3-6 笑顔

「何言ってんだお前は!」

 百合先生が怒鳴る。リンさんが目を見開いて、彰の両肩をつかんだ。


「彰、センジュカの言うことなんて気にすることじゃない。アイツはお前を混乱させるために適当なこといってるんだ」

「だが……、アイツの言っていることは最もだろう」


 彰の表情が硬い。口調もいつもとは違う。それが私には違和感であり、同時に納得もできた。おそらくこちらが素だ。この表情の乏しい、淡々と話す少年の方が本当の彰だ。


「羽澤家の血を引く俺が捧げられればお狐も納得する。深里もセンジュカもそれで満足するだろう。アイツらが恨んでるのは俺だ。俺が生贄になったら学校の移転も考え直してくれるかもしれない。全部上手くいく」


 彰は抑揚のない口調で語ると顔をあげた。いつもの彰とは違い表情が抜け落ちている。それが私は怖かった。取り繕うこと、隠すことをやめた彰は、すべてを諦めてしまったように見える。


「学校にも香月にも、坂下にも迷惑かけたけど、これでもう迷惑をかけることもない。千鳥屋先輩、小野先輩にもお世話になった」


 彰は口の端だけをあげて控えめに笑う。

 違う。彰はもっとわかりやすく笑う。表情はもっと動く。私と香奈のことを名字でなんか呼ばない。こちらが素。そうだとしても今は受け入れるわけにはいかなかった。こんな形で隠されていた素を出されて喜ぶ奴がどこにいる。


「悲劇の主人公ぶるのもいい加減にしなよ。彰君、そんなキャラじゃないでしょ」


 腕を組み、上から見下ろす。もともと彰は私よりも小さい。態度がデカいから自分よりも大きく感じるだけで、小さくて細くて、見た目だけみたら心配になってしまうような男の子なのである。そんな目に見える事実に気づけなかった自分に私は腹が立ってきた。

 女としてうらやましくなるような大きな瞳が瞬く。予想外のことに驚く表情はずっと素だったらしい。その事実に少しだけ満足した。すべてを隠されていたわけではなく、私が気づかなかっただけで素の彰はずっといたのだ。


「彰君が犠牲になって私たちが喜ぶと思ってるの。何でそんな簡単なことも分からないかな。どう考えても悪いのは深里とセンジュカでしょ。土地の管理を誰がしてるかなんて、私たちには関係ない。羽澤家が管理してるからこの学校に入ったわけじゃない」


 ねえ? と香奈に視線をむければ香奈は大きく頷いた。


「私は山の上に、素敵な学校があるって聞いたから来てみたくなったの。なんだか秘密基地みたいだから」

「私もだいたい同じ理由ね」


 香奈の言葉に千鳥屋先輩が同意し、隣の小野先輩も頷いた。教師である百合先生は「お前らそんな理由で……」と顔をしかめているが、この際それは置いておく。


「元々ここにいたのは私たち。勝手に乗り込んできたのはあっち。大人の事情なんて知らないし。私たち子供だから」

「開き直ったな……」

「開き直りたくもなるでしょう。後から出てきたくせに好き勝手いって」


 私の言葉にあきれた顔をした百合先生も小野先輩の言葉に口をつぐみ、それもそうだと苦笑した。


「羽澤家だからって偉そうにしすぎ。ずっと放っておいたくせに利用価値があると思ったら権利よこせって何様って話。しかもここにいる私たちの意志は無視だよ、無視。大人として最低すぎる」

「もっといってあげなさい」


 千鳥屋先輩がそういってにやりと笑うから、私も同じく笑う。私は何も間違ったことは言っていない。


「彰君はそんあ不条理に屈する人間? 違うでしょ。子狐様をぶん殴ったの忘れたの? 重里玲菜だって最終的には面倒ごと押しつけたでしょ。日下先輩の罪悪感も壊したし、商店街が潰れそうなのも覆してきた。全部さ、変えてきたでしょ。彰君が」


 私は部屋の中を見渡す。ここにいる人たちは彰が私に引き合わせた。百合先生も千鳥屋先輩も小野先輩も、彰と出会わなければ私は会話すらせずに通り過ぎた。リンさんみたいな存在なんて知らずに死んでいた。

