二話 策略と悪魔信仰者
2-1 先制攻撃
廊下を進むと理事長室とプレートがかけられた部屋が視界に入る。他の部屋に比べてしっかりした造りのドアはいかにも権力者の部屋といった感じだ。
職員室でも少し緊張するのに、理事長室。彰と出会わなければ縁のないまま卒業したに違いない場所。私は気持ちを落ち着けるために小さく息をはく。
彰は眉間にしわを寄せ百合先生越しにドアの向こうをにらみつけていた。彰からすれば向こう側で待っているのは未知の相手だ。警戒するのも無理はない。
トキアの様子が気になり彰の背後を見る。定位置となっている場所にトキアの姿がない。となればどこに。と周囲を見渡せば、いつもよりも高い位置にトキアが漂っている。なんでそんな場所に? と眉をよせた私と目が合うと、トキアはにこりと笑って天井を指さした。そのままふわりと浮き上がると、天井をするりと抜けて姿が見えなくなる。
とっさに声を上げそうになるのを何とかこらえる。幽霊だとは分かっているのだが、当たり前のように障害物をすり抜ける姿は見慣れない。だいたいは彰の背後に張り付いているから尚更だ。
「トキア君は隠れているみたいね」
千鳥屋先輩が小声でささやく。
わざわざ隠れたということは深里には自分が見える。そうトキアは思っているらしい。
たまたま地方の商店街の写真に写っていた彰を見つけて、洋館を澤部さんに売りつけ、おそらくセンジュカを使ってお狐様を起こし、学校まで足を運んだ。一連の行動を見ていると執着はあるに違いない。トキアが見える可能性は十分にあり得る。それが分かって隠れたということは、見つかると色々とマズい相手。そういうことなのか。
リンさんをチラリとみればトキアが消えた天井をじっと見つめていた。リンさんも何か思うところがあるらしく、その表情はいつもよりも険しい。
深里という人物はトキアとリンさんにとっても無視は出来ない存在。それを改めて感じた私は、緊張で手を握りしめる。
「俺は外で待ってる」
トキアが姿を消した天井から視線を戻したリンさんは百合先生にそういった。百合先生は眉を寄せたが、深里の指示通りに従うのも癪だったのか無言で頷く。
「あちらの指命なのにいいのかしら?」
「指命に従う義理はないだろ」
冷たい声でリンさんは吐き捨てた。クティさんに向ける高圧的な態度とはまた違う、対応を決めかねている。そんな感じのふてくされたとも言える態度だった。
それに対して千鳥屋先輩は、それはそうね。と頷いた。向こうが指命したからといって必ずしも従う必要はない。リンさんであれば尚更だ。
話がまとまると同時に理事長室へたどり着いた百合先生がドアをノックした。佐藤です。と声をかけると、ほどなくドアが内側から開かれる。中から出てきたのはスーツを着た気弱そうなおじさん。見かけたことのない人物の登場に私は目を丸くした。
深里……ではないだろう。おそらく。
「佐藤先生、待っていたよ。さあ、中へ」
安堵の表情を浮かべたおじさんは百合先生を引きずり込むように理事長室へと招き入れた。彰が平然と後に続いたことで、他もぞろぞろと理事長室の中へと足を踏み入れる。
ちらりとリンさんを見れば、リンさんは少し離れた場所にたっていた。中にいる人間からリンさんの姿が見えない位置だ。深里という人物に存在を悟らせるつもりはないらしい。
私はリンさんにも話が聞こえるよう、わざとドアを少しだけ開けておいた。
理事長室に入り、まず視界に入ってきたのは対面式の大きなソファ。そこに向かい合うように座る男女。女性の後ろに侍女のように控えて立っているのは子狐様で、香奈が小さく声を上げる。それに反応して子狐様が視線を動かすが表情は固い。初めて会ったとき、それ以上に険しい顔をみて、私はソファにすわる女性がお狐様なのだと分かった。
金色の髪に赤い瞳。顔立ちは子狐様が成長した姿を連想させ、親子なのだと一目で分かる。胸元の大きくはだけた着物。それでもいやらしさを感じないどころか気品すら漂っているのは神と呼ばれる存在だからか。
そんなお狐様の向かいに臆することなく座っている男性は黒い髪に青い瞳をしている。その瞳の色が彰と同じ色であることに私はドキリとした。中性的で整った顔立ちも、長い髪を一つに結んだ姿も彰と重なる。前に見せてもらった現当主だという羽澤響。彼ともそっくりだ。
間違いなく血縁者。羽澤深里に違いない。
