最終章 約束の場所
一話 珍客と開戦
1-1 白い女
その瞳をみた瞬間、私の人生は決まりました。
美しい赤色の瞳。漆黒の髪。人には想像出来ない長い時を生きる、人の理から外れた存在。まさに神と呼ぶべき存在が目の前にいる事実。高貴なる存在をたたえる一族に生まれたことに私は感謝し、彼のために生きるために生を受けたのだと確信しました。
黒く美しい彼は私を見るとかすかに口角をあげ、私の頭に軽く手を置きながら言いました。
「お前は将来、羽澤を引っ張る」
その言葉に私は歓喜を覚えたのです。彼の役に立てる。彼に尽くせる。これ以上の喜びはこの世に存在しない。そう私は確信していました。ですから、彼のため不出来な兄の代わりに羽澤家を導いていこう。そう決意したのです。
そんな私の決意が伝わったのか、彼は私に目をかけてくれました。子供たちの中では間違いなく私が一番彼に愛されていたのです。それは私の勘違いではなく、揺るぎない事実でした。
アレが生まれるまでは。
あの日、アレを初めて見た彼の表情を覚えています。初めて彼をみた瞬間と同じように、いえ一層激しく強烈に、何度も何度も脳裏に浮かんでは消え、私に憎悪を抱かせる。それほどまでに私にとっては衝撃的で、絶望といってもいい出来事でした。
彼は生まれたばかりのアレを見て、笑いました。私に向けるものとは根本的に違う。無邪気な子供のような顔で。壊れものを扱うかのように優しく、丁寧に、アレを抱き上げるとその顔をのぞき込み、はっきりとこう告げたのです。
「コイツが次期当主だ」
周囲のざわめきが遠いところに聞こえました。視界の端に移った両親は青ざめ、震えていました。それから私に視線が突き刺さるのがわかりました。
アレが生まれる前まで、次期当主は私。それが一族の総意であり、揺るがないだろうと誰もが思っていたのです。
「大事に育てろ。殺すことは許さねえ」
彼はアレに向けた笑顔とは比べものにならない冷たい目で私を見ました。
初めてでした。アレが生まれるまで、彼に微笑みを向けられていたのは私だけだったはずなのに、彼はもう私に少しも興味を持っていないようでした。
「コイツの婚約者は俺が探そう」
初めて見る浮き足だった彼の姿に、私は奈落へと突き落とされたような気持ちになりました。彼はその場にいる私たちなど興味がないかのように、アレを抱えて歩き出し、ふと何かを思い出したかのように足を止めました。
「コイツ、名前は決まってるのか?」
「ひ、響です」
「響か……」
震える父の声を聞いて満足そうに笑った彼は、今度こそ私たちには見向きもせずその場を後にしました。
この日から、彼の視界に私は入らなくなりました。
そして彼は少しずつ変わっていったのです。彼はたしかに神でした。人ではない、高貴な存在でした。それなのに彼はアレに合わせて人のまねごとをするようになり、だんだんと人へと堕ちていきました。
私が陶酔した、人生を捧げようとした存在はアレのせいで死んだのです。アレは最愛の存在を私から奪っていったのです。
ですからこれは、当然の復讐なのです。
***
後戻り出来ないところまで来てしまった。
怪しく微笑む白い女性を見て私――香月七海は確信した。これは洋館の女と同じくらい、下手したらそれ以上にまずい相手だと。
彰に出会ってから、中学時代には想像もしなかったまずい相手と何度も遭遇した。
神である子狐様。策略系ストーカー女、重里玲奈。人には食べられないものを食べる人外、クティさんとマーゴさん。悪魔と呼ばれるリンさん。彰の後ろにずっと憑いていたトキア。トキアを慕う洋館の怨霊千代子。
高校に入学してから一年もたっていないのに、ずいぶん遭遇したものだ。これだけだったら気が滅入るが、嬉しい出会いも多かった。
一緒に奔走してくれる小野先輩や千鳥屋先輩は、中学の時であればまず関わりにならなかっただろう。片方はヤンキーだと噂されているし、もう片方はゴスロリ中二病。小野先輩は噂に尾ひれ背ひれがついただけで、実際は八百屋の長男。千鳥屋先輩はただのキャラ作りだが、そんな真実には気づかないままだったに違いない。
他にも不良を卒業して真面目になった尾谷先輩。イケメンだがどこか危うい小宮先輩や、しっかりもの過ぎてオーバーワーク気味の日下先輩。顔面凶器だが面倒見がいい百合先生。穏やかに見えて怖い寮母さんなど、バラエティーに富んだ年齢も経歴もバラバラな人たちと知り合うことになった。
ここまで人との縁がつながるなんて、高校の入学式には考えもしなかった。ただ静かに無難に、高校を卒業して、入れそうな大学に入って、就職する。その程度。未来への展望も決意も何もなかったのだ。
