6-2 吐き出す想い

 今にも崩れ落ちてしまいそうな、日下先輩の弱々しい告白を彰はただ見つめていた。表情には何の感情もうかがえず、見ている私は不安になる。香奈も同じ気持ちだったのか、私の制服の裾をぎゅっとつかんだ。

 吉森少年は信じられない。という顔で日下先輩を見つめていた。日下先輩は吉森少年を見て、すぐに目をそらす。


「あの日、私と唯はケンカをしていました。理由は覚えてません。覚えてないくらい、どうでもいい内容だったんです」


 そういって日下先輩は顔をゆがめる。今にも泣き出しそうだが、泣くことなんて許されない。そう思っているかのように、必死に涙をこらえていた。淡々とした口調は冷静さを保つためなのかもしれない。感情を抑えた抑揚のない声が、余計に辛い。


「それでも、当時の私は唯に腹を立てていました。絶対に許さない。謝っても許してやるもんかっていつもだったら一緒に手をつないで帰ったのに、唯を置いて先に帰ったんです」


 日下先輩はいっそう自分の体を抱きしめる。ガタガタと体が震え、今にも倒れそうなほどに顔は白い。


「唯は追いかけてきました。待って、置いてかないで。謝るからって。何度も私に声をかけてきたんです。でも、私は意地になっていて、唯の呼びかけを無視しました。そして、この交差点で、唯は私に追いつきました」


 日下先輩は彰をじっと見つめる。いや、彰というよりも彰の後ろに立っている唯ちゃんを見つめているのだろう。言葉を迷う様子で口を何度か開閉する。しばしの沈黙の後、日下先輩は震える声で話をつづけた。


「唯は私の腕を掴みました。きっといくら声をかけても返事をしない私に、焦ったんです。でも、私はすごく腹が立っていて……唯のそうした行動すら許せなくて、腕を振り払った……」


 日下先輩の震えが大きくなった。


「まさか、あんなことになるなんて思わなかった。振り払うっていっても、軽くのつもりだった……。でも、思ったより力が入って、バランスを崩した唯は後ろに倒れて…………そこに……トラックが……」

「美幸姉ちゃん……」


 震える日下先輩の手を吉森少年が握り締める。大丈夫。美幸姉ちゃんは悪くない。そう言葉に出さずに伝えるが、日下先輩か顔を左右に振った。


「私のせいです……。私のせいなの。あの時私が変な意地なんかはったから……。唯を振り払ったりしたから……。唯とケンカなんかしたから……。私のせいで……、私が唯を殺した!」


 日下先輩はそう叫ぶと、ズルズルとその場に崩れ落ちた。何とかこらえていた涙が、頬を伝う。一度流れ出た涙は止め方が分からないように、静かに流れ続けた。

 きっと、ずっと日下先輩は泣きたかったんだ。それなのに後悔と罪悪感から、泣くこともできず、悲しみは逃げ場所を失って心の奥にため込まれていた。それが今、あふれ出てきたように見えた。


「美幸姉ちゃんは何も悪くないって」


 日下先輩の肩に手を置いて、吉森少年は日下先輩に呼びかける。必死に目をあわせようとするが、日下先輩は下を向いて、弱々しく首を振った。自分が悪い。自分のせいだと己を責める日下先輩に、吉森少年の言葉は届いていない。救われる気がない。そう彰が言った意味がようやく分かる。

 日下先輩は罰を欲している。


「皆そういった。警察の人に、私が殺した。私を捕まえてくれっていったけど、君は悪くないとしか言われなかった。唯のお母さんとお父さんにも、私が悪いんですっていったけど、あなたは何も悪くないとしか言われなかった」


 日下先輩はそう言って顔をおおった。


「全部不幸な事故だって! 誰も悪くなかった。君は何もしていない。そう皆いった。辛かったね。もう気にしなくていいのよって慰めてくれた。でも、それって可笑しいのよ! 私は生きてる。唯は死んだのに! 私のせいで、もういないのに!」


 日下先輩はそう叫んで、胸を押さえつけた。吉森少年は日下先輩の肩からゆっくりと手を放す。何を言っていいのか、どうすればいいのか迷い、離した手が宙をさまよい、やがてあきらめたように下を向く。


 吉森少年も日下先輩に悪くない。そう言い続けた人間の一人だ。吉森少年に日下先輩を責める意図はなく、ただ自分を責める日下先輩の重荷を軽くしたかった。楽にしたかった。

 それだけだったのに、それすらも日下先輩には重荷になっていた。なんて、不幸の連鎖だろう。


「……何も悪くないって言われたって、納得いかないよねえ……」


 黙って話を聞いていた彰がぽつりとつぶやいた。彰にしては弱々しい、何だか泣きそうな声に聞こえて、私は耳を疑う。彰はその場にしゃがみ込む。それでも日下先輩が目線を合わせることはなく、下を向く彰に吉森少年は困惑した様子を見せた。


