5-2 厄介な双子

 真っ黒な空間にグネグネと色とりどりの線が入っている。真っすぐだったり曲がっていたり、枝分かれしていたり。とにかく大量の線が足元、左右、しまいには頭上を満たしており、方向感覚も上下の間隔すらもよく分からなくなってくる。

 ポカンと私が周囲を見渡していると、手をつないだクティさんが私の手を容赦なく引っ張った。右手に私。左手には千鳥屋先輩。香奈の手はしっかりと私と繋がれている。

 皆一緒にいることにとりあえず安堵した私は後ろを振り返る。背後にも同じような景色が広がっており、寮母さんの部屋は跡形もなく消えうせていた。


「ここは?」

「俺のお食事処」


 クティさんはそういいながらペロリと唇をなめる。あー美味そうなのあるなあ。後で戻ってくるか。と言ったクティさんが見つめる先には、桃色の線がある。


「この線がクティさんのご飯なんですか?」


 香奈がきょろきょろとあたりを見回した。目が輝いて見えるのは勘違いじゃないだろう。未知の空間への恐怖よりも好奇心が勝るあたり香奈は強い。


「お腹にたまらなそうね……」


 目の前を走る線をしげしげと見ながら千鳥屋先輩がつぶやいた。美味しくなさそうだし満腹感はなさそうだ。そもそも本当に食べられるんだろうかと私はじっと線を見つめる。香奈が触りたそうに手をさまよわせていたが、つないだ手を引っ張って制した。何がどう作用するか分からない場所で迂闊な事はさせないに限る。


「お前らからすればただの線だろうけどな、これは人間の人生が詰まってるんだぞ。この線一本あるかないかで、人間が幸せになるか不幸になるか。生きるか死ぬかが決まる時だってある」


 ニィッと口の端を上げて笑うクティさんを見て、私はゾッとした。

 真っ暗な空間でも不思議と自分たちの姿はよく見えた。だからこそ私はクティさんの姿をハッキリと見ることが出来る。おびただしい数の線が重なり、広がり、空間を支配する世界。その中に立つクティさんは現実よりもよほど生き生きして見えた。

 ここが自分の本来いる場所。そう立ち振る舞いだけで告げていた。


「こんな場所に私たちを連れてきたということは、何かしら意味があるのでしょう?」


 なかったら許さない。という気迫を込めて千鳥屋先輩がクティさんを睨みつけた。すっかりクティさんに飲まれていた私は気丈な千鳥屋先輩が頼もしく思える。

 それに対してクティさんはニヤニヤと笑う。それがいつもに比べて柔らかく見えるのは、クティさんにとって千鳥屋先輩が人間ではなく、昔から知っている子供。という枠に入っているからだろうか。


「お前もいってただろ。このままうやむやにされて何もわからないのは嫌だって」


 クティさんの言葉で千鳥屋先輩の予想が当たっていたことが分かった。トキアはわざと何も言わずに、私たちを追い払ったのだ。


「だから取引だ。俺はお前らに協力してやる。今から洋館に連れて行ってやるし、リンさんたちのとこまで連れて行ってやるよ」


 クティさんは私たちの手を引いて歩きながら顔だけ振り返る。そこに笑みはない。拒否権はないぞという冷たい視線に、今更になって私は危機感を覚えた。

 ここはクティさんの領域。マーゴさんの赤い空間と同じく異世界なのだろう。右も左も、前に進んでいるのか後ろに進んでいるのかもわからないような空間でクティさん以外に頼れるものはない。手を離したら帰ってこられなくなるは脅しでも比喩でもない。事実なのだ。


「だからお前らは出来るだけ早く事を終わらせろ」

「終わらせる……?」


 私が聞き返すとクティさんは冷たい目で私を見下ろした。


「方法は何でもいい。どういう結末でもいい。とにかくなるべく早く、アイツらが洋館から出るようにしろ。じゃねえと、マーゴが持たねえ」

「マーゴさんが?」


 千鳥屋先輩の驚きの声と香奈の息をのむ音がした。


「リンさんは幽霊が見えねえ」


 意外な言葉に私は驚く。人ではない存在だし、当たり前にそういうものが見えていると思っていたのだ。香奈も同じように思っていたようで、クティさんを驚愕をあらわに見つめている。


