4-4 悪魔の命日


「トキアそのくらいに……」


 事情はよく分からない。分からないが、これ以上は見ていられなかった。トキアはチラリと私を見てから浮かべていた笑みを引っ込めた。さきほどまでの穏やかな笑みが嘘のように冷たい顔でリンさんを見つめている。


「僕は深里の前に姿を見せない。アキラにも近づかないからお前がアキラを見とけ。傷一つでもつけさせたら殺すから」

「……分かった」


 リンさんはトキアの言葉を最後まで聞くと力なく頷き、ふらふらと部屋から出て行った。彰と香奈が向かった保健室にたどり着けるかも怪しい有り様だったが後を追う気にはなれない。一人にしてほしい。そう背中が語っているように見えた。


「……前々から思ってたけど、トキアとリンさんの関係って」

「被害者と加害者」


 トキアはにこやかにいう。それはトキアが被害者でリンさんが加害者でいいのだろうか。今の状況だとまるっきり逆ように見える。

 しかし、先ほどトキアがいった言葉。あれをそのまま受け取るのであれば、リンさんが恨まれる理由も分かる。部外者がしゃしゃり出てきたうえに勝負を邪魔した。その結果、トキアと彰は何度も死んでいる。

 リンさんに向ける感情がどういったものなのか、死んだこともないし殺されたこともない私には想像もつかない。それでも生半可な感情ではないことは分かる。


「ナナちゃんだって不思議に思ったでしょ。双子が呪われた経緯に悪魔は出てこないのに、なんでアイツは当たり前ように羽澤にいるのか」


 私が黙っているとトキアは話しを続けた。私としても気になっていた話題なので素直にうなずく。


「アイツが悪魔と呼ばれるようになったのは名前の通り、悪魔みたいな所業を繰り返したからなんだよ。人間もそれ以外も畏怖をこめて呼ぶようになったのが悪魔。アイツらみたいな存在にとって名前というのは重要な意味を持つ。おかげでアイツは余計に手がつけられなくなった」

「なにしたの……?」

「味付け」


 意味がわからず私は眉をよせた。いままでの話とはあまりにもかけ離れた言葉に思える。しかしトキアは温度のない顔で、リンさんが出ていったドアを見つめていた。


「もとからアイツは大食いだったらしい。アイツらみたいな存在はいくら食べれるかで生き残れるかどうかが決まる。感情っていうのは人間なら誰でも持ってるものだから食事に困らない。だからとにかく手当たり次第に食べまくった」


 彰の体に腕を突っ込んだときのリンさんを思い出す。あの動きに迷いはなかった。それこそ一瞬。リンさんにとっては考えることもなくできる行為だったから出来た動きだった。


「力をつけて、気が済むまで食べたアイツは余裕ができた。食事には困らない。自分を脅かすような存在もいない。だからアイツは暇つぶしに遊びはじめた。それが人の感情を自分好みの味にすること」

「そんなことできるの?」

「出きるかどうかも含めてアイツにとっては暇潰しの遊びだったんだよ」


 トキアは私をみた。表情のなかった顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。けれどそれは喜びを表現したものではない。怒りが限界を超えるといっそ笑えてくる。そんな凍った笑みだった。


「苦痛を与えると味が引き締まるんだって。幸福を与えると甘味が出る。両方を適度に繰り返すと味に深みが出る。生まれて死んでを繰り返す僕らはアイツにとって良い実験動物で食べ物だった。僕らはアイツにいいように飼われてる食用家畜だったってわけ」


 笑みとともに告げられる言葉になにも返せない。手がかすかに震えている。なんで震えているのかも分からない。怒りのようでもあり悲しみのようでもあった。もっと純粋な恐怖なのかもしれない。とにかく胸の奥から不快感が体の中をむしばんでいるような気がした。


「殺してやろうと何度も思った。けど人間の僕には無理だった。それに呪いをとくためには力が必要だった。気まぐれにもてあそばれる家畜だったとしても勝機が見つかるまで耐えるほかない。いつかそのときが来たら、魔女もろとも殺してやろう。そう思って耐えて、耐えて、兄さんが生き残れる術をさがし続けた。だから、今回うまれて驚いたよ」


 トキアはそこで言葉を句切ると笑った。今までとは違う喜色の浮かんだ表情に私は戸惑った。


「アイツはね、リンはね、僕を見てショックを受けた顔をしたんだ。今まではいいおもちゃが生まれたって顔で喜んでたアイツが、初めて僕を見て生まれてほしくなかった。そういう顔をしたんだよ」

「……今までの行いを反省したとか……?」

「そんな可愛げのある性格してないのはナナちゃんだって知ってるでしょ。クティとか子狐ちゃんへの態度思い出しなよ」


 そう言われると黙るしかない。感情が読めるのだからクティさんや子狐様がどう思っているかも分かりそうなものなのに、そんなの知ったことじゃないという態度をとるのがリンさんだ。

