2-4 近づく選択

「き、緊張した……」


 リンさんとトキアが出ていったためか、香奈が息を吐き出した。

 いつの間にか隣に移動していた小鈴ちゃんと千鳥屋先輩が、胸を抑える香奈の背を撫でている。


「アレに向かって一歩も引かない度胸、かっこよかったですよ」

「あそこで引いたら、本当に何も教えてもらえない気がして」

 小鈴ちゃんの言葉に香奈が照れたように笑う。


「でも結局、教えてもらえませんでした」


 肩を落とす香奈を見て小鈴ちゃんと千鳥屋先輩が困ったような顔をした。2人は顔を見合わせて、悩むようなそぶりを見せる。

 小鈴ちゃんはもちろんのこと、千鳥屋先輩も彰の実家がどこなのか分かっている。となれば、お狐様が浄化した土地のことも、それを頼んだ一族のことも知っているだろう。


「名前を教えるだけでもマズいようなところなんですか?」

 思わず口から出た問いに、小鈴ちゃんと千鳥屋先輩はそろって顔をあげ眉を寄せた。


「前も言ったけど、おいそれと話せるような一族じゃないのよ。言った私も聞かされたあなた達もまずいことになるかもしれない」


 愁いを帯びた千鳥屋先輩の表情は冗談とは思えない。隣にいる小鈴ちゃんの表情も険しく、私は緊張のあまり唾を飲み込む。

 小鈴ちゃんと千鳥屋先輩に挟まれ、私の表情を正面から見ることになった香奈の顔色も悪い。軽率にリンさんに聞いてしまったことを後悔しているのかもしれない。


「私の考えすぎだったらいいんだけど、万が一っていうことがあるし……」

「あの一族は過激ですからねえ……」


 千鳥屋先輩だけでなく、人外である小鈴ちゃんまでが言うとなればただ事じゃない。

 よくよく考えてみれば彰自身が人間離れしている。その彰が生まれ、その彰をいなかったことにし、土地神であるお狐様と契約するような力をもった一族。

 知っている情報を数えるだけでも、一般庶民が手出し出来る存在とは思えない。


「でももう、後には引けない所まで来てるのかもしれない……」

 戦慄する私を前に千鳥屋先輩がぽつりとつぶやいた。


「彰君は、知らないふりをして、見なかったことにして生きるには強烈すぎる。一度会って話してしまったら、出会わなかった時の事なんて想像できない。そう、貴方も思わない?」


 千鳥屋先輩はそういって私を見た。

 彰がいなかった頃を思い出そうとして、私は思い出すのに苦労した。彰を知らずに生きてきた方が長いのに、何だかずいぶん遠く、懐かしい事のように思える。

 彰と出会わなかったら私はどうしていただろう。香奈に振り回されて、やれやれと苦笑しながらオカルト巡りに付き合って、変化のない平和な日常を過ごしていたのだろうか。香奈や私では対応できないような現象に遭遇して、死んでしまうなんて未来もなかったとはいえない。


「強烈すぎるのよ彼。いや、彼らの一族は。だからね、惹きつけれられる。良いものも、悪いものも。

 関わるならば気をつけなさい。って私は耳にタコができるぐらい言われたわ」


 私の家も彼らの一族には劣るけど、それなりに長いと言える家系だからね。と千鳥屋先輩は付け足した。


「でも私はもう、彰君とは離れる気はないわ。出来ることがあったら協力するって約束したし、何よりも彰君みたいなインスピレーションを刺激される存在に、何度も出会えるとは思えないし」

「は……はあ……」


 最後やけに熱のこもった発言に私は呆れる。同時に少し肩の力が抜けた。

 香奈もちょっと困った顔で笑っているが、先ほどよりは顔色がよく見える。


「だから私はいいの。でもあなた達は離れるって選択も出来る。悪い言い方をすれば一般庶民だし、家柄に振り回されることもないでしょう。だから、自分たちで選ぶ余裕もないまま道を決めてしまうようなこと、私も子狐様もしたくないのよ」


 千鳥屋先輩は真剣な顔でそういった。先ほどよりも真摯な声音に、私は驚いた。

 小鈴ちゃんを見ると、小鈴ちゃんも真剣な顔で私と香奈を見つめている。


「それは、名前を聞いたらもう後戻りできないってことですか?」

 千鳥屋先輩は迷いなく頷いた。


「だから、本当に覚悟が決まったら言って。その時は私も覚悟を決めて教えるわ」


 千鳥屋先輩はそういうと立ち上がって公民館を出ていった。私と香奈はその後姿を唖然としたまま見送る。


「私としては、お2人は十分すぎるくらい彰様の助けになったと思いますよ」


 小鈴ちゃんも立ち上がって私たちの横を通しすぎる。チリンチリンと小さく鈴がなる。その音を聞きながら、私はいつの間にか握り締めていた自分の手を見つめた。

 だから、これ以上はいいんですよ。と最後に小鈴ちゃんは声に出さずに言った気がした。これ以上踏み込まなくても、全てを知らなくても彰様はあなた達を嫌ったりしませんし、失望もしません。そう言っているように感じた。


 彰は口は悪いし、分かりにくいけど優しい。だから私たちが危険なことをしようとすれば止めるだろうし、怒るだろう。もういい。十分って笑ってくれるだろう。でも、それじゃあ、いつまでたっても彰は救われないんじゃないのか。ずっと隠れて、過ごさなければいけないんじゃないのか。

 ただの高校生に何が出来るんだ。事件も彰に助けてもらってばかりで、私自身が何かしているわけじゃない。ただ彰がすることを見ている。時々少しだけ手伝うだけの自分に、一体何が出来るんだ。

 そう冷静な部分の私が言う。でも、それで終わりは嫌だと奥底で叫ぶ私もいる。


「……ここから先は知りたいって気持ちだけじゃ、ダメってことなのかな」


 香奈のつぶやきに私は何も返せなかった。

 彰が心配。その感情だけで足りないなら、何が必要なんだろうか。決意なのか。友情なのか。それとももっと深い何かなのか。


「……とりあえずは、洋館の様子見に行こうか」


 のろのろと立ち上がると、香奈もゆっくり頷いた。香奈の表情は晴れない。私の表情も似たようなものだろう。形容しがたいもやもやが胸の内にたまっている。

 これは時間稼ぎだ。結論を出さないための。ほかにやるべきことがあるからという言い訳だ。そう私は自覚している。千鳥屋先輩も小鈴ちゃんも分かっている。それでも何も言わずに放っておいてくれるのはきっと優しさだ。


 だが、その優しさが今は痛い。

 待てる時間はそれほど長くない。そう突き付けられているような気がする。


 公民館の外に出ると彰は「何してたの」と不機嫌な顔で私を見る。それに「ごめん」と笑って返したが、彰は微妙な顔をした。不自然さを感じ取られたのかもしれない。

 感情をよめるリンさんは何も言わずに私を見ている。私の何を選ぶのか、ただ上から見下ろしている。面白がっているのかもしれないし、値踏みしているのかもしれない。彰の隣にいていい存在かを。

 トキアも無言で私をじっと見つめている。その瞳には相変わらず感情がうかがえない。


 それでも、初めてトキアを見たときよりは怖くなかった。

 怖がる余裕がなくなったともいえる。トキアよりももっと私にとって重要な、大きな問題が目の前にぶら下がっていることに気づいてしまった。しかも時間はもうないぞ。決めるんだと私を急き立ててくる。


 一体私は何を選べばいいのか。どうしたら納得いく未来にたどり着けるのか。

 先が不安で、少しだけ泣きそうになった。

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