そんな私が気づけばこんな場所にいる。
人外たちが暮らすシェアハウス。一般には存在を隠された秘密の場所。一昨日までは存在すら知らなかった場所で朝を迎えて、今は招かれざる客と対面している。
センジュカと呼ばれた女性は何もかもが白かった。白い髪に白い瞳、白い肌。髪を結った赤い大きなリボンや時代錯誤にも見える赤いコルセット。レースのあしらわれたロングスカートに編み上げたブーツ。いいとこのお嬢様のような品の良さと美しさをもってしても、白すぎる印象が不気味さを垣間見せる。
優雅にたたずむ姿からは想像できない冷たい視線と声で彰。いや、その後ろにいるトキアを見つめる姿は雪の女王といったところだ。
「誰、こいつ」
彰が不機嫌な声でリンさんへ聞く。突然現れた知らない女に「頭がたりない鈍感」と罵倒されたわけだ。彰が怒るのも無理はない。
その怒りを受け止める形になったリンさんは顔をしかめ、困った様子で天を仰ぐとトキアをチラリとみた。彰に気づかれないようにと些細な動き。私は彰が私を見ていないので堂々とトキアを見たが、トキアの表情は険しい。どう対応しようか判断しかねている様子に私は驚いた。
トキアは彰を溺愛している。彰を救うために何度も死んで、生き手を繰り返したほどだ。そんなトキアがいきなり彰を罵倒されて何の反応もしない。一体どういうことだとリンさんを見るが、リンさんは困った顔で視線を彰へと戻し、イラついている彰を視界に収めると天を仰いだ。
リンさんにもどうにも出来ないし、彰の問いにも答えられないらしい。
「センジュカ、お前いままでどこにいたんだ」
どうしよう、この空気。と困っていると、意外にもセンジュカに声をかけたのはクティさんだった。リンさんと同じくセンジュカを知っている反応を見せたクティさん。反応したのがリンさんとクティさんという時点で人外。クティさんたちと同じく人には食べられないものを食べる存在なのかもしれないと私は予想を立てる。
「貴方に説明する必要がありますか? 悪魔の腰巾着に」
冷たいセンジュカの言葉にクティさんが黙り込んだ。勢いのまま怒鳴ろうとしたが、感情を無理矢理のみこんだようなつり上がった目でセンジュカを見て、それからため息をつく。お前はそういう奴だよな……とつぶやく声には疲れがにじんで見え、クティさんとセンジュカの関係がなんとなくわかった。
「私は特視に所属した覚えもありませんし、あなた方と仲間になった覚えもありません。私は私の復讐のために動くのみです」
特視という聞き慣れない言葉。復讐という物騒な言葉。それに眉を寄せている間も、センジュカは淡々と話続ける。一言話すたびに部屋の温度が下がっていくような感覚に、本当に雪女なのではないかと思い始めた。
香奈をみれば腕をさすっている。見かねた千鳥屋先輩が香奈を背後から抱きしめ、それを小野先輩が微笑ましく見守る。少しだけ和やかな空気が流れた。といっても他が極寒なためたいした効果はなかったが。
「任務と評して私を遠くに押しやり、羽澤の動向を一切伝えなかったあなた方が、私に説明を求める権利があるとおおもいで?」
「それは……俺も最近リンさんが出てきたの知ったし……」
「それを怠慢というのですよ」
冷たい声に視線。クティさんが黙り込む。珍しいクティさんの反応にマーゴさんが目を見開き、探るようにセンジュカを見る。
登場の時に反応しなかったのを見ても、マーゴさんとセンジュカは初対面らしい。しかしセンジュカの方はマーゴさんに一切興味がないようで、顎をそらし鼻で笑う。
「そんなんだから貴方は何も守れないのですよ。戦闘向きの能力も持っていない。自分より格上にはあらがえない。ご機嫌を伺うだけの卑しい犬。貴方が何を思おうとどうでもいいですが、私の邪魔だけはしないでください」
そういうとセンジュカはロングスカートの端をもち、優雅に礼をしてみせた。形だけはきれいなそれも、憎悪が浮かんだ白い瞳を持ってすると嫌みにしか思えない。
真っ白な瞳はトキアをじっと見つめていた。
「それでは皆様、私は忙しいので失礼させていただきます。せいぜい無駄な時間とあがきをお楽しみくださいませ」
センジュカはそういうと微笑んだ。その笑みがなぜかトキアとかぶって見え、私は目をこする。そうしている間にカツカツと編み上げブーツの音を響かせ、センジュカは部屋を出て行った。
今更ながら土足なことに気づいたが、指摘する気にもならない。それ以外に聞きたいことや言いたいことはたくさんあった。
「結局、何だったんだよ、あの女」
「ほんとにね……」
それが今のところ一番だ。
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