2-3 憑かれた娘

 屋敷を買い取ったのは澤部英二さわべ えいじさん。骨董集めが趣味で、古い物をこよなく愛す人物だった。その趣向をしった不動産は、買い取り手がなく困っていた物件を英二さんへと紹介した。

 ちょうど英二さんは娘、頼子よりこさんの結婚式が近いため、プレゼントを探していたのだという。頼子さんは英二さんの趣味を受け継ぎ、古い物が好きだった。当時からほとんど変わらずに残っている洋館。きっと喜んでくれるだろうと英二さんはすぐさま購入を決めた。


 頼子さんは英二さんから洋館のことを聞くと、喜んで見に行ったらしい。英二さんか旦那さんが一緒に行けばよかったのだろうが、旦那さんは海外出張中。英二さんは仕事があり、ついていくことが出来なかった。

 一人で洋館へと様子を見に行った頼子さんは、帰ってくると様子が激変していた。


 明るく笑顔が絶えず、おしゃべりが好きな女性だったというが、帰ってきた頼子さんは部屋に引きこもるようになった。ぼんやりと窓の外を眺めて日がな一日過ごし、やっと部屋から出てきたかと思えば別人のようにしゃべりだしたという。

 それは頼子さんが生まれる前、知るはずのないずいぶん昔の話。それを見てきたかのように話す頼子さんを見て、周囲は恐怖を覚え始めた。

 何かの病気かもしれない。そう思った英二さんは頼子さんを病院に連れて行ったが原因は不明。いたって健康ですと判断され、とりあえずは様子を見ることにした。


 だが、頼子さんの奇行は止まらなかった。

 ついには自分のお腹をナイフで突き刺そうとしたところをお手伝いさんに発見される。

 頼子さんは旦那さんとの子供を身ごもっており、それをきっかけに2人は結婚を決めた。子供がほしい。優しい母親になりたいと言い続けていた頼子さんは妊娠を大層喜んでいた。それは子供が生まれる前からベビー用品を買い漁り、子供部屋の内装まで考えていたほどの熱の入りようだったという。


 そんな頼子さんが、子供がいる自分のお腹を突き刺そうとしたのだ。とても正気とは思えない。


 お手伝いさんと騒ぎを聞きつけた英二さんの2人がかりでも、抑えきれないほど頼子さんは暴れた。スポーツをするよりも手芸やガーディングが好きなか弱い女性とは思えないような力だったという。錯乱した様子でナイフ振り回し、叫び、暴れ、「この子はいらない。生まれるべきじゃない」と喚き散らした。


 あまりの様子に父親の英二さんですら我が娘に恐怖を覚えた頃、

突然、体の力が抜けたようにその場に座り込み、今度はさめざめと泣き始めたという。


 私じゃない。私じゃない何かが私の中にいる。そういいながら、泣き続け、どうか自分が子供を傷つけないように体を縛って閉じ込めてほしい。ついにはそう懇願してきたそうだ。


 事態を重く見た英二さんは病気、科学で証明できることではなく、オカルト的な原因を考え始める。そこでやっと洋館の事を調べて、いわくつきの場所だと知ったのだという。

 その後はお祓いを頼み、有名な霊媒師に片っ端から依頼した。それでも効果は全く訪れず、中には頼子さんを見るなり「関わりたくない」と逃げた者もいたという。

 途方に暮れた英二さんは、骨董品収拾を趣味とする知り合いに相談する。その知り合いから「妖怪と暮らす商店街」の噂を聞き、藁にも縋る思い出で商店街に相談しにきた。

 それが事の次第らしい。


 一連の流れを聞いた一同の表情は険しかった。語り終えた小野先輩は顔をしかめているし、千鳥屋先輩も眉を寄せている。香奈は思ったよりも大事だったことに顔を青くし、小鈴ちゃんは呆れた様子でため息をつく。

 彰は情報を整理しているのか真剣な顔で考え事をしているようだ。その膝の上にのった興味なさげなトキアと、にやつきながら話を聞いているリンさんが異質に見えた。


「明らかにそれ、憑りつかれてるよね……」

「わかりやすいぐらいにね」


 彰のつぶやきに私は同意する。話を聞く限り何者かに憑かれたとしか思えない。

 香奈に聞いた噂話ではよくある話だが、ほとんどは作り話だ。調べたところで憑りつかれた人間などは存在せず、気のせいや勘違いで話は終わる。

 しかし、今回の話はそうではないだろう。でなければ、小野先輩まで話が回ってくるとは思えない。


 それに、私は幽霊が死んだ人間に憑りつく。それが現実に起こりうることだと知っている。知らない頃の、ありえない。と一笑できた自分はもういない。


 チラリと彰の方を見れば、膝の上にはトキアの姿。私の視線に気づくと、「何か文句あんの?」とばかりに子供らしからぬ表情で睨まれた。慌てて視線を逸らす。


「人に憑りつけるような強い奴、近くにいたんだな」


 考え事をしているとリンさんが愉快そうに言う。話を聞いてから妙に楽しそうだが、どの辺に楽しみを見出しているのか。

 人の不幸は蜜の味。そういうことなのだろうか。

 リンさんは人の感情を食べる。比喩ではなくリンさんにとっては人の不幸――悲しみや苦痛の感情は甘いのかもしれない。そんな想像をして私は顔をしかめた。


「私が眠っている間に生まれたのか、力を蓄えたのか……」

「お前らが寝てる間ってなれば、変な奴ら入り放題だろうしな」


 真剣に考える小鈴ちゃんに対して、リンさんはあくまで楽し気にケラケラ笑う。その不謹慎な態度に小鈴ちゃんはムッとした。


「元々はあなた方が母上様に無理をさせた結果でしょう。あんな土地、一気に綺麗にするなんて無理ですよ。そもそもあそこまで酷くなったのは、あなたのせいでしょう」


 小鈴ちゃんが珍しく怒った顔でリンさんをにらみつけた。それに対してリンさんは肩をすくめて見せる。


「汚そうと思ってやったわけじゃねえし。気付いたらあんなになってたんだよ。あーでもおかげでちょっとはマシになったし、お狐が起きたらお礼ぐらいはしとかなきゃいけねえよな」


