6-3 伝えたかったこと

「分かったなら、ちゃっちゃと僕とは違う結末選んじゃおう! 先輩はまだやり直せるんだから」

「え?」


 さっきのしんみりモードはどこにいったのか。通常運転に戻った彰は、日下先輩が言葉の意味を理解する前に立ち上がる。そしてそのまま、横へと移動した。

 彰の背に隠れていた谷倉唯の姿が、日下先輩の目にうつる。日下先輩は一瞬身を固くして、それから戸惑った様子で彰を見上げる。


「彼女は、先輩に伝えたいことがあるからここにいる」

「それは……私を恨んでの事でしょう……」


 日下先輩はそう言って視線を下げた。吉森少年が違うと言おうとしたのだろうが、先ほどの告白を聞いたためか、苦し気に口を閉ざす。


「ここを通ると、許さない。そういう唯の声が聞こえる。きっと唯は私を恨んで……だから今に成仏できてない……」


 自分の胸を握り締めて日下先輩は語る。悲痛な声を彰は黙って聞いて、あきれたようにため息をついた。


「先輩さあ、自分がゼロ感だって忘れてない?」

 驚き顔をあげる日下先輩に、彰はいつも通りの人を小ばかにした笑みを浮かべた。


「僕やマーゴ、霊感がある吉森君が聞こえない声が、ゼロ感の日下先輩に聞こえるわけないでしょ」


 彰の言葉に日下先輩は目を見開いて、固まった。私も意味が分からずに香奈と顔を見合わせる。吉森少年もは戸が豆鉄砲を食らったような顔で彰を見る。リンさん、マーゴさん、クティさんの三人だけは「ああ」とどこか納得した様子で頷いた。

 この人たち、本当に説明する気がない。


「先輩はずっと罪を欲してたし、精神科に通う位には精神が限界だった。唯さんが私を恨んでいる。憎んでる。って妄想にとりつかれてもおかしくない。少しでも罪悪感を薄れさせようと高校進学先はうちの学校を選んで、毎月交差点にやってきては花を手向けた。先輩の性格からいって高校入学してから欠かしたことないでしょ」


 彰の言葉に吉森少年が頷く。


「それがまずかったんだよ」

「え?」

「日下先輩、幽霊は信じないっていっても、少しぐらい考えたんじゃない? もしかしたら、唯は私を恨むあまり、未だに成仏できていないかもしれないって」


 日下先輩は少し間をあけてから、無言で頷く。

 罪悪感に苛まれた日下先輩が、無意識にそう思ってしまうのも仕方ないことだ。罰を欲していいたのなら、幽霊だとしてもお前が悪いと言われたかったのかもしれない。


「普通だったらそう思っても、何も起こらなかった。ただの妄想だし、ちょっと日下先輩のメンタルが悪くなるくらいの話。ただ、今回の場合は本当に唯さんはここにいた。だから日下先輩の想いと唯さんの願いが、共鳴しちゃったんだよ」

「共鳴……?」

「早い話、お前がそこの幽霊に断罪されたいっていう気持ちと、そこの幽霊がお前に何かを伝えたいって気持ちが一致したんだよ」


 黙って話を聞いていたクティさんが口を挟む。ヤンキー座りで道端に座り込んでいるのだが、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。クティさんからするとほぼ面識のない人間の懺悔を聞いてるわけだ、いい加減にしてくれという感じなのかもしれない。

 それにしたってガラが悪い。


「二人で毎月かかさず、お花をあげて拝んで……、日下さんだっけ? は、きっと一日だって忘れることなかったでしょ? 僕らみたいに不確定な存在って言うのは、生きている人間の想いっていうのが重要だ。昨日そこの子が言ったみたいに」


 マーゴさんはクティさんの言葉を引き継ぐと、香奈の方を見て笑った。香奈はびくっと肩を震わせると、何故か私の背後に隠れた。今は隠れる場面ではなかったと思うが……、何だろう。気恥ずかしくなったのだろうか。


