5-2 優しい嘘つき

 結局、その日のうちに彰からの連絡はなかった。部屋について一息いれてから彰にメールを送ってみたが、返信はなし。彰からの返信がないのはいつもの事なのだが、こういう時ぐらいは返事をくれてもと私は朝からイラッとする。

 文章よりも口で言った方が伝わりやすいと彰はいう。その意見もわからなくはないが、せっかく会わなくても連絡を取り合える道具があるのだから、利用したっていいだろうに。


 商店街の事がどうなったのか気になって、なかなか寝付けなかった。起きてからもこれかと私はため息をついて香奈の部屋へと向かう。

 香奈も私と同じような気持ちだったのか、いつもよりも眠たそうな顔で目をこすりながら部屋から出てきた。それでも彰へ文句一つもいわないのだから優しくて、心の広い幼馴染である。

 彰は香奈の爪の垢でも煎じて飲むべきだ。今すぐにでも。


 眠たそうな香奈に合わせていつもよりもゆっくり朝食をとる。私も香奈も早めに起きて朝食を食べているので、少々のんびりでも時間に余裕はあった。ただ、ちらちらとこちらの様子をうかがう視線だけが気にかかる。


 香奈は眠い事もあり今のところ気づいていないが、このままだと時間の問題だと女子寮だからか豊富なサラダとフルーツを口に運びながら思う。昨日の夜と同じく美味しいはずの料理の味がよく分からない。

 すべては突き刺さる視線のせい。


 昨日の夕方、女子寮に帰った私と香奈を待ち受けていたのは、学年を問わない好奇の目。学園内で浮き気味であろう千鳥屋先輩と一緒に帰ってきたというだけでは説明がつかない視線の数は、彰が原因だとすぐに分かった。

 商店街のごたごたがあって半ば意識から抜けていたが、彰は学校でも盛大にやらかした。入念にかぶり続けていた猫を大勢の前で分投げた事実は、彰の知名度や話題性も合わせてあっという間に広まってしまったのだろう。


 私と香奈が彰の幼馴染(設定)だということも学校内では有名だ。女子寮内でも上級生から彰との橋渡しを頼まれたことがあるくらいなので、私たちに聞けば詳しい事情がわかると思われるのは自然な流れ。

 ただ、視線は感じるものの直接声をかけてくるものはいなかった。聞きたいけど、聞きたくない。そういう葛藤が見える様子を見て、そうだよなあと思う。


 彰は見た目だけなら美少年である。病弱癒し系という学校内のアイドルみたいなポジションを確立していた。

 それが突然、ヤクザと評される百合先生と同等の形相で怒声をあげ、人間離れした脚力で走り去ったのだ。夢幻。嘘であってほしいと夢を見ていた人たちは思うだろう。


 昨日の夕飯は周囲が迷っている隙をついて自室に逃げこむことが出来たが、今日はそうもいかないだろう。学校をサボるわけにもいかない。そんなのは一時的な逃げでしかないことぐらい私だって分かる。

 視線の数が増えたことから考えて、噂は一晩のうちにさらに広まったに違いない。今日中には学校中に広まり、明日になったら知らない人はいないくらいになっているだろう。


 大げさなと他の人物だったら言えるのだが、何しろ佐藤彰だ。こんなところで無駄な影響力を発揮しなくてもいいのにと私は額に手を当てるが、いくら心の中で文句をいったところで現状が変わるはずもない。


 そもそも、勝手に猫をかぶって、勝手に猫を放り投げたのは彰だ。幼馴染というのも設定だけの話だし、私が気をもむ必要なんてない。放っておけばいい。

 冷静な部分はそう思うのに、心は落ち着かない。

 

 とぎれとぎれに聞こえてくる。信じられない。ありえない。そんな言葉がどうにも引っかかる。


 何が信じられないだ。最初から彰という人間はそういうやつである。自分の外見の良さをよく分かっていて、嘘をつくのに罪悪感を感じず、人を小ばかにし、見た目からは想像できない毒をはく。そのうえ怪力。腹黒。美少年に生まれたことの事の方が間違っている。そんな奴に騙されたお前らが悪い。


