1-6 戦闘準備

 ほどなく戻ってきた百合先生は私たちの空気に首をかしげた。何かあったのか? と聞かれても、私はなんと言っていいか分からない。私が彰に恥ずかしい事を言いました。なんて口が裂けても言いたくない。香奈が何かを言おうとしたのを慌ててふさげば、百合先生はそれ以上何も聞かずにいてくれた。

 しかし未だに神妙な顔をする彰とトキア、下を向くリンさんの姿には眉を寄せている。この三人が押し黙っているのは百合先生から見ても珍しいことらしい。


「同席の許可はもらえた。元々会う予定だったからちょうどいいと言っていたが、本当に何があったんだ」

「会うつもりだったって……」


 ものすごく嘘くさいんですけど、本当ですか。という気持ちを込めてトキアを見れば、トキアは笑みを浮かべていた。先ほどまでの神妙な顔が嘘のようなうさんくさい笑みだ。この笑みをみる限り、トキアも「嘘つけ」と思っているらしい。

 百合先生もトキアの表情を見て何かを察したらしく、ものすごぉーく嫌そうな顔をした。


「同席の許可が下りたって事は、洋館の事件の関係者とみていいのかな?」

「洋館って……まさか丘の上じゃないよな?」


 思わず出た香奈の言葉に百合先生の低い声が続いた。香奈はびくりと肩をふるわせて恐る恐る百合先生を見る。そこには鬼も逃げ出すような形相をした百合先生がいて、思わず私も悲鳴を上げた。


「ちょっと百合ちゃーん、子供怖がらせちゃメッでしょー」


 彰の背後を離れたトキアが百合先生と私たちの間に割って入る。突然どアップになったトキアに百合先生は目を丸くして、少しだけ罰の悪そうな顔をした。


「誰も悪くないよ。今回は商店街からの依頼でいったの。何なら行くように誘導されたの」


 ため息混じりに彰がいうと百合先生の眉間のシワが深くなる。説明しろ。という無言の圧に彰は肩をすくめた。


「千鳥屋先輩たちが戻ってくるまでまだ時間ありそうだし、情報共有しとこうか。整理もしたいし」


 彰の言葉に私はうなずいた。昨日の今朝と色々ありすぎた。状況を整理したい。


「でも授業は?」


 香奈が私たち以外の人気がなくなった昇降口を見て不安そうな顔をする。もう教室に行かないとホームルームが始まる時間だ。香奈だって深里のことは気になるだろうが、真面目だからこそ授業に遅刻するのも気になるに違いない。


「それなら理事長が深里さんとの話を優先するようにと」


 顔をしかめる百合先生を見て香奈は目を丸くする。私も驚いた。授業よりも突然あらわれた来客を優先しろなんて相当だ。それほどまで理事長にとって無視できない存在ということだ。学校の成り立ちを考えれば当然とも言えるが、権力を見せつけられたような気がする。


「じゃあ、理事長のご厚意に甘えようかな」


 彰はフンっと鼻を鳴らして腕を組む。気に入らないとつり上がった眉が主張しており、トキアが顔をしかめている。それをリンさんはなんとも言えない顔で見てから、口を開いた。


「えーっと、商店街に依頼が入った話からでいいか?」


 リンさんの言葉に頷くとリンさんは昨日起こった出来事をかいつまんで話し始めた。彰に知られてはまずいことは見事に避けている。その危なげない語り口を見ると、見た目のチャラさのわりには頭の回転が早いのだと分かった。

 そもそも生きている年数が違うのだ。リンさんの中に詰め込まれた知識と経験は人間がどれだけ足掻こうと得られないものだ。


 それでもリンさんが人ではないこと、トキアの存在も知っている百合先生は誤魔化せなかったらしい。彰は何の疑問ももっていないようだったが、時折百合先生はトキアの反応を見ていた。本当にそれだけか? と確認するような視線にトキアは始終笑みを返している。

 私にはトキアが何を考えているのか全くわからなかったが、百合先生はかすかに眉を寄せていた。私よりもトキアとリンさんの付き合いが長いだけあって、彰がいる手前ごまかしている部分があると確信したようだった。

 彰がいないときにでもリンさんかトキアに問いただすのだろう。保護者として百合先生がそうするのは当然だが、リンさんとトキアも全ては語らないだろうと私は確信している。


 世の中には知らなくていいことがある。

 羽澤の呪いの真相はまさにそれで、百合先生は知らない方が幸せに生きられる人だ。

 部外者である私だって少なからずショックを受けた。彰をここまで育て、妹の忘れ形見として大事にしてきた百合先生からしたら到底受け入れられる話とは思えなかった。

 彰は何も悪くない。けれど、彰の命は大きな犠牲の上で成り立っている。その犠牲の中には彰の母親。百合先生の妹も含まれるのだ。


 受け入れられない。それならまだいい。けれど、悲しみや怒りが彰に向かってしまったら。それを想像したら私にはとても言えなかった。


「お前ら、そんな危ないことしてたのか」


 教師として大人として、何で連絡しなかったと眉をつり上げる百合先生。それにリンさんがごめんなー。と軽く手を合わせた。その態度に百合先生の顔がさらに険しくなるが、リンさんに言っても無駄。それは私よりも理解しているのだろう。無理やり怒りを飲み込んで息をはく。


