2-3 契約条件

「責任はお狐様を起こした人間がとるのが筋かと」

「だから僕はやってないって」


 深里の視線に彰はうなり声を上げる。深里は罪を彰になすりつけたくてたまらないらしい。

 深里をにらみつける彰、余裕の笑みを浮かべる深里。事情を知らなければ彰の方が悪者に見える。理事長に至っては深里の言い分をすっかり信じているようで、いい加減にしないか。と彰に小言を言い始めた。


「あんた神様なんだから自分を起こした人間くらい分かるでしょ!」

「あいにく私が覚醒したときには祠には誰もいなかった。誰が起こしたかはしらん」


 お狐様はあっさりそういうと赤い爪を眺める。自分のことなのに興味なさそうな態度に彰の眉がつり上がった。


「ハッキリいえば誰が犯人でもかまわぬ。私が重要視しているのは誰が落とし前をつけるのか。という話だ」


 かと思えば鋭い視線が彰へと向けられた。それに彰は一瞬ひるむ。

 私も身がすくんだ。子狐様が怒ったときよりも数倍怖い。ただ一瞬、怒気を向けられただけだというのに刃を突き立てられたような恐怖で体が動かない。


「両方とも彼奴の直系だろう? 私が寝ている間にさらに人間離れしたようだが契約は切れていない。ならばたたき起こされた事も含めて支払って貰おう。私はどちらでも構わない。さっさと私の機嫌をとれ」


 そういうとお狐様は足を組みソファに寄りかかる。大胆に着物がはだけて白い足がきわどいところまで見えるが気にした様子はない。腕を組み、彰と深里を値踏みする様子はどこか楽しそうでもある。


「お狐様の望むものを差し出せば、今後もご協力していただける。ということでよろしいですか?」

「……この状況で私にさらに要求しようとは、人間のくせに図々しいな」


 笑顔でとんでもないことをいう深里にお狐様の眉間にしわがよる。私もさっきまでの低姿勢はどうしたと驚いて深里を見た。深里の表情はやはり笑顔。何を考えているのか全くわからず、お狐様とは違う意味で恐ろしい。


「契約は切れていないのでしょう? となれば、条件によっては今後も親しいお付き合いができるのではないかと。その方がお互いにとって利益がありましょう」

「ほーお前は私が何を望んでいるのか分かっているのか?」


 お狐様は馬鹿にした様子で笑う。分からないだろう。人間ごときに。と鼻で笑う姿は傲慢な神でしかなかった。

 私はお狐様が何を望んでいるのか知らない。むかし彰の祖先と契約したという話は聞いていたが、具体的な契約内容については子狐様から聞いていなかった。先に聞いておけばよかったと今更悔やんでも遅い。お狐様の後ろで萎縮している子狐様が教えてくれる余裕はなさそうだ。


「羽澤家は資料を残さないことになっておりますので、契約内容を探すのは大変苦労しましたが、なんとか伝手を当たって探し当てることが出来ました。お狐様が我が祖先と契約した条件は、子供ですね」


 深里はにこりと笑う。

 たしかにお狐様は子供好きの神様で、祠の近くに常に子供がいるようにと学校をつくったとは聞いている。だがお狐様は現状に不満そうだし、子狐様も契約と違うと目覚めた時にいっていた気がする。

 では何が条件なのかと深里を見つめると、深里は笑みを深めた。


「とくに10歳以下の男児をお求めですね」

「ショタコンかよ!!」


 思わず彰が叫んだが、私の感想も同じであった。背後で子狐様が両手を顔でおおってプルプルしている。隙間から見えた顔が赤い。どうりで私たちに具体的な契約について教えてくれなかったわけである。


「そうだ! 私は愛らしい少年を求めた! なのに何だこの状況は! むさ苦しい男しかいない! 10歳以上はお断りだ!!」


 今までになく胸を張り、ハキハキと主張するお狐様に理事長の目が点になっている。家の一族、こんな神様を守ってたの。と言葉にならない感情が透けてみえた気がした。百合先生の眉間のしわも深く、すっかりヤのつく職業の人になっている。


「10歳以下にしかない魅力がありますものね」


 一人納得して見せたのは千鳥屋先輩で、お前は話がわかる! とお狐様が目を輝かせた。そこで意気投合されても複雑だからやめてほしい。


「目が覚めた時には愛らしい童がたくさんいる桃源郷を作っておくというから、私は頑張ったというのに! なんだこの状況は! 詐欺だ! 契約違反だ! ここにいる奴ら全員食らってやろうか!」

「ちょっとまってください! 落ち着いて!」


 ヒートアップし始めたお狐様に慌てたのは理事長だった。ビタン、ビタンとソファをたたく9本の尾は紛れもない怒りを現している。本能的にマズいと察知した理事長の顔は真っ青だ。


「そうですよ。落ち着いてください。約束を違えてしまったことに関しては大変申し訳なかったとしかいえませんが、今後があります。私はこの山を買い取って、一大テーマパークを作ろうと考えているのです」