「小さいころから一緒だったなら、生きてる間につないだ縁も深いだろうし。何とか消えずにもったのは、お前らの思いの結果だろうな」

「まあ、ほんとギリギリだったけど。もうちょっと遅かったら自然消滅だったねえ」


 マーゴさんが朗らかに、笑えないことを言う。そうなったら、とんでもないバッドエンドだ。


「えってことは、日下先輩が花を手向けてたのは、よかったの? よくなかったの?」

「物事にはメリットとデメリットがあるから。唯さんの魂を保つことには効果を発揮したけど、結果的に日下先輩も引っ張られちゃった。もともと罪悪感があったから、実際の幽霊の行動と妄想が交じり合っちゃったわけ」

「混ざった……?」


 彰は「そうそう」とあっさり頷くが、いまいち私は理解できていない。


「昨日みたように、唯さんが日下先輩に何か言いたくて残っていたのは本当。でもって、日下先輩が知覚範囲内に入ると、追いかけていたのも本当。ただ、聞こえていた声は日下先輩の被害妄想」

「被害……妄想……」


 事実だとしても、その言い方はあんまりじゃないか。さっきまでみせた仲間意識はどこにいった。そう私は内心突っ込みつつも、心のどこかでホッとしていた。

 弱り切った、泣きそうな彰を見るのは、どうにも心臓に悪い。


「だからさ、先輩、ちゃんと話聞いてあげて。最後の瞬間。唯ちゃんの話聞いてあげられなかったなら、なおさら。これが最後のチャンスなんだから」


 日下先輩の後ろに移動した彰は、先輩の背をそっと押した。最後のチャンスという言葉に、私は唯ちゃんをじっと見つめる。昨日は赤い空間に入ってすぐ反応したというのに今日は何の反応もない。こんなに長々話しているし、日下先輩もすぐ近くにいるのに。


「死んだ人間に謝れるチャンスなんて、滅多にないんだから」


 彰はそう言って、日下先輩の背を先ほどよりも強く押した。

 普段通りにいったつもりだろうが、かすかに声が震えている。その声で私は、彰が無理やり感情を押し込めているのだと気付いた。日下先輩のために。


 彰の想いが通じたのか、日下先輩はよろよろと立ち上がる。数メートル先にいる唯さんを恐る恐る見つめる。唯ちゃんは日下先輩に気づいた様子はなく、うつむいたままだ。


「唯……」


 日下先輩は名前を呼びながら一歩近づく。唯ちゃんは日下先輩など見えていないかのように、何の反応もしない。本当にもう限界なのだろうか。


 一歩、また一歩。ゆっくりと日下先輩は唯ちゃんへと近づいた。見ているだけでも、ずいぶん長く感じられ、私は思わず手を握り締める。

 本当に唯ちゃんは日下先輩を恨んでいないのか? 日下先輩は救われるのか? 考えれば、考えるほど不安になる。


 そんな私を安心させるように、香奈が私の手をにぎる。見ると、祈るように真っ直ぐ日下先輩を見ていた。その瞳に暗い色はなく、ハッピーエンドをただ信じている。


「唯……!」


 先ほどよりも大きな声で、日下先輩が名前を呼ぶ。

 とたん、うつむいていた唯ちゃんの顔が上がった。何かを探すように顔を動かす。そのたびに血が地面に散るが、もう怖くはない。やがて日下先輩を視界にとらえると、昨日と同じく手を伸ばして、走り出した。


 昨日はあんなに怖かった姿が、今はただ悲しい。日下先輩は一瞬ひるんだものの、すぐに走ってくる唯ちゃんのもとへと駆けよった。残っていた距離があっという間になくなり、ゼロになる。唯ちゃんは勢いのまま、日下先輩の胸に飛び込こんだ。


