6-4 そして幕は下りる

 彰が手を動かすと、宮後さんと小野先輩がそれに合わせて機械を動かす。彰の周囲に狐火がボッボッと音を立てて現れ、彰の肌を青白く照らした。それでも恐怖よりも神秘性が勝つのだから顔がいいというのは得である。

 

「ここはお狐様の土地。悪しき存在は即刻足し去り願います」


 彰が固い口調でいうとリンさんは鼻で笑う。演技だと分かっていても、日頃の彰への態度を見ると違和感がすごい。クティさんとマーゴさんも同じことを思ったらしく、居心地悪げに身じろぎした。


「人に忘れ去られ、祠まで壊され、敬意も信仰も地に落ちたっつうのに、この期に及んで人間守ろうなんて破滅願望でもあんのか?」


 祠まで壊されというところで尻餅をついたままの尾谷先輩がビクリとした。観客の中でも祠の事件を知っている人がいたのか、視線が集まる。尾谷先輩は目をそらしているが、あまりにも分かりやすい。


「神も仏も迷信だって否定される世の中だ。身を削ってまで守る意味がどこにある」


 両手を広げて笑うリンさんはまさに悪役。人から外れた、上位の存在。並び立つことなど不可能な神に近いもの。そう実感して、私は知らず知らずのうちに手を握り締めていた。

 

 しかし、彰はそんなことは一切感じていないのか表情を崩さない。いつもの彰に比べると無表情に近い静かな面立ちは、彰を余計神聖なもののように見せる。禍々しいリンさんとの対比もあり彰についていけば大丈夫という根拠のない、理由すらも分からない感情が沸き上がる。


「意味など必要でしょうか? この地に住まう人々を育て守る。それがお狐様の意思。そしてその意思によって守られている私が、お狐様に対して恩を返したい。そう思うのも自然なこと」


 彰はそういうと観客に視線を向ける。一瞬ではあったが、彰の考えを伝えるには十分だった。あなた達もお狐様に守られる人間なのだと。


「そうはいっても人間なんて薄情だろ。加護の中心であるこの学校に通う人間は神の存在を信じてねえ。お狐様のお膝元として栄えた商店街だって潰れる直前。人間なんて信じたってバカみるだけだ。黙って俺に滅ぼされるの見てた方が楽でいいんじゃねえ? 契約なんてものも人間がいなくなれば関係ねぇし」


 赤い瞳を見開いて、リンさんは観客を見渡した。リンさんの視線の動きと一緒に小さな悲鳴が聞こえる。それを見て満足げな顔をするリンさんはどこからどう見ても人ではない。

 これは演技などではなく素だ。本心だ。そう私は気付いてしまい、香奈の体を抱きしめる。香奈が戸惑った顔をしたが、私には説明する余裕がなかった。


「あなたには一生分からないでしょう」


 彰の静かな声が周囲に響く。それだけで不思議と安心するのはなぜなのか。

 観客の様子を見ていたリンさんの視線が彰へと戻る。彰は哀れなモノを見る目でリンさんを見ていた。

 彰の態度は演技だ。そう分かるのに、なぜかリンさんは過剰に狼狽えように見えた。演技だと分かっていても、その視線を向けられるのが耐えられないというように。


「愛を知らない。知る気もない。分かろうともしない。最初か人の心を持たない悪魔には、一生分からないことです」


 リンさんの瞳が揺れた。今まで周囲を威圧していた、絶対的な王者が今度はとても弱いものに見えた。生まれたばかりの赤子が、どうしていいか分からずに泣き続けているような。お前にだけはそれを言われたくなかった。そういった動揺が伝わってくる。