「何となくいるのは分かる。けど、それだけだ。マーゴほどハッキリ見えねえし、他人に見せられる能力もねえ。だからあの洋館に行くってなったとき、リンさんたちはマーゴを連れてった」


 洋館に行ったとき女は自らトキアを出迎えた。しかし彰に憑りついた今、素直に出てくる保証もない。だったら幽霊を見える、他人にも見せることができるマーゴさんを連れて行って探した方が早い。そう考えるのは私も理解できる。


「問題はな、あそこはマーゴと相性が悪いってことなんだよ」

「幽霊屋敷なのに……?」


 マーゴさんが食べるのは幽霊。ならば、マーゴさんにとってはフードコートと同じようなものなんじゃないだろうか。あそこの幽霊が一掃されて困る人間なんていないだろう。むしろあそこを買い取った澤部さんは感謝するに違いない。

 そこまで考えて私は気付く。そもそも何でマーゴさんは今まで洋館の幽霊を食べなかったのだろう。味の好み、それとも羽澤管理の家だから近づかなかったのか。そう考えてクティさんを見ると、険しい顔をしていた。


「マーゴはもともと人間だって話は知ってるだろ」

「えぇ」

「じゃあ、何で人間から外レたかは聞いたか?」


 私は無言で首を振る。香奈も千鳥屋先輩も知らないようで、じっとクティさんを見ていた。


「アイツが生まれたのは貧しい時代だ。子供が生まれてもまともに育てられねえような」


 クティさんはそういうと昔を思い出すように目を細める。見た目は20代の男だ。それなのに遠くを見る瞳は老人のよう。


「マーゴも生まれたはいいけど、まともに食事も与えられねえような環境で何とか生きてた。今でいうとネグレクトとか言われる奴」


 お腹すいたなあ。とのんびり行ってお腹をさするマーゴさんを思い出して、私は何とも言えない気持ちになった。普通の食べ物が食べられないから燃費が悪いのかと思っていたが、あの主張にはもっと根本的な、小さい頃に植え付けられた飢餓の意識があるのではないか。そんなことを考えてしまう。


「で、そろそろ本格的にまずい。ついに死んじまう。そう思った時、目の前に幽霊が現れた。元々マーゴに見る素質があったのか、死に近づいたから見えたのかは俺には分かんねえけど、自分をのぞき込む幽霊を見てマーゴは思ったらしいんだ。

 美味そうって」


 背筋を冷たいものが走り抜けた。極限状態まで追い詰められた子供。真面にお腹を満たすことが出来ないまま、ギリギリの状態で生き続けた子供の前に差し出されたもの。それが毒入りだったとしても、本来であれば食べられないモノだったとしても、食べられるかもしれない。それだけで食らいつくには十分だったのではないか。


「元々素質があったのかもなあ。マーゴは食った。幽霊を食べたら死なない。お腹が満たされる。それに気づいたマーゴは、保護されて俺たちのとこに来るまで、とにかく手当たり次第に食いまくった。だから俺があった段階で完全にこっち側。人間に戻れねえとこまで外レてた」


 クティさんはそういって目を伏せた。それが道を踏み外さなければ生き残れなかった子供を哀れんでいるのか、もっと別の感情なのかは私には分からなかった。けれど、クティさんがマーゴさんを目を離してはいけない子供。そう認識しているのはよく分かった。


「でも、そんなアイツも嫌がる存在がいる。子供を虐待する大人」

「……トラウマですか……?」

「そうなんだろうな。どれだけ質がよい餌でも、そういう奴だけはマーゴは食いたがらねえし近づきたがらねえ。まだ人間だったころ、どんな目にあったか聞いたことはねえけど、マーゴにとっては幽霊よりも、生きてる大人の方が怖かったんだろうな。

