1-5 呪いは解けても
靴を履き替えて廊下の隅に3人で固まる。彰の表情は険しいし、香奈の表情は不安げだ。私も二人と似たり寄ったりな顔をしているに違いない。
その隣できょろきょろと周囲を見渡すリンさんだけが異質。周囲の視線もリンさんへと集まっているのだが、リンさんは意に介さず自然体。何人かから「あの人、前に演劇やってた……」という囁き声が聞こえて、そんなこともあったな。と私は思いをはせる。
商店街復興のために校内で突如パフォーマンスをしたのは少し前。一カ月もたっていないというのにずいぶん昔のような気がする。主に昨日の記憶が濃すぎた。その前のトキアを怖がっていた時期の記憶もなかなか濃密だったが、今となれば何であんなに怖かったのか分からない。未知の気配に過剰に怯えてしまっていたが、中身が分かればはた迷惑なブラコンだ。呆れはするが怯えに関しては消え失せている。
そのはた迷惑なブラコンは神妙な顔をする彰の頭上にふわふわと浮いていた。先ほどリンさんを笑っていたとは思えない、思いやりにあふれた表情で彰を見つめている。なんて変わり身。とさらに呆れてしまうが、今気にすべきはトキアではなく彰だろう。
「洋館の件は、深里さんが関わってると思う?」
「タイミング的には関係ないとは思えない」
私の問いに彰は考えながら頷く。彰の後ろのトキアに視線を向けるとニコニコ笑っていた。肯定しているようにも否定しているようにも見える表情は能面みたいだ。さっきまでの人間味あふれた顔はどこに消えてしまったのか。
それでもトキアが何かを知っているのだと私は確信した。同時に教えてくれるつもりはないことも。
「彰君からみたら叔父さんにあたるんだよね……」
私の言葉に彰とリンさん、トキアが同時にこちらを向いた。視線が痛くて表情が引きつる。3人とも圧が強すぎるのだ。
「……そういうことになるんだね。実感わかないけど。会ったことないし。名前もはじめて聞いた」
「響と深里は折り合い悪かったからな」
「折り合い悪かったっていうか、深里が響嫌ってたね」
リンさんの言葉に続いてトキアがニコニコ笑いながら補足を入れる。それは笑えることなのだろうか。父と叔父の関係が険悪。想像するだけでも面倒くさそうな状況に私の表情は引きつった。
そんな環境ではさぞ居心地が悪かっただろうと彰を見れば、彰はそうなんだ。と他人事のような感想をつぶやいている。
「……彰君、家のことってどのくらい知ってるの?」
隠されて育てられた。その事実を思い出して私は嫌な予感がした。私の問いに対して彰はいつもよりも幼い顔で大きな瞳を瞬かせる。その姿を見て嫌な予感が加速した。
「羽澤って苗字に愛着が全くないくらいには知らない」
「……わあ……」
思わず声が漏れ、私はトキアとリンさんを見た。お前ら、どうするんだこれ。と非難の視線を向ければ、トキアはニコニコ笑っていた。精神が超合金で出来ているらしい。対してリンさんは明後日の方向を向いている。これは流石にまずいと思うところはあったらしい。
「そういうわけだから、僕もナナちゃんとカナちゃんとほとんど変わらない立ち位置なんだよ。深里って人が何しにきたのか全く分からない」
彰はそういうと壁に背を預ける。いつも自信満々の彰だが今回は相手が相手だ。彰が気付いているのかは分からないが、彰を殺そうとし、トキアを代わりに殺した首謀者である。目的も分からなければ得体も知れない。まだあってもいない相手に対しての危機感だけが増していく。
「何で今更、この学校の権利をもらいたがるんだろ……。今の羽澤にとってこの学校に価値なんてある?」
「ないだろ。羽澤の奴らはほとんど覚えてないだろうし」
リンさんは彰の問いに答えながらトキアを見た。トキアも同意見らしく頷いている。
この学校は羽澤の土地をお狐様に浄化してもらうため、交換条件として維持されてきたとリンさんは言っていた。となれば呪いが解けた今、土地を浄化する必要はない。
そもそも羽澤の人間は自分達にかけられた呪いをどの程度まで把握しているのだろう。
「彰は羽澤の呪いがどんなものか知ってるの?」
ふと浮かんだ疑問を口にする。リンさんとトキアがぎょっとした顔で私を見た。香奈も驚いた顔で私を見ている。突然何をいうのかと。
彰は私の問いに虚をつかれた顔をした。彰からすると全くの予想外だったのだろう。
「……正直よくわからない。呪われているとは散々言われたけど、具体的なことは。ただ双子の上は化け物だから隔離するって」
彰の言葉に私は眉を寄せた。何てお粗末な説明だろうか。真実を彰に話せなかったとしても、もう少し納得のいく事情説明は出来なかったのか。そう思いながらリンさんとトキアを見れば、二人とも神妙な顔をしていた。
「……寮母さんは羽澤家の歴史について調べてたんだって。それによると、双子の上はだんだん人じゃなくなるらしいよ」
リンさんが慌てた声をあげる。言葉にならないそれは私の声を遮るほどの力はなく、私の言葉は彰へとしっかり届いた。彰は目を瞬かせ、それから自分の手を見る。
「……人じゃなくなる?」
人にも化物にもなれなかった半端者。そう彰は子狐様にいっていた。彰も自分が人ではない何かであると感じていたのか。それとも生まれてすぐに化物だと隔離された環境からそう思うようになったのか。
私にはどちらが正解なのか分からない。ただ、改めて突きつけられた事実に彰が動揺しているのはわかった。
