5-4 羽澤の子供

 息が詰まる。予想もしなかったところから鈍器で殴られたような衝撃だった。

 呪いは今だ彰をむしばんでいるのだと、私は当然のように思っていた。だからこそ彰は家を追い出され、生まれた存在すらなかったことにされ、不便な山の上に隠されている。そうでなければ可笑しい。本当に呪いが解けているのだとすれば、彰が未だに隠れて過ごしているのはどういうことなのか。


「呪いが解けたって……羽澤の人間はそれを知ってるの?」

「響にはリンがいったよねー?」


 千鳥屋先輩の硬い声に、トキアは軽い返事を返す。にこにこと場違いに笑いながらリンさんに視線を動かすと、リンさんは素早く頷いた。


「……詳しい話してねえから、とけたって言われても実感わいてねえと思うけど……」

「それって意味ないんじゃ!」

「そうは言われてもねえ、アキラを救うために思いつく限り、出来うる限りのことはしたから、魔女の呪い事態が変異しちゃってるんだよね。僕の一族、双子かどうかなんて関係なく全員呪われてるよ。気付いてないだけで」


 ケラケラとトキアは愉快そうに笑った。何が面白いのか私にはわからない。ただ形容しがたい嫌悪だけが沸き上がってきて、香奈の手を強く握りしめた。


「血が呪われてるし、土地が呪われてる。羽澤の血が混ざった者、羽澤の地に長くとどまった者。多かれ少なかれ呪われる。人ではない化け物になる呪い。少しずつ、気付かないうちに人間から外レて戻れなくなる」


 トキアはそういうと唖然と固まっている千代子を振り返る。


「君さあ、死んで何年ここにいるのか分かる?」


 トキアの問いに千代子は目を見開いた。答えようとしたのか口を開くが、戸惑いの表情を浮かべたまま固まっている。少しずつ目が見開かれ、混乱した様子を見せる千代子を見て、覚えていないのだとすぐに分かった。


「そんなに僕に認めてもらいたかったのか知らないけどさ、普通はこんなに長く現世にとどまれないし、関係ない地縛霊まで巻き込むとかありえないわけ。でも、君は無自覚にそれが出来てる。何でだとか不思議に思わなかった? それとも思うほどの理性も知性も残らなかったのかな? 君は呪われた地にいたけど、それほど長くない。羽澤の血を輸血するなんてアホなことしなければ、普通に死ねたのに」

「輸血……?」

 いぶかし気に眉をひそめるリンさんを見てトキアはため息をつく。


「じゃなきゃありえないでしょ。千代子は羽澤の血は入ってない。だからこそ外に追い出した。こんなホラースポットつくるほどの力はない。生きてるときから思い込み激しくて自意識過剰で、頭はおかしかったけど、執念だけでここまでの惨事にはならないよ」


 トキアはそういうと広間を見渡し、この状況でも何の反応もしない子供たちを見て顔をしかめた。


「ってことは、こいつらの中に、羽澤の子も混ざってる……のか……?」

「混ざってるだろうね。僕が望んだ子供を作る。なんて建前で、本当は自分が愛されたかったんでしょ。この身の程知らずの自意識過剰女は」


 引きつった笑みを浮かべたリンさんの言葉に、トキアは額を抑えて頭を振る。頭痛をこらえるような仕草を見ていた私は、遅れてトキアがいっていることを理解し、血の気が引いた。


「どこまで覚えてるか分かんないけどね。無理矢理血を混ぜて、中途半端に近づいたみたいだけど、理性を保てるほどじゃなかった。本家に近い子たちは厳重に管理してるし、血の薄い分家、遠縁しかさらえなかったんでしょう。

 お前にとっては幸運だったよ。本家の血なんて、入れた瞬間に発狂してただろうし」


 トキアは青ざめた千代子に呆れ切った視線を向ける。その視線に耐えかねたように千代子は声を上げた。


「それも全ては当主様のために! 当主様には私が必要でした! 私のように当主様を心から愛する存在が!」

「妄想も大概にしてほしいな。僕が過去も未来もずっと求めているのはただ一人。アキラであってお前じゃない。ついでに言うと僕は愛されるよりも愛したい派だから、愛される必要性も感じない」

「では、なぜ私を羽澤に向か入れてくれたんですか! 私のことが必要だといったじゃないですか! 私のことを好いてくださったんじゃないんですか!」


 悲鳴にもにた声で千代子は叫ぶ。最初に見たときの余裕は消え失せていた。髪は乱れ、目は見開かれ、半狂乱で叫ぶ姿は見るに堪えない。小野先輩が千鳥屋先輩を、私は香奈をかばうように前に出て、その前でブラートが唸り声をあげる。


「どこまでも頭おめでたいねえ、君は。政略結婚に好きも嫌いもないでしょ。そもそも君の旦那は僕じゃない。君との縁談は断った。だからって適当なうちの子たぶらかして嫁いできた奴が、純情ぶってもねえ」