「僕さあ、弟がいたんだ」

 その言葉を聞いた瞬間、余裕の表情だったリンさんの表情が凍り付いたのが視界の端にうつった。


「とっても可愛い弟でさ、いつも僕のこと気遣ってくれて、僕にすごい懐いてくれたの」


 彰はかすかに笑みを浮かべて、懐かしそうに弟の事を語る。日下先輩は困惑した様子でゆっくりと顔を上げた。

 日下先輩は彰の弟が死んでいることを知らない。でもいたという言葉と、雰囲気から何か大事なことを言おうとしていることは察したのが分かる。私はいつになく静かな彰の語り口に、胸がざわついて落ち着かない。


「ちょうど唯さんが亡くなった年齢と同じ。弟は八歳で死んだんだ。僕をかばって、ナイフで刺されたんだよ」


 彰は泣きそうな顔で笑った。

 ナイフという聞きなれた単語。だが、刺されたと言葉が続くと、とたんに遠い世界の出来事のように感じる。それは死んだのではなく、殺されたというのではないか。

 日下先輩と吉森少年が目を見開く。彰はそんな反応お構いなしに、下を向いたまま語り続ける。


「お前のせいじゃないって言われた。弟が死んだのは殺した人間が悪いし、僕はたまたま居合わせただけだって。弟は僕のことが大好きだったから、僕が生きてて喜んでるってそう言われた」


 リンさんが視界の端で拳を握り締める。顔をしかめる姿を初めて見る。意外に思ったが、私は彰から目をそらせない。


「でもさあ、そんなの納得いくはずないでしょ。だってさ、死んだんだよ。弟は。もう会えない、話せない。頭がよくて、明るくて、皆に愛されてた。僕なんかよりよっぽど、世界に必要とされた子だったのに。死んだんだ。僕のせいで」


 彰は再び笑う。自分を心の底から軽蔑している、あざけりの笑みだった。


「それなのに、みんな言うんだよ。お前は悪くない。あれは不幸な出来事だったんだ。お前のせいじゃないって。僕のせいじゃないわけ、ないのにさ」


 日下先輩の表情が歪み、先ほどよりも大きな涙が瞳から零れ落ちた。ただ流れていた涙に嗚咽が混じり、苦しそうに息をつく。吉森少年は日下先輩の隣に移動し、その背をゆっくりと撫でた。


「たとえ世界中の人が自分を許してくれたとしても、僕自身が自分を許せない。ねえ、先輩ならこの気持ちわかるよね」


 彰の問いかけに、日下先輩は泣きながら必死にうなずいた。彰はその様子を見て、悲し気に笑う。

 二人とも、自分と似た経験をした存在を前に安心している。同時に、安心してしまった自分を嫌悪している。大事な人を犠牲にして、今を生きている事実に二人の心が休まる日は来るのだろうか。


 隣で香奈が目をこする。大きな瞳からは涙でぬれていた。感受性が豊かだから、彰と日下先輩に共鳴してしまったんだろう。そう思う私も泣いてしまいそうだった。日下先輩だけでも辛いのに、語っているのは彰だ。

 お前はそんなキャラじゃないだろ。笑えよ。そんな悲しそうな顔で、不安そうな顔をするなって怒鳴り散らしたい気持ちになって、私は唇を噛みしめる。


 きっと彰も可哀想なんて言われるよりはいいと笑うだろう。それが分かっても、私はそれを言うことはできない。今救われるべきは彰ではなく、日下先輩なのだ。彰が自分の弱い部分をさらしてまで、救おうとしているのは自分ではなく、他人だ。

 それを私が邪魔をしていいはずがない。


 何で真逆に見えるのに、そんなところだけ似てるんだと私は拳を握り締めた。彰も日下先輩も、損ばかりする大馬鹿ではないか。

 彰は日下先輩の様子を見て満足げに笑う。これで日下先輩を救えると確信した様子を見て、安堵と同時に私は悲しくなった。彰が日下先輩を救う。じゃあ、彰を救えるのは一体誰なんだ。


 そんな私の気持ちすら振り払うように、彰はにっこり笑うと、日下先輩の顔の前でパンっと手をたたいた。何の前触れもなく猫だましをくらった日下先輩が目を見開く。見開かれた目から涙がボロり落ちる。 

 それが今まで日下先輩を蝕んでいた、付き物が落ちたようにも見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る