 穏やかな声で深里がとんでもない事をいい、理事長室の空気が固まった。お狐様だけは目覚めたばかりで現代の知識がないらしく、「てーまぱーく?」と眉を寄せている。


「子供たちが集まる娯楽施設です。それを作ればお狐様の要望どおり、毎日可愛らしい子供たちがここに訪れるでしょう」

「ほぉ……」


 お狐様が興味をもった様子を見て慌てたのは理事長、そして子狐様だった。


「ちょっと待ってください羽澤様! テーマパークを作ると言うことは学校は!? ここはどうなるんですか」

「もちろん廃校ですよ。もともとこの学校は維持費がかかりすぎていますし、ちょうどいいでしょう」

「待ってください! テーマパークにするということは山は!? 更地にするってことですか!」


 更地という言葉にお狐様がピクリと反応した。深里に値踏みするような視線を送る。


「ご安心ください。祠はしっかりと移しますし、今よりも立派にしましょう。お狐様のご偉功と今の祠は釣り合わない。あまりにも小さすぎます。大きく立派な、人、もちろん子供が多く訪れる神社にしましょう」


 深里は耳さわりのよい言葉を続けるが、子狐様の表情はどんどん青くなる。すがるように子狐様はお狐様を見るが、お狐様は考えるそぶりを見せた。


「お前のいうことに嘘偽りはないのか?」

「もちろんですよ。完成までに数年はかかるかと思いますが、その間も祠は別の場所に移転しましょう。幼稚園の近くなんていかがでしょうか?」

「母上様! ここは思い出の山です! それを更地にしてしまうなんて、とんでもないことです!」


 子狐様は必死にお狐様を説得しようとしているが、お狐様は深里の提案に惹かれているようだった。

 学校が廃校になり、山が消え、ここがテーマパークになる。あまりのことに思考が追いつかない。学校が廃校になるのはいつなのか。私たちが卒業まで待ってくれるのか。それともすぐに追い出されるのか。そうなったら彰は? ここで出会った人たちとはバラバラになってしまうのか。


「羽澤様! そうなったら私たちは……!」

「引っ越し先や仕事に関しては配慮しますよ」


 理事長の悲痛な声に深里は笑顔を返した。有無を言わせぬ態度に理事長の顔色がますます悪くなる。理事長はもう少しで定年といった雰囲気のおじさんだ。今から新しい場所で新しい生活を送れと言われて戸惑わないはずがない。


「いくらなんでも……! もう少し考えてからでも!」

「神のご意向にそうことこと重要でしょう。あなた方関本家は代々この土地と祠を守ってきたのですから」


 強制的に押しつけてきたというのに何という言い草だろう。


「そもそもこの土地は羽澤の土地。あなた方に預けていたに過ぎない。決定権はこちらにあります」


 穏やかに笑う深里をみて理事長から血の気が失せる。そんな理事長をみても深里の表情は変わらない。なんだこの人は。血が通っていないのか。


「ということでよろしいでしょうか、お狐様」


 黙り込んだ理事長を無視して深里はお狐様に微笑む。お狐様は何ともいえない顔で深里を見ているが、悪くはない話だと思っているようだ。青い顔をしている子狐様のことも理事長のことも眼中にない。

 この状況をどうにか出来ないかと私は彰を見るが、彰は険しい顔で深里を見ているだけだった。


 彰は羽澤の人間といっても今は佐藤を名乗っているし、元々羽澤の中ではいない者として扱われていた子供だ。それに引き換え深里は羽澤家当主の兄。トキアが死んでから失踪したという話だが、こうして話しているのを見るのに羽澤家としての力は未だに持っているのであろう。

 ただ羽澤の血を引くだけの彰と、羽澤家という大きな権力を使える深里では格が違う。幽霊であったら彰は殴ってどうにか出来るが、ふつうの人を殴ったら彰が不利になるだけだ。

 それは彰だけではない。私たちにも当てはまる。百合先生はただの教師で決定権はないし、千鳥屋先輩は三女だといっていた。今すぐ羽澤に対して何かしらの妥協案を出せるような立場にいない。何しろまだ子供だ。

 小野先輩、私、香奈だって子供。大人の前には何の力もない。それを突きつけられたようで、私は拳を握りしめた。


 何もできないのか。そう諦めかけたとき、轟音と共にドアが勢いよく開いた。ハッとして顔をあげた私は、ドアの前で待機していたリンさんの存在を思い出した。珍しく不快そうな顔をしたリンさんがパンツのポケットに両手を突っ込んだままズカズカと部屋の中に入ってくる。ドアは足で蹴り開けたらしい。


「性急すぎるんじゃねえか、深里」


 深里の前にたつリンさんは無表情だった。声もいつになく低い。

 リンさんは長身の部類だ。真っ黒な外見もあわせて、いつものふざけた調子がなくなるとお狐様とは違った迫力がある。突然そんな男が現れたら誰だって驚くだろう。

 深里も笑顔が消え失せた呆けた顔でリンさんを見つめている。はじめてみる、人らしい表情に私が驚いていると深里は笑みを深めた。今までとは種類の違う、はにかむような笑顔。


「お姿が見えなかったので、てっきり来てくださらないかと思っていました。お久しゅうございます。リン様」


 ソファから立ち上がった深里はリンの前に膝をつくと、深々と頭を下げた。そこに浮かんだ表情は敬愛。


「は……?」


 本日何度目になるか分からない声が漏れる。思わず彰を見れば、彰も、その奥にいる百合先生も信じられない顔でリンさんと深里を凝視していた。

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