5-3 珠玉の子供

 ブラートを先頭に洋館の中を走る。庭ですら不気味な気配と子供のすすり泣く声でゾッとしたが、洋館の中はさらに酷かった。

 至る所に子供がいる。フラフラと歩いていたり、座り込んでいたり。手足のない子や、目がない子。痛い痛いと泣き叫ぶ子。

 マーゴさんの作る赤い空間は霊感のない私にも容赦なく真実を見せつける。吐き気を覚える光景に、目的地が分かっていてよかった。と私は奥歯をかみしめた。こんな中、当てもなく探索しなくてはいけないとなったら精神的に持たなかったに違いない。


 ブラートは洋館の奥へと迷いなく進んでいく。進めば進むほど子供の鳴き声や、まとわりつくような瘴気が増しているような気がして私は吐き気を覚え始めた。香奈は先ほどから半泣きで、香奈の手を握り締めた千鳥屋先輩の顔色も悪い。小野先輩の表情は険しく、今ならどんな相手でも病院送りにできそうだ。


 ブラートが足を止めたのは二階まで吹き抜けになっている大広間。使われていた当初は綺麗であったろう場所はホコリまみれで、至る所にクモの巣がはっている。人がいないまま放置されていたため老朽化も進んでいるらしく、柱には所々ヒビが見えた。幽霊以外にも物理的な崩壊の危機が見えて、私は今すぐにでも帰りたいと周囲を見渡す。

 小野先輩や千鳥屋先輩も私と同じことを思ったのか、慎重に周囲を見渡しながら進んでいく。ブラートは先ほどから香奈の周りをグルグル回って、低い唸り声を上げ続けていた。

 ひっ! という香奈の悲鳴を聞いて視線を動かすと、子供が目に入った。よくよく見れば、広間の至る所に子供がいる。うつろな顔で座りこんでいる子。泣いている子。倒れたままピクリと動かない子。今まで見てきた子たちも体が欠損していたが、ここにいる子たちはさらに酷い。中にはナイフが刺さったままの子供もいて、私はとっさに香奈を背に隠した。


「まさか、ここまで追ってくるとはねー」


 声も出せずに固まっていると場にそぐわない軽口が聞こえてきた。聞きなれた彰の口調と似ているが、彰よりも声が高い。

 トキアだと確信した私が声の方を向くと、大きな窓の下。赤い月をバックにトキアが浮かんでいる。トキア足元にはリンさん。その後ろにある台の上には彰が横になっていた。


「彰になにするつもりなの!」


 何の反応もない彰を見て私は危機感を覚える。トキアとリンさんが彰を傷つけるようなことをするはずがない。そう分かっていても今の状況は異様すぎる。赤い景色に、赤い月。子供たちの泣き声。全てが悪い方向へと思考を導いていく。


「見て分からない? 悪いものを外に追い出す治療だよ」


 私が怒鳴ってもトキアは悪びれた様子はない。場違いすぎるにこやかな笑みを浮かべて、眠っている彰に近づく。今だ顔色が悪い彰の頬を愛おしそうに撫でる姿は、正気には見えなかった。


「一体何をする気……?」

「彰の中に入った不届き者が簡単に出てきてくれそうにないから、呼び出す。それだけの話。だから見てたって面白いものはないし、君たちはさっさと帰った方がいいんじゃない?」

「そう言われて素直に帰ると思うの?」

「思わない。一応聞いてみただけ」


 にこりとトキアは笑う。こんな状況でなければ愛らしい笑顔。しかし世界は赤いし、背後には禍々しい真っ赤な月がある。そんな世界でも彰の顔は青白いし、隣に佇むリンさんは微動だにしない。

 私の背に隠れたままの香奈が私の手を握り締める。チラリと見れば表情が硬い。足元にはピタリとブラートがよりそって、トキアに向かって歯をむき出している。千鳥屋先輩も小野先輩も何時になく真剣な顔でトキアを見つめていた。

 視線を一身に集めてもトキアの余裕は崩れない。眠っている彰に顔を寄せ、頬を撫でる。愛おしいとみているだけでも分かる動作だが、この状況ではただ恐ろしい。私は恐怖を誤魔化すために香奈の手を握り締めた。


「僕がこんなに近くで待ってるんだからさ、いい加減出てきてくれないかなー。千代子」


 聞きなれない名前をトキアが口にする。えっと思う間もなく、彰に変化が訪れた。顔色が悪いだけで穏やかだった表情が歪み、体が痙攣する。とっさに私が動き出そうとしたとき、彰の体から黒い何かが立ち上る。気体のようにも液体のようにも見える不気味なそれは、彰から這い出すとトキアの前で渦を巻き、やがて人型となった。