「ごめんなさい」


 そう声が重なって聞こえた。

 重なった声に日下先輩は目を驚いて、抱き止めた唯ちゃんを見下ろす。

 唯ちゃんは伸ばしていた手を日下先輩の背に回すと、ぎゅうっと必死に抱きついていた。もう絶対に離れない。そう言った必死な様子で、叫ぶ。


「美幸ちゃん、ごめんなさい! 私が悪かったの!」

 予想外の言葉に、日下先輩の反応が遅れた。


「何で……、謝るのは、私の方じゃ……」


 震える声で唖然とつぶやき、日下先輩は唯ちゃんをじっと見つめる。

 同い年だったはずなのに、日下先輩よりも二回りほど身長差がひらいてしまった唯ちゃんは、日下先輩の声が聞こえてないかのように謝り続けている。


 これはどういうことだと彰もを見ると、彰も予想外だったようで、驚きの表情で固まっていた。彰が分からないのなら、私にわかる気がしない。


「……お前、ケンカしてたって言ってただろ」


 助け舟を出したのは、意外なことにクティさんだった。いい加減にしてくれとうんざりした様子で頭をかいて、投げやりに声を出す。


「そいつ、即死だったみてぇ」

「…………?」

「ようするに、痛みを感じる間もなく一瞬で死んじまったから、死んだって気づいてないんだよ」


 日下先輩は自分に抱き着いて、必死に謝り続ける唯ちゃんを改めて見下ろした。

 死んだと気付いていないということはつまり……。


「そいつは死んだ直前にしようとしてたことが、出来なかったのが心残りでずっと留まってただけ。お前のことなんて恨んでないし、むしろ逆。ただ、お前に謝りたかっただけ」

「美幸ちゃん! ごめん! 嫌いにならないで」


 クティさんの声をかき消すように、唯ちゃんの声が響いた。

 唯ちゃんは日下先輩が何も言わないのが不安なのか、顔を日下先輩のお腹の辺りに押し付けて、嫌がるように頭を左右に振っている。その仕草に日下先輩は唯ちゃんを見下ろして、次の瞬間に顔をゆがめた。止まった涙が頬をつたうが、先ほどの見ていて胸が痛くなるものではない。あたたかい気持ちになる、綺麗な涙だった。


「嫌いに……なるわけ、ないでしょ……」

 日下先輩が震える声で、何とかそう口にした。


「唯のこと……もう怒ってないよ……」

「……ほんと?」


 唯ちゃんが恐る恐るといった様子で顔を上げる。顔色は悪いし、相変わらず血は流れているが、先ほどに比べると表情が明るいように見えた。


「私こそ、ケンカして……ごめんね」

「美幸ちゃんは悪くないよ! 私が悪かったの」


 日下先輩が何とか言葉を絞り出すと、唯ちゃんは笑う。恨みや憎しみとはかけ離れた純粋な笑みに、日下先輩は一層泣きそうな顔をした。


「よかった、嫌われてなくて。私、美幸ちゃんのこと大好きだから!」


 言うと同時に、唯ちゃんの姿がキラキラと輝きだす。滴っていた血が消え、曲がっていた足が元に戻る。青白かった肌はぬくもりを感じる健康的な色へと変化した。生前の姿にもどった唯ちゃんは、嬉しそうにほほ笑み、美幸先輩に思いっきり抱き着くと……音もなく消えた。


「……成仏したみてぇだな」

「消耗しちゃったけど、あれくらいならギリギリ何とかなりそうだね」

「来世はもっと長生きできそうだな」


 クティさん、マーゴさん、リンさんが上を見上げて口々にいう。私も同じく空を見上げたが、マーゴさんによって作り出された赤い空間が広がっているだけだ。

 けれど、彼らがいうのならば、きっとそうなのだろう。


 日下先輩はさっきまで唯ちゃんがいた場所を見つめて、立ち尽くしている。不自然なポーズが唯ちゃんを抱き留めた形のままで、そこに唯ちゃんがいたということを証明していた。

 だまって事の成り行きを見守っていた吉森少年が、こらえきれないとばかりに日下先輩へと走る。


「やっぱり、唯姉ちゃん恨んでなかっただろ! 美幸姉ちゃんのバカ―!」

 そう抱き着くと同時に、声をあげて泣き出した吉森少年に、日下先輩は涙を浮かべながら笑った。


「ほんとにね……」


 その笑顔を見て吉森少年は一瞬泣き止んで、それから先ほど以上に顔をゆがめて泣き出す。酷い顔になっているが、吉森少年はそんなことどうでもいいだろう。

 十年ぶりに見た日下先輩の本当の笑顔の方が、彼にとっては重要だったに違いない。

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