1-4 謎の訪問者
森を出るとそこにはいつもと変わらない日常がある。それぞれの寮から出てきた生徒たちがおしゃべりしながら並んで歩いたり、合流した男女が朝の挨拶をしていたり、入学してからずっと見てきた光景がそこにある。昨日事件に巻き込まれたのが嘘のような穏やかで平凡な世界に私は目を細めた。
同じ制服をきた彼らは長く眠りについていた神様が目覚めたことも、羽澤深里と名乗る人物が山と学校の管理権を主張して乗り込んできたことも知らない。想像すらしていない。
何も知らないと言うことは平和な事だ。入学当初は私も何も知らない一般多数になることを望んでいた。今でも平和に過ごせるならそれに越したことはない。そう思っている。
しかし、何も知らない。何も気づかないうちに自分が過ごす場所に大きな変化が訪れる。それはとても恐ろしいことなのではないか。そんな風にも思うのだ。
「なんでそっちから来るんだよ……」
困惑のにじんだ声が聞こえて視線を向ければ、校門の方から歩いてきた百合先生が顔をしかめていた。彰が来るなら校門だろうと待っていただろうに、まさか森から現れるとは思っていなかったのだろう。私たちが一緒なことにも驚いている様子である。
私、香奈、千鳥屋先輩、小野先輩。最後のリンさんを順番に見てから、再度顔をしかめる。とくにリンさんには「なんでお前がここに」という表情を隠しきれていない。いや、隠す気すらないようだ。
「彰……昨日はどこにいたんだ」
眉間にしわを寄せる百合先生に彰は困った顔をした。なんともいえない顔で私たちを見渡す。いつもの彰であれば絶対にしない行動だ。都合の悪いことがあったら笑顔で押し切る。それが彰だが、今回に関しては彰も事情が分からない側なのである。
気がついたら次の日だった。彰の体感としてはまさしくそれで、ざっくりとした事情しか聞かされていない。クティさんの家に厄介になった経緯も、リンさんがどういう風に百合先生に説明したのかも知らない。彰は何をどう言うべきか考えあぐねて、最終的にはリンさんの足に軽く蹴りを入れた。
お前が何とかしろ。という事らしい。
「……えぇっと、親睦を深めるためのお泊まり会みたいな?」
「誰とどんな親睦を深めてきたんだ」
リンさんの苦しい言い訳に百合先生が納得するはずもなかった。腕を組んでリンさんをにらみつける姿は貫禄があり、登校途中の生徒の視線も集まっている。ただでさえ彰に千鳥屋先輩、小野先輩と目立つ顔ぶれだ。そこに謎の人物リンさんが加わったことで、周囲の興味を引き立てる事になっている。
あの人だれ? という声を耳が拾って、目立つよねえ……。と私は苦笑を浮かべるほかなかった。
その後もリンさんは上手い言い訳を考えようと、あーだとかうー。だとか言葉にならない言葉を繰り返していたが、悩んだところでよい案など思い浮かばなかったらしい。
彰の後ろであきれた顔をしていたトキアがふわふわと百合先生へと近づくと、にっこり笑った。
「面倒くさい奴に絡まれたから隠れてたの」
トキアの笑顔に百合先生が顔をしかめる。しかしながら、それで納得はしたらしく大きなため息をついた。その面倒くさい奴について聞きたそうではあったが、今ここで聞いても詳しい話は出来ないと思ったのだろう、トキアを一瞬みてからリンさんに視線を向け「詳しくは後で」と鋭い眼光で言い放つ。
「電話で言ったとおり、面倒くさいお客様が来てる。リンと彰に用があるって応接室に居座ってるから、顔出せ」
「リンも?」
彰が困惑した表情を浮かべて、リンを見上げた。リンさんは苦虫をかみつぶしたような顔をしている。珍しいと私がリンさんを見たが、周囲も似たような反応だ。
トキアだけはクスクスと愉快そうに笑っている。
「……私たちは同席できないのかしら?」
口を挟んだのは千鳥屋先輩だ。シェアハウスからそのまま来たため、未だ私服の千鳥屋先輩は制服の集団の中では浮いている。そして普段のトレードマークのゴスロリ服も眼帯もないため、あの子だれ? 可愛い。というささやき声が主に男子生徒から聞こえてきた。
その声に小野先輩の表情が険しくなる。なんともわかりやすい人だと私があきれている間も千鳥屋先輩は百合先生を見つめ続けていた。
「あっちの指名はリンと彰だからな……」
「洋館の件で聞きたいことがあります。と伝えてもらえませんか」
「洋館?」
「言えば分かります」
千鳥屋先輩はじっと百合先生を見た。百合先生は困った顔で千鳥屋先輩を見返すが、千鳥屋先輩の目はそらされない。根負けしたのは百合先生の方で、ふぅっと息を吐き出してから私の方へと向き直る。
「何があったんだよ」
昨日、何かがあったと確信した様子に私は動揺した。なんで私に聞くんだと思ったが、この中で一番反応がわかりやすいからだろう。香奈の場合は百合先生が睨んだだけでおびえる可能性があるから、百合先生としては論外だ。
「……詳しい話をすると長くなるので……」
これに関しては本当のことだ。時間のあらましから結末まで語っていたら、あっという間に授業が始まってしまうだろう。
私の返答に百合先生はガシガシと頭をかくと、仕方ないと言わんばかりに大股で校舎の方へと歩いて行く。
「一応いってはみる。千鳥屋は着替えてこい」
百合先生の言葉に千鳥屋先輩は頭をさげた。千鳥屋という名前に周囲がざわめく。えっうそ。という声と共に突き刺さる視線に小野先輩が眉をつり上げた。
「……小野先輩、寮まで送ったらどうですか?」
「そうする」
当然だとばかりに千鳥屋先輩の手を引いて小野先輩が歩き出す。千鳥屋先輩はほんの少し目尻を下げ微笑むと、私たちにひらりと手を振って歩き出す。集まる視線に小野先輩が歩きながら周囲を威嚇する。そうすれば遠巻きに見ていた生徒たちが慌てて顔をそらした。普段はどちらかというとのんびりした空気の先輩だが、ヤンキーだと誤解されていただけのことはある。本気で怒った時の小野先輩は間違いなく怖いだろう。できることなら本気の姿をみないまま穏やかに過ごしたい。
「……僕らは待機かな?」
「とりあえず校舎はいる?」
百合先生は校舎の中に入ってしまったし、小野先輩たちもいてしまった。お客様が来ているとしたら校長室か理事長室、応接室なんてものもたしかあった気がする。いずれも一階だから百合先生はすぐ戻ってくるだろう。
リンさんはどうするのとか見れば、迷うことなく来客用のスリッパを取り出していた。何で場所を知っているんだと疑問がわいたが、リンさんだ。私たちが気付かなかっただけで、ばれないように学校内を探索していたとしても不思議じゃない。
私と同じ結論にいたったらしい彰の表情が険しくなる。無言で彰がリンさんの足をけると、ギャッと悲鳴が上がった。それを見てトキアが愉快気に笑う。
この光景も慣れてきたなと私は極力彰たちを見ないようにしながら下駄箱から靴を取り出した。
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