3-3 白い女、再び


「僕としてはそこまで恨まれるようなことした記憶がないんだけど。初対面だし」

「彰は直接的に関係ない。深里が本当に嫌ってるのはお前の父親、響だからな」

「……全く面倒なことを押しつけてくる」


 彰の父親の名前が出た途端、百合先生の顔が険しくなった。百合先生からすると彰の父親、響にはよいイメージがないようだ。溺愛していた妹は早くになくなっているし、その息子である彰はろくな扱いをされていないとなれば文句をいいたい気持ちもわからなくはない。

 意外なことに百合先生の反応に反発したのはリンさんだった。


「響は悪くねえからな。響は響なりに頑張ったんだ」

「結果が出てねえなら頑張ったって言えないだろ。完全に彰もアキもそっちの事情に巻き込まれてんだろうが」


 いつになく荒々しい口調で百合先生が怒鳴る。香奈がびくりと肩をふるわせて、千鳥屋先輩が眉を寄せた。小野先輩は動じた様子はないが少し驚いているように見える。

 彰は眉を寄せて百合先生とリンさんの様子を見ていた。自分の父親の件で叔父とリンさんが揉めているというのは居心地が悪いだろう。


「響はちゃんとアキもアキラたちも守ろうとした! でも、あの頃の響の立場じゃ力が足りなかったんだよ」

「羽澤家の事情なんて知らねえよ!」


 百合先生はそういって怒鳴ると勢いよく立ち上がった。その弾みで椅子が倒れて部室に大きな音が響く。香奈が泣きそうな顔で百合先生を見ている。私も香奈と同じく泣きたくなった。

 百合先生は強面だが、今の百合先生をみたら普段の姿は全く怒っていなかったのだと分かる。今の百合先生は冗談ではなく、気の弱い人間だったら視線だけで殺せる。そのくらい怖かった。

 床を踏み破ろうとしているような荒々しい足取りでリンさんに近づいた百合先生は胸ぐらをつかみあげる。


「男なうえに父親だろ。嫁と子供守れなくてなにが頑張っただよ。全然足りてねえだろ。アイツが守りきれなかったせいで、アキも彰も、みんなつらい想いしてんじゃねえか」


 彰が立ち上がる。何かを言おうと口を動かしたが何をいっていいか分からなかったらしく、じっと百合先生とリンさんを見つめていた。千鳥屋先輩が大丈夫と声をかけると小さくうなずく。


「彰君を前にして、大人が喧嘩するのはやめてください」

「そうです。先生もリンさんも冷静になった方がいい。今は揉めてる場合ではありません」


 動けない私たちの代わりに声をあげたのは小野先輩と千鳥屋先輩だった。小野先輩は言葉だけでなく、行動でもリンさんと百合先生の間に入る。小野先輩の顔をみた百合先生は罰の悪そうな顔をしてリンさんの胸倉から手を離した。


「アイツは……響は悪くねえんだよ……」


 リンさんが独り言のような覇気のない声でつぶやいた。まだいうかと百合先生がリンさんを睨みつけたが、顔をゆがめて足元を睨みつけているリンさんに言葉を失った。私も驚く。リンさんは怒りを押し殺しているようにも、泣くのを必死にこらえているようにも見えた。


「悪いのは……」

「俺だとでもおっしゃるのですか? 悪魔と恐れられた方がずいぶん耄碌しましたわね」


 リンさんが言葉を続けようとしたとき、部室のドアが音もなく開く。みんなあっけにとられてドアを開けると同時に聞こえてきた声、見えた白を凝視した。

 朝にみた白い女――センジュカが嘲笑をうかべながらリンさんを見つめている。何の前触れもなく現れたセンジュカの姿にリンさんが目を見開いた。初めてセンジュカを見る百合先生は警戒した様子でセンジュカを上から下まで見渡した。


「女性をジロジロ見るなんて、しつけのなってない人間ですわね。やはり下賤な人間と一緒にいる人間は下賤なのです。全くもって不愉快ですわ。こんな埃っぽい所にこなくてはいけないなんて、服が汚れたらどうしてくれるのでしょう。一体どこに要求すればいいのですか? この学校? それとも羽澤、それともリン、貴方にでしょうか?」


 センジュカは途切れることなく言葉をつづけ、リンさんが何も言わないのを見るとやれやれといった様子で首を振ると、背後を見る。早く入りなさい。と顎で指示をすると、センジュカに言われるがまま廊下にいた人物、クティさんが部室の中に入ってきた。


「なんでクティさんが?」

「お前らが俺のこと放置して、山の主なんてヤバい奴が戻ってくるのも教えなかったからだろうが」


 私の疑問にクティさんは苛立った様子で答えた。その言葉で私は思い出す。クティさんは祠の前で待機していたのだ。深里とお狐様の印象が強烈すぎてすっかり忘れていたが、私たちは戻ってこずにお狐様と子狐様が戻ってきたのを見てクティさんは狼狽えたに違いない。


「だとしても、得体のしれない女となぜ?」

「得体のしれないなんて失礼ですわね。私はあなたは存じ上げませんが、クティは存じています。私からみればあなたのほうがよほど得体のしれないクソガキですわよ」


 小野先輩の言葉にセンジュカは優雅な表情で毒をはく。真っ白な美しい姿と棘のある言葉のギャップについていけない。小野先輩はムッとしたものの返す言葉を思いつかなかったらしく押し黙った。気持ちはわかる。私だって何と返していいのか分からない。


「クティがお狐様に食べられるのはこちらとしては痛手ですので。クティには生まれたてのひな鳥の面倒をみていただかないといかませんわ。私も一応恩はありますし、ほんの少し。一欠けら程度ではありますが」

「……お前、どんどん口が悪くなっていってないか」


 クティさんが額を抑えてため息をつく。その反応を見るに昔はもう少し大人しかったのかもしれない。


「クティさんを助けてくれたことは感謝しますけど、どうして私たちの所に来たんですか?」


 香奈が私の背に隠れながら聞く。助けて。という部分にクティさんは何か言いたげだったが、話の腰を折ると思ったのか不満そうな顔だけで何も言わない。センジュカは私の影にかくれた香奈をチラリと見て、口の端だけで笑った。


「元々来る予定ではあったのです。忠告をしなければと思いまして。その忠告をするのにクティがいた方が都合が良かったので、ついでに助けて恩を売ろうかと」

「おいこら、恩売るってどういうことだ。昔の恩で相殺じゃねえのか」

「一欠けらの恩ではどう考えても足りないでしょう。これは貸し一つですわよ。あとで丁重に上乗せしてお返しくださいませ」


 センジュカはさらりというと部屋の中を見渡した。相変わらずブーツを履いたままである。よくよく見ればクティさんも土足だったが、これはセンジュカに有無を言わさず引きずってこられたのかもしれない。

 センジュカは部屋の中にいる面々の顔を一人ずつ見て、彰で視線を止めた。それから周囲を見渡して眉をよせる。トキアの姿が見当たらない。そう思ったようだ。

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