1-2 頼もしい手

 HRの終わりを告げる号令を最後に、教室の中が活気づく。

 6時間目、あれほど眠そうにしていたのが嘘のように盛り上がるクラスメイト。それに比べて私の気分はすぐれない。

 まどろんでいたところを無理やり起こされた。それだけでも不満だというのに、肉食動物がいる檻に入れられたような恐怖が消えない。

 恐怖対象であるトキアは、私なんかに目もくれず帰り支度をする彰にはりついているというのにだ。いつトキアが近づいてくるのか。こちらにあの大きくて、底のしれない瞳を向けるのか。そう思うだけで体がこわばる。


 こんなことがあの日、トキアが見えるようになってからずっと続いている。


 ふぅっとため息をつく。考えすぎ、気にしすぎ。いい加減慣れろ。と何度も唱えてみるが、なぜかあの子供の幽霊に関しては慣れることが出来なかった。

 子狐様にも、リンさんにも、クティさんたちにも慣れたのに。見た目だけなら誰よりも無害そうなあの子供に対し、なぜ恐怖が消えないのか。自分でも分からない。


 分からないのだが、トキアは根本的に違うと思う。

 何がと言われると分からないのだが、子狐様ともリンさんたちとも違う。

 近いものをあげるとするならば、お化け屋敷でみたあの……。


「七海ちゃん?」


 ぼんやり考え事をしていたせいで、いつの間にか香奈が近づいていたことに気づかなかった。

 私は大げさなほどに自分の肩がはねたことに驚く。どうした、私。相手は香奈だ。落ち着け。と念じてみるものの、一度とってしまった態度は消えない。

 付き合いの長い香奈だ。私の様子がおかしいことはすぐに分かったのだろう。


 いや、今回だけのことではなく、ここ数日にわたっての行動がおかしい。そう気づいていたのかもしれない。急に現れた非日常に対応できず余裕がなかったが、思い返せば昨日はやけに香奈からの視線を感じた気がする。


「……七海ちゃん。今日は商店街の方に行こうか」

「商店街?」


 いくら本調子ではないとはいえ、香奈の提案は意味がわからなかった。なんで商店街? と私が香奈の顔を凝視すると、香奈は少しだけホッとした顔をする。

 香奈の顔をみただけなのに。と思ったが、トキアが見えるようになってから、香奈とまともに目をあわせていない。そう気づいて、どれほど余裕がなかったんだろう。と自分自身に呆れてしまった。