 千代子。それは彰に憑りついた女の名前なのだと遅れて私は理解した。覚えていないとトキアは言ったが、彰を助けるために何とか思い出したのか。


 黒い何かが洋館で見た着物姿の女性になったのを見届けると、リンさんが彰の体を台の上から抱き上げる。先ほどまで微動だにしなかったのが嘘のように素早い動きで、リンさんはこちらへと走ってきた。また憑りつかれてはたまらないので非難するつもりなのだろう。しかし、女は彰への興味が失せた様子でトキアをじっと見つめている。


「当主様、思い出していただけましたか。千代子です。あなた様を一番理解者であり、あなた様の理想を実現する者です」


 恍惚と表情を浮かべた女――千代子はそういうと胸元に手を当ててトキアを見上げる。恋する乙女のよう。対してトキアは冷めた目で千代子を見下ろしている。しかし千代子はそれに一切気付かず、お待ちしておりました。と熱の入った様子で語り続けている。その姿は不気味ですらあった。

 寮母さんがいっていた話を思い出す。洋館の気狂い女は当主を陶酔していた。


「分かっておりました。最後は私を選んでくれると。私こそが正しいと気づいてくれると。当主様の理想を叶えるのは私。あんな異形児ではなく、私です」


 千代子は頬を染め、瞳を潤ませトキアへと近づく。トキアはそんな千代子を醒めた目で見下ろすのみ。ただ一人感極まっている状況に、興奮状態の千代子は気付いていない。千代子の言葉がトキアに全く響いていないことは、冷めきった瞳を見ればすぐに分かる。生前もこの調子で追い出されたのだと考えれば、気狂い女。そう評されたのも納得だった。


「私の研究を見てください。当主様のため、沢山研究を重ねたのです。丈夫で強く、賢い子供を作る。そのために沢山子供を集めたのです。皆切り刻んだら泣き叫んでダメになりましたが、きっといつかは丈夫な子供が生み出せるはずです。当主様が望んだ珠玉の子供が」


 千代子は頬を染め、愛らしくほほ笑んだ。恋する乙女のような可憐な表情だが、言っていることはただおぞましい。見てくださいと両手を広げ、示したのは広間でうつろな表情を浮かべる子供たち。切り刻み、その結果死んでしまった子供たちを自慢げにトキアに見せつける姿に吐き気がする。

 狂ってる……。そう千鳥屋先輩がつぶやいたのが聞こえた。小野先輩と千鳥屋先輩の表情は険しい。香奈は今にも吐きそうな青白い顔をしていた。

 すぐに逃げ出せるようにか、出入り口前で立ち止まったリンさんは黙ってトキアと千代子を眺めている。その瞳には何の感情も浮かんではいなかった。


「この子たちは僕のために用意したってわけ?」


 トキアがぐるりと広間を見渡した。トキアが視線を向けても、子どもたちは何の反応もしない。唯ちゃんと同じく、反応できるだけの力は残っていないのだ。本来であればとっくに成仏するか消えて居なくなる存在。それなのにも関わらずこの場にとどまっているのは、この異様な洋館の空気からか、それとも無垢な表情のような顔をする頭のおかしい女のせいか。


「はい。当主様が喜んでくれると思いまして、沢山集めました。双子の上の子はいらないと思ったので捨ててしまいましたが、問題ないでしょう。当主様には私がいれば問題ありません。私さえいれば十分ですから」


 自信に満ちた様子で千代子はほほ笑む。どこをどう考えたらその理屈にたどり着くのか、私には全く理解が出来ない。ただこの女の頭がおかしく、異常なのだという事実だけが積み上げられていく。

 ぞわぞわと這い上ってくる寒気と怖気に私は胸を押さえた。怒りや悲しみよりもどうしようもない嫌悪が勝る。この女はおかしい。この女と同じ場所にいたくない。そんな本能のまま、今すぐにでも逃げ出したくなる。

 そんな私が何とかこの場にとどまっているのはトキアが何の反応もしないからだ。怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ無表情で女を見下ろしている。その冷めきった姿を見て、私は少しだけ冷静でいられた。


「ねえ、何でそれで僕が喜ぶと思ったの?」


 トキアは笑みを浮かべた。

 彰を見てきた私は分かる。お粗末な作り笑い。本気で相手をだますつもりもなく、ただバカにするためだけのもの。それでも笑みを向けられたと思ったのか千代子は頬を染める。何とも滑稽で、バカみたいな光景だった。