 だからマーゴは目の前に現れた幽霊を食べることができた」


 幽霊は人間よりも怖くない。人間をやめることになったとしても構わなかったのだろう。人間の方が生きていた頃のマーゴさんにとっては化け物に見えていたのかもしれない。


「そんなトラウマ持ちのマーゴを、自分たちの目的のために無理矢理連れてったんだよ! アイツらは!!」

「クティさん、実はものすごく怒ってますね」


 最後吠えるように叫んで地団太を踏んだクティさんを見て、私は少しだけ距離をとる。といっても手をつないでいる以上、それは本当にささやかな抵抗だった。


「怒るに決まってんだろ! マーゴをあそこまで育てたの誰だと思ってんだ! 久々の将来有望な仲間だぞ!! 幽霊なんて食べやすい対象なうえに食欲旺盛! 長生きしたらリンさんに並ぶ大物になる可能性秘めてる奴だぞ!! こんなとこでダメにしてたまるか!!」


 何気にマーゴさん、ものすごく期待されてるし大事にされてたんだな。と私は生ぬるい視線をクティさんに向けた。それだけ大切にしているのに日頃あの態度とは、人ではない存在は感情表現が下手な者ばかりなのだろうか。


「ずっと引きこもって、こっちのことなんて放っておいたくせして、いきなり出てきて好き勝手しやがるのも腹立つ。あの女だって、アイツらの不始末だろうが。利用されるだけしてポイなんてごめんだ。だからお前ら連れてって、一泡吹かせてやる!!」


 クティさんはそういうと私と香奈の顔を凝視する。ギラギラ光る異形の瞳。ひぅっと香奈の小さな悲鳴が聞こえ、私は香奈を安心させるためにつないだ手を握り締める。

 クティさんが見ているのは私たちではない。リンさんとトキア。自分を振り回す元凶たち。それが分かっていても、人ではないモノの威圧は肌を焼くように痛い。


「お前らは自分が思ったことを思った通りに言えばいい。遠慮すんな。ぶちまけろ。そして思い知らせてやれ。佐藤彰という人間の事を一番理解しているのは、羽澤トキアじゃない。香月七海と坂下香奈だ」


 クティさんから紡がれた自分の名前に私は目を丸くする。隣の香奈も呆けた表情でクティさんを見ていた。

 クティさんはニヤリと笑うと前を向く。そろそろ終点だ。絶対に手、離すなよ。というなりクティさんは走り出し、名前呼びの事を問い詰める間もなく私たちは引っ張られる。このタイミングで名前を呼んだのは計算ではないか。お化け屋敷の時と言い、この人は何てタイミングで大事なことをいうのだ。そう文句を言う間を与えられず、私は謎の浮遊感を得たと思った瞬間、地面に落っこちた。


「いったぁ!?」


 気付けば周囲は線が行きかう謎の空間ではなく、昼間みた、いや、昼間よりも禍々しい空気をまもった洋館。月や星すら覆う赤色は自然のものではなくマーゴさんの作りだす異界だろう。それがすっぽりと洋館を覆っている姿に私は唖然とした。

 どこからともなく子供のすすり泣く声と悲鳴が聞こえる。太陽の下で見た時でも不気味だったというのに、一層不気味さを増した景色。同時に、彰は昼間でもこの声が聞こえていたのだと気付いて戦慄した。女を見た瞬間に激高した彰の気持ちがわかる。この声をずっと聞いているなんて、気がくるってしまいそうだ。


「花音!」


 声が聞こえて振り返れば、後ろに小野先輩の姿があった。

 着替える間もなく寮母さんの部屋に直行した私たちと違って、Tシャツにジャージとラフな格好に着替えている。その隣でうずくまっているのは茶色髪の人物。弱々しい姿から最初誰か分からなかったが、すぐにマーゴさんだと気付いた。


「マーゴさん!」


 香奈が駆け寄るとマーゴさんは弱々しい顔で香奈を見上げた。青ざめた顔で両耳をふさいで、ぼんやりと香奈を見上げるマーゴさんはどこからどう見ても重症だ。その背を小野先輩が撫でているが、気休めにしかなっていないのは明らかだった。