「それは、貴方様に近づくためで! あんな男私は愛しておりませんでした!」

「愛してない……?」


 千代子の言葉にトキアが顔色を変える。今まで馬鹿にしたように千代子を見ていた表情が能面のような無表情に。しかし大きな瞳だけはギラギラと光る。敬愛している存在の豹変に千代子は小さく悲鳴をあげた。


「愛してない? 僕の子を?」


 トキアはゆっくりと千代子に近づいた。千代子はここでやっと失言だと気付いた様子で震える。それでも目をそらさないのは、トキアを愛しているからなのか。それともただ恐怖で動けないだけなのか。


「と、当主様の子では……」

「羽澤の子は皆、僕の子だよ」


 トキアは断言すると、千代子の首に手を伸ばす。逃げようと思えば逃げられたはずなのに、千代子は青い顔をしたまま動かない。吸いつけられたようにトキアの顔を見続ける様を見ると、動けないのかもしれない。


「僕のために生まれた子たち。僕のために死んでいく子たち。僕を愛し、僕を憎み、僕が背負う子たち。それを愛してないというわけ? 僕を愛しているとほざくその口で?」


 トキアはそういいながら千代子の首を締め上げた。子供の手だ。それほど強い力はないはずなのに、触れただけで千代子は悲鳴を上げる。振りほどこうと思えば振りほどけるはずなのに、千代子の抵抗は小さかった。見開かれた瞳がこの場に及んでも「なぜ」とトキアに訴えている。

 その姿を見てトキアは微笑む。


「やっぱり、よその子はバカだね。うちの子とは大違い」


 そのほほ笑みは親のものだった。子供を守り育てる親の顔。何かを生み出す側の顔。それなのにも関わらず、トキアの手は緩むことがなく、既に死んでいる命を跡形もなく殺そうとする。


「返して。それは全部僕のもの。他人にあげていいものじゃないんだよ」


 トキアは静かに告げると、千代子の胸に手を突き入れた。彰の記憶を奪ったリンさんと同じようにも見えたが、苦しむ千代子の姿は段違いだった。首を絞められていた時よりも激しく千代子は抵抗し、敬愛していたはずのトキアの腕に爪を立てる。その姿をトキアは見つめながらも手を緩めることはしなかった。


「な、……なん……で……」

 千代子の頬を一滴の涙が伝うのを見てもトキアの表情は変わらなかった。


「何でも何も、君が勝手に境界を越えたんだ。僕なんかに関わらなければ平和に生きられたのに。ほんっと馬鹿な子だね」


 その言葉を最後にトキアは千代子から手を引き抜いた。リンさんが彰から引き抜いたものとは違う、見ているだけでも目が焼き切れそうなおぞましいもの。それを迷うことなくトキアは口に放り込み、飲み込み、満足げに息をつく。

 その様子を間近で見ていた千代子だったものは、最後の最後まですがるようにトキアに手を伸ばした。しかし、その手はトキアに届く前に崩れ去り、跡形もなく消えうせた。


 目に見えない何かが変わった気がした。重苦しい空気が消え、少しだけ息がしやすくなった気がする。ブラートも唸るのをやめ、香奈の隣で大人しく座り込み、リンさんはふぅっと息を吐き出した。

 この洋館の主が消えた。それにより、危機は去ったのだと私は悟る。

 広間を見渡せば、何もない宙を見ていた子供たちがのろのろと動き出していた。私と同じく軽くなった空気に気づいた様子で目を開き、手足を動かし、安堵の表情を浮かべたかと思うと消えていく。思わず声を上げると一人と目があった。黒髪のやせ細った子供。前髪が長く、表情が伺えないが、かすかにトキアの面影が見えてゾッとした。


 消えていく子供たちを唖然と見送っていると、ぐらりと足元が揺れる。マーゴさんが作り上げた赤い空間が消える気配。終わったのを見ていたかのようなタイミングは、クティさんの指示なのだろう。出来るだけ早く。とクティさんはいっていたが、要望に応えられたのだろうかと処理が追いついていない頭で思う。


「……終わった……のか?」


 トキアが見えていない小野先輩が戸惑った様子で千鳥屋先輩、続いて私を見た。しかし私も千鳥屋先輩もそれに答える余裕はない。

 事件は解決したと思う。憑りつかれた澤部さんも千代子が消えたことによって解放されているはずだ。しかし、これで全てが終わったとはとても思えない。


「さてと……」


 千代子が消え、子どもたちが消えた広間。大きな窓から差し込むのは赤く光る月ではなく、日頃から見ている普通の月。普通の光景。そのはずなのに、その光を浴びるトキアはとても普通のものには見えない。

 ただの子供ではないと知っている。全ての元凶なのだということも。


「事件は解決したわけだけどさ、君たちは僕に聞きたいことがあるよね?」

 悠然とほほ笑むトキアを見て、私は奥歯をかみしめる。


「ゲームでいうと、隠しステージ突入というところかしら?」


 千鳥屋先輩の軽口に返事をする余裕もなかった。

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