 だからこそ不思議だった。そんなリンさんがやけに彰は大事にしている。そしてトキアにも弱った顔を見せる。しかし、昔のリンさんはそうじゃなかったらしい。ではどこで、なにが切っ掛けで変わったのか。


「アイツはね、僕の両親をものすごく可愛がってたんだよ。それこそ生まれて初めて、人に対して情を覚えた子供みたいに。響は深里が嫉妬するほど可愛がってたらしい」


 トキアの話で響さんが深里に嫌われた理由の一端が見えた。あれほど執着している相手が自分以外を可愛がっている。そんな様子を見せつけられるのは深里にとっては十分な理由だったのだ。


「ここからが傑作なんだけどね」


 トキアは笑みを深めると私に近づいてきた。内緒話をするように私の耳元に唇を寄せる。耳のすぐ近くで、噛みしめるようにささやかれた言葉に私は目を見開いた。


「リンは僕らの母親に恋してたんだ」


 言葉の意味が理解出来ず、聞き間違いかと思ってトキアを凝視した。至近距離で目があったトキアは楽しげに笑っている。子供らしい大きな瞳に驚いた私の顔が映り込んでいた。


「リンさんが……?」

「笑えるでしょ?」


 トキアはにんまり笑うと空中でくるくると回った。


「人間を食べ物だって思ってた化物がさ、なんの気まぐれか人間のまねごとして子供を可愛がって情がわいて、そしたら食べられなくなった。しまいに食べ物に恋をした。アイツは食べるために人間を育ててたのに。アイツにとって羽澤家は、僕らが生まれるための肥料みたいなものだったのに。僕らをいかに美味しい状態で生まれさせ美味しい味に仕上げるかを楽しむゲームだったのに」


 クスクスとトキアは笑う。

 その所業は悪魔と呼ばれるのも当然だと思った。自分が少しでも美味しい食事にありつけるように、おもちゃであるトキアが生まれるように。すべては自分のため。真実を知らず勘違いした羽澤の人間をこき使い、理想の農園を造り上げた。それが羽澤の悪魔。


 リンさんの食べ方はえげつない。

 クティさんはそういった。今ならクティさんに同意できる。クティさんがリンさんを恐れている理由も分かる。リンさんにとってはクティさんも家畜に違いない。


「そんな奴が人を好きになった?」

「信じられないでしょ」


 私の呟きにトキアは愉快そうに笑う。


「僕もさ最初は信じられなかった。アイツも自分で分かっていなかったのかもしれない。分かってたら響に譲ったりしなかっただろうし。いや、それとも、それほどまでに愛してたのかな? 自分の感情よりも相手の意思を尊重するほどに。でも、それが間違いだった」


 トキアは両手を広げてみせた。整った容姿がよく見える。両親の遺伝子を引き継いだ完璧といえる造形。しかし、その中に入っているのは赤の他人。リンさんがずっと虐げてきた呪われた子。


「変わらず家畜みたいに扱ってれば僕は生まれなかったのにね」


 憎悪と歓喜に歪んだトキアの表情をみて私は悟った。羽澤の悪魔は死んだのだ。食料としてみていた人間に情がわいた日に。人間に恋をしてしまった日に。可愛がった子供、愛した女性、その二人から生まれた子供が彰とトキアだと気づいた日に。何度も何度も死んで、リンさんは情のない悪魔から哀れな化物になった。


 罰がくだった。そういうにはあまりにも遅すぎた。罰がくだるのであればもっと早く、こんな取り返しがつかなくなる前であればトキアもリンさんもこれほど苦しまずにすんだ。

 そんなことを考えても遅い。もう終わってしまったことなのだ。


「彰は知ってるの? リンさんが……」

「知らないよ。だから彰からすればリンの行動は謎だらけ」

「じゃあ深里は?」


 私の問いにトキアは表情を消した。私は大きく息を吸い、はいた。


「深里はリンさんがトキアたちの母親を好きになったって知ってるの?」

「……リンが話すわけないし、響は鈍感だから気づいてなかったけど……」


 トキアは薄気味悪そうな顔をする。


「深里は気づいてたかもね」

「一番気づかれちゃまずい相手でしょ……」


 深里が響さんと彰に執着する理由が見えてきた。それでも私にはどうにも出来そうにない。どうにか出来る方法があるなら教えてほしい。


「なんでこんな面倒くさいことになってるの……」

「リンにいってよ。僕が生まれたときにはすでにこんがらがったことになってたんだから」


 トキアは他人事のように肩をすくめたが深里は間違いなくトキアの血を引いている。兄を救うために自分を含めた全てを捧げたトキア。リンさんへの執着から実の弟と甥を虐げる深里。どちらも愛情が重すぎる。

 なんで、よりにもよってそこが似てしまったんだと私は頭をかかえるほかなかった。

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