「香月も坂下も昨日、今日と疲れただろ。すまないな面倒ごとに巻き込んで」

「いえ、私は……」


 香奈が慌てた様子で両手をふる。私も気にしてません。と返した。それは建前でもなく本音だ。その返答に百合先生は意外そうな顔をした。


「……お前ら、変わったな」

 百合先生の言葉に私は固まった。香奈も驚いた様子で目をまたかせている。


「香月は最初の頃いかにも渋々って態度だったし、坂下は好奇心に振り回されて周りが見えてなかった。俺からすれば危なっかしく見えていたんだが、今のお前らはなんだか落ち着いたな」


 百合先生はいかにも先生という顔で笑う。強面教師と言われているのに、笑うと優しく見えるのはギャップ故か。その技を私と香奈にかけるのはやめて欲しい。何だかいたたまれない気持ちになって私は視線をそらす。


「彰も感謝しろよ。ここまで付き合ってくれる友達なんてめったに出来ないぞ」

「……僕は付き合ってなんていってないけど」


 百合先生に水を向けられた彰がそっぽを向く。それに百合先生は素直じゃないなという顔をした。


「これからまた巻き込むんだから、今のうちにお礼いっとけ」

「巻き込まれるの確定なんですか……」

「確定だろ。向こうが様子見ですませるのか脅しが始まるのかはしらないが」


 百合先生の言葉に私は眉をしかめる。穏やかに終るとは思っていなかったが、改めて大人から他の可能性を示唆されると怖くなってくる。香奈の表情も青い。


「そんな心配すんなって、俺がいるから大丈夫」

「なんて頼りにならない言葉だろう……」


 笑顔で励まそうとしたリンさんの言葉を顔をしかめた彰が叩き落とす。なんで! と叫ぶリンさんに日頃の行い。と返す彰は正論だった。


「ふだんのリンは全く頼りにならないけど、相手が深里なら多少は期待できるかもよ」


 彰がリンさんに気をとられている間にトキアが私と香奈の間に移動して言う。どういうこと? と視線で聞けば、トキアは神妙な顔をした。


「深里は悪魔信仰者だから」


 なにその、全く安心できない単語。

 そう口に出さなかった私は偉いと思う。


 詳しい話を聞こうとした私の耳にお待たせ。という声が届く。この声は千鳥屋先輩だと振り返れば、そこには着物姿の美女がいた。紺色の着物には白で見事な花柄が描かれており、赤い帯が質素にも見える着物を鮮やかに飾り立てている。ツインテールにしている髪は後ろでアップに編み込まれ、帯と同じ赤い花があしらわれた簪が彩っている。

 いつもはしている眼帯も外され、左右で色の違う瞳と色素の薄い綺麗な髪。白い肌が美しさを演出し、ゴスロリ服とは違う魅力を際立たせている。


「千鳥屋先輩、きれい……!」


 香奈が思わずといった様子でこぼした言葉に千鳥屋先輩は優雅に微笑む。初めて会った時のゴスロリ服。商店街で見たときのTシャツ姿。そのどれとも違う新たな装いに私は何も言えずに唖然とした。


「気合い十分って感じですね……」

「相手は深里様だから。中二病で度肝を抜いてこっちのペースって戦略は使えないだろうし」


 分かっていたけれど、あの格好と言動は自分優位に話を進める為なのだと改めて千鳥屋先輩の賢さを感じてしまう。

 戦闘服。そうゴスロリのことを言っていたが、ゴスロリだけでなく服というものが千鳥屋先輩にとっては自分を彩る武器なのだろう。状況と相手によって印象を変え、相手の注意や度肝を抜き、自分を強く見せる。なんて鮮やかで熟練された戦略か。


「花音の和服は貴重だから、違う機会に見たかった……」


 千鳥屋先輩に続いていた小野先輩がぽつりとつぶやいた。心底残念そうな顔で千鳥屋先輩を見る姿はしょぼくれて見える。どうせ見るなら穏やかな日常で見たいのは同意だが、自分だけが。という独占欲が入って見えるのは気のせいか。いちゃつくなら後にしてほしい。


 では出陣。とばかりに歩き出す千鳥屋先輩と後に続く小野先輩。懐かしいな。とつぶやくリンさん。浮き足だった表情でついて行く香奈に花音ちゃん可愛い。と千鳥屋先輩にすりよるトキア。理事長室に向かうとは思えない穏やかな姿を少し離れたところで眺めていた百合先生が、


「……千鳥屋の辞書に制服って文字はないのか?」


 そうつぶやいた事には私も、隣で聞いていた彰も聞こえなかったふりをした。

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