 彰の言葉にそれほどショックを受けるようなことがあったのか。演技だ。そうリンさんは分かっているはずなのに……。


「可哀想な人ですね」


 そういって彰が近づくと、リンさんは大げさなほどに怯えた様子を見せた。なんとか表面を取り繕うとしているようだが、失敗し、歪な笑みが顔に張り付いている。

 クティさんとマーゴさんはそんなリンさんに驚いているようで、目を見開いて成り行きを見守っていた。

 尻餅をついた尾谷先輩はもちろん口をはさめない。


 動くのは彰のみ。ゆっくりとリンさんに近づいて、その手をとる。

 赤に彩られた奇怪な空間。周囲には青白い狐火が浮かび上がる、現実とは思えない禍々しい世界の中で、彰だけはやけに綺麗に見えた。

 彰は穏やかな笑みを浮かべ、リンさんへとほほ笑みかける。

 言葉はなくても慈愛に満ちた表情には救済があった。あなたの罪は許されるのです。そんな言葉が聞こえてきそうな慈悲深い笑みを浮かべて、彰は……


「悪霊たいさーん!」

「うああああ!?」

 リンさんを分投げた。


「えぇええええー!?」


 叫んだのは尾谷先輩。続いて「そんな展開ありかよ!?」と叫び声が聞こえたが全くの同意である。何でそこで分投げたし。いい雰囲気が台無しだよ!

 ポカーンとする観客。固まるクティさんとマーゴさん。何故か「おおー」と感心した様子で拍手する小野先輩、嫌な記憶でも思い出したのか青い顔をする宮後さん。

 そんな周囲の反応なんて気にせず、彰はマーゴさんをにらみつけた。ひぃっと声をあげたマーゴさんは、慌てて両手を打ち合わせる。


 少々間抜けな音が響くと、赤い空間がぐにゃりと曲がり、少々の吐き気と共に現実世界が帰ってきた。

 赤に彩られた世界は消え、晴れ渡った青空に、色彩を取り戻した見慣れた学校が見える。それでも観客は状況についていけず、魂が抜けたように周囲を見渡し、最終的にはやぐらに立ったままの彰を見つめる。


「こうして、お狐様のつかいにより悪は滅せられ、平穏がもどったのです」


 マイク片手に岡倉さんが淡々とナレーションを告げた。すっかり存在を忘れていた音楽が盛り上がりを迎えてからフェードアウトしていく。つまり、終わりという事である。

 いや、まて、これで終わりとかふざけてんのかと私がどこから突っ込めばいいのか分からずに口を開閉していると、岡倉さんは無表情のまま彰にマイクを渡した。


「皆さん、朝の貴重なお時間ありがとうございます。今回の劇は民俗学研究同好会の部活動の一環として、商店街復興プロジェクトと協力してお送りさせていただきました!脚本の荒さや演技に関しましては、素人の集まりですので大目に見ていただけると幸いです。その代わり演出には凝りましたので、その点については皆さんを満足させられたと自負しております」


 先ほどまでの神秘性はどこにいったのか、笑顔で軽快に彰は話し出す。そこにいるのはいつもの佐藤彰であり、お狐様のつかいだといっていた宗教画じみた神秘性は消え去っていた。

 あまりの変わり身に観客が唖然とするが、少しずつ事態を飲み込めたようで「なるほど」「演技か」「宣伝か」とそれぞれ納得した様子を見せる。続いて「面白かった」「すごかった」などの感想とともにまばらに拍手が起こり、最終的には全員が拍手をしていた。


 演劇への評価というよりも非現実を仮体験できたことへの興奮の方が強いように見えた。「あれ、どうやったんだろうね?」と囁き合う生徒たちをみながら、正真正銘オカルトなんだよ。君たち異空間に引きずり込まれたんだよといったらどんな反応をするだろう。

 実行できないことを思いながら、私は乾いた笑みを浮かべる。


 すぐ近くで小宮先輩が目を輝かせ「すごい、すごい」と手を叩いていた。純粋無垢な小宮先輩は何の疑いもなく騙されたようだ。その隣で納得できない顔をしている重里を見るに、意外と丁度いい組み合わせなのかもしれない。


「多少のアレンジは加えさせてもらいましたが、我が校の歴史。商店街の歴史。この地を守る神、お狐様は古くから伝わる事実です。そして商店街が今、潰れる瀬戸際にあるのもまた事実です」