「当主様は賢く立派な子供、子孫を残すことに力をいれておられました。ですから、私はここで強い子供を作る研究を続けていたのです」


 褒めてほしいと言わんばかりに千代子は微笑んだ。その研究が上手くいかなかったことは、無残な姿になった子供たちを見ればわかる。寮母さんもただの気狂いとしか言っていなかったのを考えるに、千代子のいう研究が評価に足りる結果につながることはなかったのだろう。


「研究? これが? ただ、子供を切り刻んで泣かせる変態にしか見えないけど?」


 トキアは広間を見渡して鼻で笑った。

 その様子を見て初めて千代子が焦った顔をする。敬愛する主の反応がよくないと、今になってやっと気づいたようだ。


「今は研究途中でして……大丈夫です。もう少し、あと少しで当主様の望む結果が……!」

「あのさあ、まだ気づかないの」


 焦る千代子の言葉をさえぎってトキアが首を傾げた。高い位置から千代子を見下ろして、歪な笑みを浮かべる。赤い大きな月がトキアを照らすと、どちらが悪なのか分からなくなる。いや、どちらも悪なのかもしれない。


「分からない? 僕、死んでるんだよ?」


 トキアはわざとらしく千代子の周りをまわった。生きている人間は宙を浮くことなどできない。そのことに千代子はやっと気づいた様子で、目を見開いた。


「な、なぜ、当主様が……! アイツですか、あの異形児が!」

「そんなわけないでしょ。僕を刺し殺したのは別の人」


 トキアはクスクスと笑った。自分が殺された話題だというのに愉快そうに。心底楽しそうに。その様子を見て、千代子はわけがわからないと首を振る。それについてだけは私も千代子の気持ちが分かった。なぜ自分が殺されたという話を楽し気に語るのか。トキアが何を考えているのか、私には全く分からない。


「何で僕が賢く強い子供、子孫を残そうとしていたのか、君わかる?」


 トキアは空中で器用に逆立ちして、上から千代子を覗き込んだ。乙女のように浮かれていた千代子の表情が引きつったものになる。今になってやっと、自分が向き合っていた相手が化け物だと気づいたように。


「強く賢い子じゃないと、彰が救えないから。もっというなら僕が生まれないから。僕はさあ、繰り返しすぎて普通の人間には成り代われないの」


 トキアは楽し気に笑う。寮母さんの話を聞かなければ、私には理解できなかっただろう。しかし、今は理解できる。そしてたどり着いた仮説が事実だと、トキアは意図せず答え合わせをしてくれた。悲しい事に、正解だと分かっても全く嬉しくはない。むしろどうしようもない苦い気持ちが広がる。

 そんな私にお構いなく、気付きもせずにトキアは楽し気に話し続ける。千代子をからかうのが楽しくて仕方ない。その表情だけは外見相応の子供に見えた。


「僕はね、彰を助けるために生きなきゃいけなかった。死ぬわけにはいかない。また生まれなきゃいけない。だから、僕が生まれられるように、彰が生きられる環境を作れるように、優秀な遺伝子を伝えられるようにあらゆる努力をした。そうして僕は生まれた」


 トキアはくるりと周り千代子の前で両手を広げた。姿形だけは愛らしい8歳の子供。生きて成長したならば、美人になったに違いない。千代子のように魅了する人間を沢山生み出したかもしれない子供。しかし、その子供は死んでいる。殺された。それでも、トキアは心の底から満足げに笑う。


「だからもう、子孫なんていらないし、羽澤なんていらない。だって僕こそが珠玉の子供。ずっと待ち望んだ子供。彰を救えた、呪いをとくことのできた完全体なんだ!」

「……呪いが……とけた……?」


 隣に立っていた千鳥屋先輩が唖然とした様子でつぶやいた。私も千鳥屋先輩と同じ気持ちでトキアを凝視している。

 羽澤をむしばみ続けてきたという双子の呪い。上の子が化け物に変わってしまうという恐ろしい呪い。それがとけたとトキアは確かに言った。


 トキアが私たちに視線を向ける。嬉しそうに。楽しそうに。無邪気な子供のような顔で私たちに笑いかける。


「ここまで追いかけてきた君たちには特別に教えてあげるよ。羽澤家にかけられた双子の呪い。それを解く方法はただ一つ」


 トキアはそういうと自分の胸に手を当てた。


「双子の下が上より先に死ぬことさ!」

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