「俺はマーゴみてるから、道案内はソイツに任せた」


 いつのまにかマーゴの隣にしゃがみ込んでいたクティさんが、香奈の足元を見る。見れば低い唸り声をあげるブラートが香奈の足元に寄り添っていた。

 赤い空間だからブラートの姿もハッキリみえる。お化け屋敷以来の再会だが、ゆっくり感動にひたる時間はなさそうだ。


「さっさと元凶ぶん殴るなり、食い殺すなり、絞め殺すなりして、終わらせろ。早急に。速やかに。最速で」


 クティさんは弱ったマーゴさんの頭を撫でながら、しっしっと私たちに向かって犬を追い払うようなしぐさをする。頼みごとをしておいてこの態度。と呆れもあるが、クティさんらしいと言えばらしい。それに、私だってこんな不気味で気が滅入る所、出来るだけ早くお暇したい。


「一応お礼いっておきます。連れてきてくれてありがとうございます」


 私の言葉にクティさんは顔をしかめて、さっさといけ。とジェスチャーした。それに少し笑い、私は洋館へと走り出す。先頭はブラート。香奈の慌てた声がしたが、すぐさま追いかけてくる足音が増える。

 すぐさま隣に並んだのは小野先輩で、息が乱れた様子もないのを見て、流石。と私は思った。家の手伝いが忙しく運動部に所属していないというのが勿体ない運動能力だ。


「小野先輩、事情はクティさんから聞いてるんですよね?」

「変なとこを通ってここに連れてこられる途中で聞いた」


 顔をしかめる小野先輩を見て、小野先輩は一足先に。しかも一人でクティさんと手をつないでここに連れてこられたのだと分かり同情する。クティさんのことだから、本当に簡単な説明しかしなかったに違いない。私たちにマーゴさんの事を放してくれたのは、クティさんにしては破格の対応だろう。


「彰の意思も俺たちの意思も無視して、勝手に何でも決めて動く姿勢は嫌いだな」


 考え事をしながら走っていると、隣から小野先輩の忌々し気な声がした。チッと舌打ちする様子を見て珍しいと思う。ケンカが強いという話を聞くが、小野先輩は売られなければケンカは買わない。どちらかといえば気は長い方だろう。

 そんな小野先輩がイラついている。そのことに私は驚いて、それから小野先輩が言った言葉の意味を審議する。


「たしかに。ムカつきますよね」

 審議して、同意した。頷く私を見て、小野先輩もそうだろ。と私に頷き返してくれる。


 クティさんはいった「佐藤彰」のことは私と香奈の方が知っているといった。

 彰について知っている事柄の数であれば、トキアは私たちと比べ物にならないだろう。双子の上だとか羽澤の一族の事だとか、比呂君との関係だとか。私たちが出会う前までの事だとか。私たちはまだまだ彰について知らないことはたくさんある。

 けれど、きっとトキアはそういう細かなことばかりに気を取られすぎて、彰にとって本当に大事な部分が埋もれているのだ。


 彰はああ見えて、一人は嫌いだ。それなのに必要とあれば嫌なことでも出来る。よく言えば忍耐強い。悪く言えば自己犠牲的。

 トキアが本当に彰のことを思うのであれば、彰を一人にする。その選択だけは選んではいけなかったのだ。何が何でも二人で生きるべきだったのである。


 それを私はトキアに突き付けなければいけない。

 お前の選択は間違いだ。お前は彰のことを何もわかっていない。そう言って糾弾しなければいけない。

 しかし本当に出来るのだろうか。そう考えて私は身震いした。


「この洋館の女より、トキアの方が怖い気がする……」

「それはそうでしょう。元をたどればすべての元凶はトキア君よ」


 香奈の手を引きながら後ろを走る千鳥屋先輩が、当然の事のようにいう。

 その返答に私は顔をしかめるほかなかった。千鳥屋先輩のいうことが正しすぎて、何も言い返すことができなかったのである。


「勝てますかね?」

「勝つ必要なんてないでしょう。トキア君は味方よ」

「……トキアを前にして迷いなく味方っていえる千鳥屋先輩は強いですね……」

「俺はそこまで言われる奴が、一体どんな奴なのか本気で気になってきたぞ」

「見た目は……彰君を……小さくした感じ……です!」


 走っているから息を切らしながらいう香奈。それを聞いて小野先輩は少し考えた。


「つまり厄介な感じか」


 小野先輩の結論を聞きながら、私は笑うことしかできない。

 何も間違っていない。二人そろって、とんでもなく厄介な双子なのである。

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