 そう彰を非難しているのか、こそこそと話している周囲の人間を非難しているのか分からないことを思う。

 自分の気持ちが分からず、私は顔をしかめた。

 朝から嫌な気分である。これもそれも彰のせいだと思うのに、とぎれとぎれに聞こえてくる「ウソつき」という言葉にどうしようもなくイラつく。


 佐藤彰は嘘つきである。

 それは紛れもない真実だ。病弱なのも嘘だし、教室での態度も嘘。本心とは真逆な行動を平気でとるし、それを周囲に悟らせない演技力を兼ねそろえた厄介な奴。

 だけど、根っからの悪人ではないのだ。分かりにくいし、回りくどいし、本音を口にしないけれど、いざとなったら彰ほど頼りになる人間を私は知らない。


「七海ちゃん……」


 いつのまに目が覚めたのか、香奈が心配そうに私を見ていた。大丈夫? と訴えかける瞳を見返して私は苦笑する。


 気付いたらはしを握る手に力が入っていた。力が入りすぎて指が赤くなっているのを見て、何をやっているんだと苦笑する。

 最初は私だって、嘘つき。どうしようもない性悪。そう思っていたというのに、いつの間に考えが変わってしまったのだろう。私の日常を壊す破壊者でしかなかったというのに、気付けば日常の一部になっていた。そのことに気づいて、何だかなあと思う。

 きっと知らない方が、出会わない方が平和に生きられたのに。今では彰がいない日常に物足りなさを感じてしまうのだから、もしかしたら私はマゾの気があるのかもしれない。


「彰に会って昨日のこと聞かなきゃいけないし、この状況どうするかもきかないとね」


 チラリと周囲を見渡すと、香奈はきょとんとした顔をして、それから周囲を見渡した。慌てて視線を逸らす視線の主たちに苦笑いを浮かべて、私はどうしようかと考える。

 考えたところで答えは出ない。これだけ広まってしまったことを抑える方法はないように思う。いっそのこと開き直って、素で生活した方が彰としても楽なのでは。そう思うが、それを決めるのは彰だろう。


「彰君なら、大丈夫だよ」


 間をおいてから状況を理解した香奈は、私に向き直ると満面の笑みをうかべた。やけに自信満々にいうものだから、私は驚いて香奈を凝視する。


「彰君、優しいから皆分かってくれる」


 純粋な、一点の曇りのない笑顔を浮かべる香奈に私は驚きのあまり固まった。あの彰に対して優しい。そう迷いなく言い切れる香奈の器は大きい。大きすぎる。


「……優しい……かな?」

「優しいよ」


 私が微妙な顔をしても香奈は相変わらずニコニコしている。

 たしかに仲良くなってからは彰の態度は優しい。香奈に対しては比較的やわらかい対応をする。けれどそれはあくまで香奈に対してはだし、仲良くなってからだ。初対面にいきなり小ばかにされたことを忘れたのだろうか。


「彰君は、嘘をつくのが上手いから」


 まさか香奈がそんなことをいうとは思わなくて驚いた。彰に対して実は香奈もイラついていたのか。そう思って見つめるが、言葉に反して香奈の表情は寂しげだった。


「自分に対しても嘘をついちゃうから」


 ポツリとつぶやかれた言葉に、私はしばし言葉を失った。今までの彰を思い出して、そうだ。そうだったと深く心の中で頷き、眉を寄せる。


 佐藤彰は嘘つきだ。自分にも綺麗に嘘をつく。

 初めてあった祠の事件。あの時だって嘘をついていた。本当は不用意に近づいた私と香奈が心配だったのに、わざと悪者になって遠ざけようとした。本当は尾谷先輩を救いたかったのに、一人よりも多くの人を優先した。悪者にされて、勘違いされて傷つかないはずないのに、傷ついた姿なんて見せなかった。


「彰君は優しいよ。だから皆わかってくれる」


 香奈が柔らかく微笑んで、同じ言葉を繰り返す。それに対して私は否定する言葉が浮かばず、そうであってくれたらいい。そんな希望を抱えて、


「そうだね」


 気付いたらそう、本音が零れ落ちていた。

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