「っていっても昔の話で、今はほとんど効力ないってさ」
見た目の変化はなくなった。そう寮母さんはいっていた。ということは、トキアが何とか呪いを解こうとした効果はあったのだろう。彰の見た目は普通の人と変わらない。一般人との差は身体能力がやけに高いのと霊感体質なことぐらい。それでも十分違うという人はいるだろうが、腕が四本あったり、目が3つあった時期に比べればずいぶん落ち着いたに違いない。
「だから呪われてるっていってもさ、昔の話なんだって」
真実ではないが嘘でもない。トキアは呪いが解けているといった。それならば彰は呪われていない。トキアが繰り返した呪縛から解放されている。そのはずだ。
しかし、視界の端にうつったリンとトキアの表情は呪いが解けたにしては悲痛なもので、解けただけで終わったわけではなかったのだと私は察してしまった。それでも私は表情を取り繕う。彰ほどうまくは出来なくても、今だけは上手くやらなければいけない。
「だからさ、彰君が気に病むことじゃないよ」
深里が何を考えてきたのか分からない。センジュカと呼ばれた女性が何者かも。呪いは解けたといっても、全てが解決したわけではない。何度も繰り返してねじれて、こんがらがった糸は今も彰を縛り付けている。
けれど彰は知らないのだ。自分が何に縛り付けられているのかも、どうしたらそれが解けるのかも。知らない間に積み重ねられた幾つもの呪縛を当事者である彰が知らない。その異常性を。
彰は知らなかったことを知るべきなのだろう。
それでも全ては知らなくていいのだ。きっと知れば耐えられない。人の屍の上に自分が立っている事実に、トキアの死すら受け止め切れていない彰が耐えられるはずがない。
だからトキアは彰に隠した。
だからこその今のこんがらがった状況がある。
それに気づいて私は叫び出したくなる。
「彰君は自由になっていいんだよ」
私の言葉に彰は目を見開いた。大きな瞳に写った私の顔は泣きそうで、何で私の方が泣きそうな顔をしてるんだと自分に笑いそうになる。
「他人のことなんて気にしなくていいんだよ」
弟が大切すぎて死を選んだ最初の彰。その後も何度も何度も彰は自分よりも他人をとった。その結果が今。それならば彰は今度は自分をとらなければいけない。この負の連鎖を終わらせるためには彰は自分自身を選んで、トキアを捨てなければいけない。
それは何て酷なことだろう。二人で一緒に乗り越える未来はないのか。二人とも幸せになれる選択はないのか。そんなことを考えて、そんな都合のいい結果があるならばここまで来ることもなかったのだと悟ってしまう。
トキアだって最初から自分を犠牲にする方法をとったとは思えない。最初は二人で生きようとした。それが不可能だと気づいたから捨てたのだ。目的を達成するために他の不要なものを全て。それが自分の命だったとしても。
なんて自分勝手で、なんて欲深い兄弟なのか。頑固で傲慢で執念深い。手に終えないにもほどがある。見た目だけで中身はまるで違うのに、そんな厄介な所だけそっくりなんて。
「彰くんはそろそろ気づくべきだよ。彰くんが泣けば悲しむ人がいて、彰くんが不幸になったら辛い人がいて、彰くんが幸せでいればそれだけで幸せになれる人がいる」
私の言葉に彰とトキアが目を見開く。外見の差はひらいてしまったのに、同じ表情をした双子に私は苦笑した。
「彰くんは自分の幸せを考えないとダメだよ。彰くんの弟はただ生きてほしいから彰くんを助けたんだよ」
生きる。生き物にとって普通のことをどれだけ彰が投げ出してきたのか、彰だけは知らない。そんな彰が今生きているのは、弟の代わりに生き延びてしまった。その罪悪感からなのだ。しかしそれだって、自分が生きたいからではない。他人の命を踏み台にしてしまったからだ。そこに彰の生きたいという意志があるようには思えない。
だからこそ彰は他人ではなく自分の意志で生きたいと思えるようにならなければいけない。それがトキアの願いであり、この面倒な双子に人生を狂わされた私の願いでもある。
「そのためにも、まずは深里さんがなにしに来たか確認しないとね」
急に恥ずかしくなって、わざと茶化した口調で言えばクスクスと香奈が笑う。彰は何かを考えているようで、トキアも神妙な顔をしている。
リンさんは私をじっとみていた。私の真意を探っているにしては弱々しい。それは彰が傷つくたびに見せた迷子の子供みたいな不安そう顔。
私が不思議に思いリンさんを見つめ返すと、リンさんは眉を下げた。それでも無理に笑顔を作る。痛々しい。その表情の真意は私には分からない。けれどリンさんも彰に対して何かを考えているのだろう。
そういえば羽澤でいう所のリンさんの立ち位置はひどく曖昧だ。双子を呪ったのは魔女。悪魔は関係ない。それなのに、いつの間にか悪魔は羽澤にとって切っても切れないものになった。兄を救うチャンスをやる。そういったのだとトキアは言っていたが、チャンスとは生まれ変わりとは違うのだろうか。
双子の呪いの真相が分かっても、リンさんとトキアの関係は未だ謎に包まれている。最初の話通りであればリンさんがトキアの言うことを聞く理由はないし、彰に対して過保護になる理由も分からない。
ここまで来ても謎が残っている。それに気づいてしまって、羽澤家というものは本当に一筋縄ではいかない一族なのだと私は頭痛をおぼえた。
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