「祠を商店街に建てる。って話があったでしょ。その下見で子狐様がいきたい。っていってたの。子狐様だけだと心配だから、七海ちゃんも一緒に行こう」


 そういって香奈は私の制服の裾を引っ張る。提案の形だったが、逃がさない。と感じる、いつもホラースポットに無理やり私を引っ張っていった香奈の姿だ。

 久しぶりに見たな。と私は思い、同時にそれだけ心配させてしまったのかとも反省する。

 基本的に大人しい幼馴染が、オカルト関係以外で強引な手段に出るほど私の様子はおかしく見えていたらしい。


「彰君には今朝いったし、子狐様にも伝えてるから」

「……用意周到……」


 チラリと彰の方へと視線を向けると、いつのまにか生徒に囲まれていた。知らない顔が何人か見えるから、他のクラスの人間かもしれない。

 普段だったら適当に合わせて誤魔化し、さっさと退散するというのに彰は珍しく輪の中におさまっている。それでいて、チラチラと私の方に視線を向けていた。


 何という事だ……彰にまで心配させてしまったのか……。


 気恥ずかしいような、嬉しいような、嬉しいけど素直に認めたくないような。とにかく複雑な感情が私の中に浮かび上がって、

「ひぃ……!」

 彰の腰のあたりに抱き着いている、青い瞳を見た瞬間に消え去った。


 底冷えする瞳が、鈍い光を放って私を見ている。整った容姿は表情が消えるととにかく冷たく、攻撃的だ。

 私の態度の変化に、香奈は眉を寄せ、彰は困ったような顔をした。

 そんな顔をさせたいわけじゃない。彰は悪くないし、香奈だって心配するようなことじゃない。そう心の中でいうものの、口に出すことはできなかった。


 だって、香奈にも彰にもアレは、トキアは見えていないのだ。


「七海ちゃん……いこう。子狐様なら相談にのってくれるよ」


 香奈が私にしか聞こえない小さな声でささやいて、手を引いてくれる。

 具体的なことは分からなくても、自分にはどうしようもない何かが起こっている。それは察しているようで、香奈のやさしさに泣きそうになった。


 彰も、さっきも含めてよそよそしい態度をとっているというのに、向けられる視線は優しい。私に対しての怒りは一切なく、ただ気遣いだけが感じられる。

 それだけに心が痛い。それに対して、何でもない。そう答えられない自分の弱さが嫌になる。嫌になるのに、私は彰から目をそらすことしかできなかった。

 彰のすぐ隣、そこから発せられる射殺そうとするような冷たい視線。それを真正面から受け止める度胸がどうしてもなかったのだ。


 私はせめてと携帯を取り出し、短いメールを打った。

 大丈夫だから。という短い文面が彰に届く前に速足で教室を出る。彰の反応は気になるが、画面をのぞき込んだときのトキアの反応を見るのが怖くて仕方ない。

 何であんな小さな子供に、ただの幽霊に、ここまで怯えているのだろうと自分自身に泣きたくなった。


「まって! 七海ちゃん!」


 恐怖で必死に足を動かしていたせいで、気付けば香奈を置いて昇降口まで来ていた。

 慌てて走ってきたらしい香奈は息を切らしている。

 私と香奈では身長が違うし、歩幅も違う。歩く速さだって違う。そんな私が速足で歩いたら香奈がついて来れない。そんなの考えるまでもない当たり前のことなのに、それすら私の意識から抜けていた。

 余裕がない。不安で落ち着かない。こんなことは初めてで、私はどうしていいか分からない。


 ごめんも言えず、ただ立ち尽くす私を見て香奈は目を丸くする。

 それから何故か、ふふっ。と笑った。何だか大人びた、小さな子供を見るような笑み。


「七海ちゃん、大丈夫。子狐様なら何とかしてくれるし、私も相談にのるから」


 そういって香奈は私の手を握り締めて、背伸びをする。私の頭を撫でたかったみたいだが、平均よりも小さい香奈では私の頭に手が届かず、前髪を軽くたたくだけだった。それが香奈は不満らしく、ムッとした顔をする。

 その一連の動きを間近で見た私は、ついつい笑ってしまった。


「七海ちゃん、ひどいなあ」


 そう香奈は言いながらも、安心した顔をする。その表情がやっぱり大人の、頼もしい女性に見えて私は強張った体から力が抜けるのを感じた。

 高校に入る前だったらあり得ないことだ。私が香奈に頼って、香奈が私を慰めるなんて。


「ちゃんと相談のるから。解決できるか分からないけど、聞くぐらいなら私でもできるから。だから、ちゃんと話してね」


 香奈はそういって私の手を強く引いた。

 思った以上に心配をかけたようだ。相談しなかったことにも怒っている。とも察せられた。

 やっと気づいた私は、初めて香奈に対して怖いなあ。という気持ちを抱く。怒られたらどうしよう。なんて子供みたいな感覚、香奈に抱くのは初めてで、完全に立場が逆転したといっていい。


 こんなことになるなんて高校に入学した時には思いもしなかった。

 彰に会わなければ、香奈は今も引っ込み思案なままだったに違いない。私の後ろに隠れて、自立なんてできなかっただろう。

 そう考えると、彰との出会いは香奈にとってはよい事だったに違いない。

 でも私はどうだろう? 私にとって彰との出会いは良い事なのだろうか。


 彰を思い浮かべると、その背後に漂う青い瞳を思い出す。

 思い浮かべるだけで震えそうになる体を抱きしめ、何とか振り払う。

 ただの子供。ただの幽霊。唯ちゃんのように無残な姿になっているわけでもない。なのに何であんなに怖いのだろう。そう私は考えるけれど、いくら考えても答えは出てこない。


「相談……するのが一番だよね」

「一番だよ」


 詳しいことは何も話していないのに、断言する香奈に頼もしさを感じながら、私はそうだね。と頷いた。

 アレは私の手におえるものではない。それだけがここ数日の収穫だった。

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