 全部、彰が私に引き合わせた。だから私はここにいる。


「気に食わないものは認めない。折れない、屈しない。しまいにはぶん殴る。それが佐藤彰でしょ」

「……ナナちゃんの中で、僕はどんだけ物騒なの」


 彰が苦笑いを浮かべた。いつもの彰に戻ってきている。それが私は嬉しかった。


「最初からずっと彰君は物騒だよ。いきなり祟られるよとか脅すし」

「それはナナちゃんとカナちゃんが、あまりにも無防備に変なものに近づくからでしょ」

「別に放っておいてもよかったのに、わざわざ悪人役かってでてくれたんでしょ。素直じゃないよねえ」


 私の言葉に彰がムッとした。百合先生とリンさんが苦笑している。私たちの出会いをしらない小野先輩や千鳥屋先輩は顔を見合わせていた。


「考えてみれば、私と香奈が不用意に祠に近づいたから始まったのかもしれない。あの時、私たちがあそこにいかなかったら、彰君は今も隠れてて、深里みたいな面倒な人間に会わないまま平和に生きてたのかも」


 それはあくまで可能性。たぶん限りなく低い。きっと彰は私や香奈じゃなくても助けていた。彰ほど目立つ存在が隠れ続けるなんて無理だったし、あれほどの執着をみせる深里やセンジュカだ。いつかは彰を見つけていた。

 だからこそれは可能性。ほんの一握りの可能性。それでもあったかもしれない、私が潰してしまった未来。


「彰君は私たちに迷惑をかけたっていうけど、一番最初に迷惑をかけたのは私たちなんだよ。私たちが何もできないのに首を突っ込んだりしたから、彰君は助けるために出てきてくれた。だから今度は私たちが彰君を助けなくちゃいけない」


 それは違う。そう彰は言おうとした。そんな彰の肩を百合先生が止める。


「俺は羽澤家の内情がほとんど分かってない。俺なりに調べたけどな、結局お前がなんで家を追い出されたのか、俺の妹が俺にどうしてほしかったのか。分からないままだ。分からないままリンみたいな意味不明なのが増えて、お前は比呂ひろってきたり、いつのまにかるい君を小間使いにしてたり、学校通うようになったら神様のつかいとか、訳分からんこと言い始めるし」


 だんだんと百合先生の表情が険しくなってきた。保護者の視線からみると彰は相当な問題児だろう。抱えている事情が重たいのにかかわらず、行動が突飛すぎるし、おかしな方向に決断力がありすぎる。

 彰も多少は自覚があったのか思いっきり視線をそらした。


「そんな面倒ごとをお前はだいたい一人で解決してきた。保護者の俺のメンツが潰れるくらい、気づいたら問題解決させてて……いじめられたとかストーカーされてたとか後で聞かされる俺の身になれ」


 怒りが先にきたのか百合先生はそっぽを向いていた彰の顔をつかむと無理矢理自分の方へとむけた。つり上がっている百合先生の顔を間近で見ることになった彰はさすがに逃げ腰だ。

 それにしても彰。ストーカーの話は前に聞いていたが、いじめにもあったのか。自力で撃退したのは想像できるが、波瀾万丈過ぎる。


「こんな時ぐらい保護者面させろ。お前の母親に顔向けできねえ」


 真剣な百合先生の顔と声に彰は逃げようとしていた動きを止めた。百合先生の顔を静かに見つめ返して、やがて観念したように息をはく。


「そんなこといっても、この状況でアイツを追っ払う手段があるわけ。みんな僕のことがだぁーいすきなのはよぉーく分かったけど」

「そうねえ、彰君のことは大好きよ。自分が生贄になるのが最善だなんて言っちゃうことに怒るくらいには」


 彰はわざと茶化そうとしたようだが、いつの間にか彰の背後に移動していた千鳥屋先輩に動きを止められた。今度や千鳥屋先輩によって顔の向きをかえられた彰は、笑顔だが目が笑っていない千鳥屋先輩と対面することになる。

 彰が悪いとはいえ、何度も無理矢理顔の向きを変えられている所を見ると大丈夫だろうかと心配になってくる。彰が悪いので止めないが。


「自分一人で背負い込まないで。みんなで考えればいい案は浮かぶわ。あっちは所詮よそ者なのだから、地元民の結束みせてあげましょう」


 千鳥屋先輩は正確にいったら地元民ではないのだが、今は黙っておいた方がいいだろう。

 それに地元民という言葉に私は何かが引っかかった。私も別の町から来ている身だから感じるが、商店街の人といい寮母さんといい、妙にこのあたりの人たちは個性的だ。そしてオカルトといった不思議な存在に対して妙になれている。


「……そうだ。羽澤は元々よそ者だ……」

 私の呟きに視線が集まる。彰がどういうこと? と眉を寄せて私を見た。


「百合先生いってましたよね。お狐様はもともと自分を助けてくれた子供とその一族だけを守っていた神様だって」


 百合先生が聞かせてくれたお狐様の伝説。それによればお狐様は元々土地神というよりも特定の一族を守る神だった。しかし守るべき対象を流行病でうしなったお狐様は、当時の羽澤家当主の提案を受け入れた。

