては違う。


「といっても嬢ちゃんたちにこんなことをいうのは酷じゃの。事情をしったうえでわしらを訪ねてきたということはアキラ様とは友人か? もしや恋人?」

「ありえない」

「絶対にない」


 私とトキアは同時に否定した。トキアは私と同時に否定したというのに、アキラを拒絶するとは何事だという顔で私をにらみつけてくる。それに対して私もにらみ返した。恋愛感情を抱いていても怒るくせに否定しても怒るとはなんて面倒なブラコンだ。

 静かに火花を散らす私たちを見て香奈がオロオロする。そんな私たちを見つめていた大鷲さんはかすかに目を開きそうになって、慌てて閉じた。


「驚いたのぉ。トキア様とにらみ合いが出来るとは」

「ちょっと前まで僕のこと怖がって怯えてたのに、なんか急に強くなったんだよ。生意気だよね」

「トキアくんがただの面倒くさいブラコン幽霊だと分かったら、怖がるの馬鹿らしくなったの」


 そういって肩をすくめつつため息をつくとトキアが生意気だと私の頭上をぐるぐる回る。地味に目が回るからやめてほしい。


「それはなんとまあ……色々話を聞く必要がありそうじゃの」


 大鷲さんが先ほどよりも興味深げに私を上から下までじろじろと観察する。珍しい生き物を発見した学者みたいな視線に私は居心地が悪くなった。

 

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