2-4 呪いを知る者

 深里はリンの信者。そういっていたのはトキアだった。小馬鹿にするような口調だったから何かの比喩かと思ったが、こうしてリンさんの前に膝をつき、頭を下げる姿はまさに信者。床に額が着きそうなほどに頭を下げているというのに、深里から不満や怒りは感じない。こうして頭を下げることが当然である。そう信じきっているような態度に私はぞっとした。


「まだ生きてたのか……」


 リンさんをみたお狐様が心底嫌そうな顔でつぶやいた。リンさんもお狐様を見て、お前も相変わらずだなと眉を寄せている。外でお狐様の思いのたけを聞いていたのだろう。となればこういう反応になるのも仕方ない気がする。


「お前もしつこいな。まだかき回しているのか。さすがの私も同情してくる」

「お前が寝てる間に決着はついた」


 淡々とした口調でリンさんがつげるとお狐様は目を丸くした。確認の意味で子狐様を振り返ると子狐様が頷いた。それを見ると信じられないという顔でリンさんへ向き直る。


「あの泥試合からよくぞ決着がついたな。やはり人間には荷が重かったか」

「いや、俺たちの負けだ」

「……それは本当か?」


 リンさんの言葉にお狐様が固まった。じっとリンさんを見つめるお狐様は心の中を見通そうとしているようだった。祠の近くであれば読めると子狐様はいっていたが、お狐様であれば距離が離れていても読めるのだろうか。


「まさかな……人間が勝つとは……。もはやそれは人ではないだろう」

「ああ」


 リンさんの短い返事にお狐様は目を細める。

 彰をチラリとみればお狐様とリンさんの会話の意味が分からないらしく、顔をしかめていた。百合先生と理事長も困惑した様子で2人のやりとりを聞いている。

 深里は未だ頭を下げたままで何を考えているのか全く分からず、それが薄気味悪かった。


「あそこまでいけば外レるのも必然……とはいえ、決着はついたというのになぜ未だに関わっている? 情でもわいたか? 悪魔と呼ばれた男が」


 お狐様がせせら笑うと過剰な反応を見せたのは理事長だった。詳しい事情は知らなくとも羽澤家に悪魔と呼ばれる存在がいる。そのことくらいは聞いていたのかもしれない。この人が……と震えた声でつぶやく理事長からは血の気が失せていた。


「お前には関係ないだろ」

「いやある。私も巻き込まれた。しかも契約を反故にされている。そいつらは詳しい事情は知らないだろうが、お前は知っているだろう。どうしてこんなことになったのか、説明してほしいものだな」


 そいつらと言いながらお狐様は彰と深里に視線をむけた。彰は眉を寄せたままリンさんとお狐様の様子を見ている。一方深里は頭をさげたまま微動だにしない。リンさんが頭を上げろというまでその状態でいるつもりなのだろうかと、私は心の底から引いた。


「……簡単な話だ。弟が最初の条件を満たして勝った」

「彼奴が? 自分が死ぬことがあっても兄を殺すことなどありえないだろ」


 弟、兄という言葉に百合先生と彰が眉を寄せた。説明を求める顔でリンさんを見るがリンさんは2人から目をそらす。

 私も驚いてリンさんを見た。トキアが話していた呪いを解く条件は「兄よりも弟が先に死ぬこと」であり「兄を弟が殺すこと」ではなかったはずだ。


「……殺すのが一番手っ取り早い。兄を助けて呪いを解くためだ。呪いを解けば生まれ変われる。そう魔女は弟にいってたんだよ。まあ、弟の方は魔女の言葉なんて信じてなかったから実行しなかったけどな」

「ほぉ。あの性悪女らしいの。弟が兄を手にかけた後、笑いながらネタばらしするつもりだったのだろうな。普通に生まれ変わらせるつもりもなかっただろう。あの女は人が苦しむ様を見るのが好きだからな」


 お狐様の言葉に私は絶句する。香奈も目を見開いてお狐様をみていた。

 魔女についてはトキアからもリンさんからもほとんど語られていない。双子の呪いをかけた時点で性格が悪いのは分かっていたが、予想よりもずっと悪い。トキアはそんな相手とずっと戦ってきたのかと考えると胸の奥が重たくなった。


「呪いがとけて、あの女は満足したのか。森に引きこもっているという話は聞いたが」

「どっか消えた。どこにいるかは俺も知らねえ」

「ずいぶんと気ままなことだな。あれだけ長い間人を縛り付けておいて」


 お狐様は心底あきれた顔で眉を寄せ、少しばかり同情した顔で彰と深里を見た。


「それで、呪いはとけたからどうでもいいと私との契約は反故にしたわけか?」

「そういうわけじゃない。単純に引き継ぎがうまくいかなかったんだよ。人間はすぐ死ぬし忘れるからな」

「そんなのわかりきったことだろう。それの対策をなぜしていなかった」

「しかたねえだろ、アイツらがなかなか生まれなかったんだから!」

「事情を把握しているお前が見ていれば良かった話だろう!」

「なんで俺がお前のショタコン趣味のために労働しなきゃいけねえんだよ! 勝手に力使い果たして寝たのはお前だろうが!」

「人のことを酷使しておいて何という言い草。おいそこのお前、このバカを敬愛するなどやめておけ。体だけ大きくなりおって、中身は乳飲み子とかわらん! ただの阿呆だ!」


 言い争いがヒートアップしてきたお狐様は、未だ頭を下げたままの深里をビシリと指さした。それに対してリンさんが「誰が乳飲み子だ!」と怒っていたが深里は頭を上げ、床の上で正座するとお狐様に視線を向ける。


「いえいえ、私が知る中で一番敬愛できるお方ですよ。リン様は」


 今までの人形のような表情が一転し、恋する乙女のようなはにかむ深里を見てお狐様は顔をしかめ全く理解できないという顔で深里とリンさんの両方を見比べる。意外なことにリンさんもまるで分からないという顔で深里を見ていた。

 それでも深里は変わらず柔らかな表情でリンさんを見上げている。それは異常だった。敬愛しているといいながら、敬愛している相手が自分に向ける負の感情に全く動じた様子がない。

 この羽澤深里という人間はおかしい。そう理解するには十分な姿だった。

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