 笑みを浮かべていた彰が視線を下げ、悲し気な顔をする。声のトーンがおちたことで、拍手していた観客の顔つきも神妙なものへと変わった。小宮先輩は興奮していたのが嘘のように悲し気な顔で彰を見つめる。


「時代の変化。そう言われてしまえばそれまでですが、古くから残る由来のあるものが消えていくのは悲しい事です。私は民俗学に興味を持ち研究する立場。このまま歴史的にも価値のある商店街が消えてしまうのを黙ってみていることはできませんでした。そこで皆様にとても厚かましいお願いだと分かっていますが、商店街の現状を知って頂き、少しでも協力して頂けないかとこのような出し物を行った次第です」


 彰の言葉が終わると同時に、岡倉さん、小野先輩、宮後さんたちがチラシを観客たちに配り始める。商店街復興プロジェクト。ボランティア募集と書かれたチラシを見て私は悟る。要するに宣伝を兼ねた人員確保である。さすが彰ずる賢い。


「この出し物をするにあたり、商店街活性化対策本部、白猫カフェの皆様にご協力いただきました」


 そういって彰が小野先輩を、次に宮後さんたちを示す。不良イメージの強い小野先輩に意外そうな反応を向ける生徒たち。宮後さんたちに関しては白猫カフェを知っているのか「やっぱり」「あそこの」というつぶやきが聞こえてきた。

 白猫カフェに関しても順調に客足は伸びているようだ。小野先輩が目をつけるのも周囲の反応を見ると納得である。


「最後に商店街復興のために多額の寄付を約束くださいました、重里玲菜さんに多大なる拍手を」


 観客の反応を見ていた彰が笑顔で重里をしめす。いつのまに!? と私が視線を向けると、重里は目を見開いて彰を凝視しています。その顔には「聞いてない」と書いてあった。

 なるほど……。宣伝、人材確保、ついでに資金調達。おまけで憂さ晴らしまで済ませるつもりらしい。何てちゃっかりものだ。


「玲菜さんすごい! さすが玲菜さんです。優しいんですね!」


 目を輝かせ、無垢な瞳でほめちぎる小宮先輩。最愛の人のそんな姿を見て、嘘ですと重里がいえるわけがない。「小宮先輩の彼女さんってすごいんだね」「さすが小宮先輩」という周囲からの称賛の声まで加わり、重里の逃げ場は完全になくなる。

 この野郎だましたなと彰をにらみつけるが、彰は人の好い笑みを浮かべるのみ。心の中ではざまあみろと嘲笑っていたとしても、表情に出なければそれは周囲には伝わらないのである。

 面の皮の厚さの勝利であった。


 そういえば、彰に分投げられたリンさんはどこにいったのか。リンさんだし死ぬことはにだろうが念のためとあたりを見合すと、少し離れた生垣から真っ黒い足が二本はえていた。

 マーゴさんは慌ててかけよっていくが、クティさんはのん気に携帯を取り出している。パシャリという音が聞こえたのを見るに、証拠品として大切に保管されるらしい。最終的にはリンさんも彰の被害者になってしまったわけだ。何て哀れなことだろう。


「結局は全部、彰の思うままってやつね……」


 人に囲まれている彰を見ながら私はため息をつく。香奈は「彰君すごいね」と純粋に感心しているようだが、重里は親の仇でも見るような顔をしている。反応はそれぞれだが、個人の意見など彰にはどうでもいいのだろう。目標を達成できればいいのである。


「彰君に頼んでよかったなあ」


 満足気に頷く小野先輩を見て私は苦笑した。小野先輩からすれば最高の結果だろう。資金源も人材も確保。知名度もアップ。万々歳だ。


 だからこそ、そんな空気についていけない男が一人。

「何で俺、巻き込まれたんだ……?」


 利用するだけ利用され、ポイ捨てされる形になった尾谷先輩の呟きは小野先輩にも彰にも届かなかったのである……。

 ああ、本当に不憫な人でした。

 かける言葉が見つからなかった私は、とりあえず心の中で祈った。


 尾谷浩治先輩に幸あれ……。

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