 その時点ではお狐様は確かに山への執着があったのだ。だから山を守る土地神へと変化した。


「子狐ちゃんって、お狐様が守っていた一族との子供なんですよね」

「噂によるとな」


 私の言葉にリンさんは同意する。


「……今日のお狐様の態度を見ていると、慈悲もなにもない、自分の損得が優先の神様に思えるけど、もしかしたら今のお狐様は羽澤家と契約したときと同じように寂しいのかも」

「どういうこと?」

「子狐ちゃんが生まれるくらいだから、お狐様は守っていた一族のことは本当に愛してたはず。その一族を守れなかったって罪悪感と思い出の地を離れたくないって気持ちから羽澤の提案を受け入れた。今度こそ何かを守りたかったのかもしれない」


 心を許した存在を奪っていく病に何も出来なかった。それはお狐様にとっては辛いことだったに違いない。今も心の傷として残っているのだとしたら、子狐様を甘いというのも多少は理解出来る。力がなければ大切なものを守れない。それをお狐様は身をもって知っている。


「長い眠りにつかなくちゃいけないほど力を使って羽澤の地を浄化したのもそのためだったのかな……」

「そんな精細な女か? アイツが」


 香奈の言葉にリンさんは否定的だったが、私はその可能性にかけるしかないと思った。


「お狐様は本来羽澤とは関係ない。契約だって断ることは出来たはず。それを受け入れたのはどうにかしてこの土地に残る理由や強い力がほしかったから。って考えたら、納得いきません?」

「だが、それならなんで今は離れようとしてるんだ。それだけこの土地はお狐様にとって大切なんだろ?」

「……目が覚めて、力を失っていることにひどく焦っているのかも」

「それだよ、それ!」


 彰の言葉に私は頷いた。

 もう大切なものを失わないために力を求め、羽澤との契約や土地神としての地位を得て力を得たお狐様。しかし目がさめたら集めた力が激減していた。それにお狐様は心底焦ったに違いない。また大事なものを失うと。そして今、お狐様にとって一番大事なものといえば……。


「子狐様の存在をもっと根付かせることが出来れば、お狐様は納得するかもしれない」


 私の言葉に彰がハッとした顔をする。

 子狐様への辛辣ともいえる態度が愛情の裏返しであり、焦りと心配であるとすれば、お狐様が土地を離れ、深里の提案をのんでまで守りたいのは子狐様である。


「……可能性だろそれ。全く違ったらどうすんだ。子狐関係なく、趣味と性癖で可愛い童求めてるだけだったら」

「そうなったら深里の悪行を洗いざらいぶちまけて、深里の印象落としましょう」

「七海ちゃん、あなたなかなかやるわね」


 千鳥屋先輩が私に向けてぐっと親指を突き立てた。私もそれに同じ動作を返す。あきれきったリンと百合先生。しかし小野先輩と彰はその手があったかという顔をしている。


「そうだね、リンだったら深里の悪事なんていっぱい知ってるでしょ」

「えぇ……まあ、調べれば出来ないことはないと思うけどなあ……アイツ隠すの上手いぞ?」

「そこを何とか探ってくんのがお前の仕事だろ。っていうか、元々お前の信者だろうが。信者の教育ぐらいちゃんとしろ」


 そういいながら彰はリンさんのお尻を思いっきり蹴り上げた。ギャンッと犬みたいな悲鳴をあげてリンさんがお尻を押さえてうずくまる。おそらくは昨日、今日と感じたストレスのはけ口にされたのだ。全く同情はしない。


「彰君らしくなってきたねー」


 私がにやりと笑って彰を見ると、彰は一瞬きょとんとした顔をしてから私と同じようににやりと笑う。


「ナナちゃんに発破かけられちゃったからねー。かっこ悪いところ見せちゃったし」

「あの彰君は大分情けなかった」

「うわぁ酷い、僕ショックー」


 そう彰はいうが笑っている。先ほどまでの暗い表情が嘘のようで私はほっとした。そして自然と彰を見て話せていることに安堵した。

 考えてみればトキアが見えるようになってから彰とは真面に話せていなかった。今朝からはゆっくり話すような時間もなかった。久しぶりに彰の笑顔を見られた気がして、それだけで私は安心したのだ。


 だからこそ、表情の抜け落ちた彰を思い出して思う。あんな顔は二度とさせてはいけないのだと。

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