それは部外者の私よりも本人たちの方が分かっている。彰と男性は微動だにせずお互いを見ている。彰はにらみ、男性の方は優雅に微笑みという対称的な反応ではあったが。
「……理事長、こちらは?」
百合先生が困惑した様子でおじさんに問いかける。その姿を見て私はこの人が理事長なのだと気づいた。千鳥屋先輩は知っていたのか動じていないが、小野先輩と香奈も驚いた顔をしている。
寮母さんと見比べるとどうにも覇気がない。おろおろと落ち着かない視線は理事長という立場の人間には見えないし、寮母さんと比べて大分老け込んで見えた。寮母さんが理事長の妹であることは一部しか知らないと聞いたが、これでは言われても信じられないかもしれない。
「深里様がいうにはこの山の主であると……」
理事長は信じられない顔でお狐様を見た。それに対してお狐様は何の反応もなく、退屈そうに髪の毛を指に引っかけて遊んでいる。普通よりも爪が長く鋭い。赤く彩られた爪を見て、神様もマニキュアを塗るのだろうかと関係ないことを考える。
この山を管理するにあたって祠の話も聞いていそうなものだが、理事長の反応から見て信じてはいなかったようだ。それも仕方がないのかもしれない。そういった者が世の中に存在している。そう認識している彰とは違い、寮母さんも理事長も見ることの出来ない普通の人。しかもお狐様も子狐様も彰が入学するまで眠りについていたのだ。
「正真正銘、この山を守りし山神。お狐様であらせられます」
理事長に温和な顔でいったのは深里だった。それに対して理事長が明らかに恐縮した様子で、申し訳ありません。不勉強で。と頭を下げる。勉強も何もないと思うのだが、完全に萎縮している。力関係ができあがっている姿を見て私がなんともいえない気持ちでいると、髪を弄っていたお狐様が不快そうに眉をつりあげた。
「長年放置しておったくせに白々しい。寝ていた所をたたき起こしたあげくに手土産もなし。契約に関しても違えておる。神とあがめるにしてはずいぶん不敬ではないか、人間?」
一気に部屋の空気が冷える。香奈が小さく悲鳴をあげ、子狐様が慌てた様子を見せる。それでも母には何も言えないのか、嵐を過ぎ去るのを待つかのように身をこわばらせて様子をうかがっていた。その姿がいつもの子狐様とは違いすぎて気になった。
「それは申し訳ない。私もつい最近になってこちらの存在を知ったのです。こちらとしましては祠を責任を持って管理するようにと関本家にお願いしたのですが、どうやら関本家の中での引き継ぎに問題があったようですね」
にこやかに深里は微笑みながら理事長を示した。それに理事長の顔は青くなる。穏やかな顔をしているが、要するに羽澤家は関本にちゃんとお願いしたから管理が出来てないのは羽澤の責任じゃなく関本家のせいだ。と責任を丸投げだ。コイツは彰よりも性格が悪い。
「人間の事情など私には関係ない。問題は契約が遂行されていないこと。私のことを無理矢理たたき起こしたことだ。そこの気の弱い人間が私をたたき起こすなどという大それたことを出来るはずがない。となればお前だろう。何の目的だ」
「いえいえ、私だって神様の眠りを妨げるなんて恐れ多いことするわけがないじゃないですか。やり方すら知りません。何しろ私は普通の人間。お狐様が私たちの前に姿をお見せしてくれなければ、見ることすら出来ない下等な人間であります」
深里はそういうと深々と頭を下げる。それをお狐様は面白くなさそうな顔で見下ろした。納得いっていないのは明白だ。
「けれど、そちらの、うちの愚兄の息子はどうやら見ることが出来るようで」
「は?」
「近頃は勝手にお狐様の名をかたって人の信仰を集めていた様子」
「ちょっとまって」
「近いうちに商店街にも子狐様の祠を建てる計画を立てているとか」
「お前さっきから何言って!」
彰の声を聞こえていないかのように無視して深里は笑う。
「どうやらお狐様の代わりに子狐様を祭り上げ、山の覇権を奪う算段のようです」
お狐様の目が細くなる。それは本当かと値踏みする様子で深里を見た。それから驚きのあまり言葉を失った彰を見る。最後に青い顔で硬直する我が子を見てから、お狐様は口の端をあげた。
「それはずいぶんと面白い話だな」
やれるものならやってみろ。そんな好戦的な笑みを見て、はめられたのだと私は気づいた。
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