 そうリンさんはいいながら、チラリとトキアを見た。

 何でそこでトキアを見るんだろうと私は不思議に思う。彰はお狐様と契約した一族の末裔。となれば双子の弟であるトキアもそうだろうが、それだけにしてはやけに意味深だ。

 トキアは彰にくっついた状態のままリンさんを横目で見ている。何を考えているかは読み取れるほど表情に変化はない。けれど私にはトキアが不快そうに見えた。


「それって、リンさんが前にいってたお狐様は土地神で浄化が得意。っていうのと関係あるんですか」


 おずおずと手を挙げた香奈にリンさんが嬉しそうな顔をする。ちゃんと話聞いててくれたんだな。と浮かれる姿を見ると少し不憫に思えたが、日頃の態度を思い出してすぐに考えを改めた。


 土地神。浄化が得意という話は、商店街が消えるかもしれないという騒動の時、宣伝をかねたパフォーマンスで話していた気がする。どこまでが本当で、どこまでが雰囲気づくりの嘘なのか私は判断ができなかった。そのため話半分に聞いていたが、香奈は素直に真実だと受け取ったようだ。


「こいつらが起きてた間はな、こいつらの加護で変な輩は山やこの地域周辺には寄り付けなかったんだ」


 そういいながらリンさんは小鈴ちゃんを示す。ちょっと忌々し気に聞こえるのは、一番最初、私に許可がなければ山に入れなかった。あの時の事を思い出しているのか。もしかしたら小鈴ちゃんたちが眠りにつく前も同じことがあったのかもしれない。

 対する小鈴ちゃんはどこか誇らしげに頷いていた。リンさんに対してわざとらしく視線を向けているのを見るに、やはり過去に何かあったらしい。


「ということはお狐様、子狐様が眠りについてしまったから悪いものがあの館に住み着いた?」

 小野先輩の言葉にリンさんは顔をしかめて、乱暴に髪をかき上げた。


「それに関しては見てみねえと何とも。悪いものっていっても、人間の基準と俺たちの基準はちげぇし、全盛期のお狐だって全て払うほど几帳面な性格はしてねえ。あまりに人間贔屓しすぎても、他の人外に目つけられたりするしな」

「……色々大変なんですね」


 小野先輩の労りの言葉にリンさんは「そうなんだよー、分かってくれるか」と絡み始める。酔っ払いみたいなテンションのリンさんはウザいが、話に関しては興味がある。

 人から外れた存在というと自由に何でも出来そうだが、そういった者同士でも関係性やら階級があるらしい。


「もう一つ聞いていいですか」


 いつの間にかメモをとっていた香奈がリンさんを見た。いつものほわほわした空気とは違い、一種の決意がにじんだ顔つきに私は驚く。


「お狐様が浄化することで眠りにつかなければいけないほど汚れた土地っていうのは、一体どこのことだったんですか?」


 香奈の問いにリンさんの空気が固まった。小野先輩に絡んでいた動きが止まり、香奈へと値踏みするような視線を向けた。ふだんの張り付けたような笑顔も不気味だが、表情が抜け落ちたリンさんは怖い。

 上から下まで香奈を無言で見つめ続けるリンさんの視線で、部屋の仲が急に居心地の悪いものとなる。息が詰まる。逃げ出したくなる。そんな空気を造り上げたリンさんは、急にいたずらっ子のような笑みを浮かべて笑った。


「それ教えたらつまんねーだろ」


 ひらひらとリンさんは手を振って立ち上がった。

 彰が眉を寄せてリンさんと香奈を見ている。小野先輩も不思議そうに香奈を見ていたが、千鳥屋先輩はじっとトキアを見ていた。

 トキアは香奈を見ている。リンさんと同じく品定めする顔で。その静かな横顔には何の感情も読み取れない。香奈に好印象を持っているのか、それとも逆なのか。何か考えているのか、ただ見ているだけなのか。人形のように整っているからこそ、その静かな姿が恐ろしい。同時に元は同じ人間だったとは思えない神々しさを感じる。


「とりあえず、現場を見にいこーぜ。話はそれからだろ」


 妙に乗気なリンさんがそういって立ち上がると、玄関へと向かって歩き出す。小野先輩が慌てて立ち上がって後を追い、彰が渋々といった様子で立ち上がった。

 彰が移動すると香奈を見ていたトキアもふわふわと移動する。先ほどまで香奈を凝視していたとは思えないほど、一切の迷いがない動きだった。全くつかみどころがない。


 子供のうちに死に、ずっと幽霊として彰の隣にいた。その結果があの人間離れした空気なのだろうか。そう私は考えて、根拠はないが違うと思った。

 もっと根本的な何かが違う気がする。

 しかし、その何かが私には全く見当がつかず、いくら悩んでも答えは見つけることが出来なかった。


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