六話 見えた真実と見えない真実

6-1 望むモノと望まぬモノ

 数時間後の夕暮れ時、交差点には風景に溶け込むには不釣り合いな顔ぶれが集まっていた。

 けして、私と香奈、彰の事ではない。

 マーゴさん、クティさん、リンさんの三人だ。


「何で、お前がいるわけ……」


 彰が眉を吊り上げて、不快をあらわにするがリンさんは笑って誤魔化す。そのくらいで彰が誤魔化されないと分かっていての行動なのだから、心臓は超合金製だ。


「僕はマーゴ、ついでにクティをよんだだけ。お前みたいな無責任、口だけ野郎は呼んでねえんだよ」


 彰はそう言いながら、リンさんの足を容赦なく蹴りつける。じゃれ合いというレベルではない本気の蹴りだったらしく、リンさんが「ギャア!」と悲鳴を上げて飛び上がった。蹴られた足を抑えて震えているところを見ると、本当に痛かったらしい。

 それを見たマーゴさんが心配してかけよろうとしたが、クティさんが止めていた。正しい判断だと思う。


「俺がクティとマーゴ、連れてきたのにひどい……」

「連絡先教えろつったのに、お前が自分で連絡して、勝手についてきただけだろうが。お前に用なんてねえんだよ」


 かわい子ぶる気が一切ない、キレ顔である。こうしてみると彰って男なんだなあ。百合先生と怒った顔そっくりだなと現実逃避してしまうくらいには迫力がある。

 さっきから香奈が私の腕を本気でつかんでいて痛い。対リンさん用の機嫌の悪い彰は、香奈とは相性が悪いらしい。


「でも、何でボクたち呼ばれたの?」


 マーゴさんが彰に問いかける。クティさんは少し離れた場所から、マーゴさんと同じく理解できていない様子で彰を見ている。

 子狐様のように隠れるまではいかないが、彰は恐怖対象で確定らしい。先ほどから一切近づかない。その態度も彰をイラつかせている要因の一つだが、今はリンさんというサンドバックがいるので問題ないだろう。


 彰のことを言えないほど、私もリンさんに対しての扱いが悪い気がするが、なぜだかリンさんはそれでいい気がする。気を遣うだけ無駄というか、気を遣う価値がないというか。出会ってすぐ、ここまで印象が悪い人間も珍しい。


「マーゴには頼みたいことがあるから。クティはおまけ。真相は分かってたみたいだけど、結末くらいは興味あるかなと思って」


 彰の言葉にクティさんは驚いた顔をした。それからバツの悪そうな様子で、一歩彰に近づいてくる。自分の態度に罪悪感を覚えたようだ。


「頼みたい事?」

「もう一回、幽霊見える空間作ってほしくて」


 彰の頼みごとにマーゴさんは目を丸くした。


「君ならボクの力なんて必要ないのに、どうして?」

「必要なのは僕じゃなくて、日下先輩だから」


 マーゴさんは今度は首をかしげる。数時間前のやり取りを知らないマーゴさんからすれば、結論だけ話す彰は意味不明だろう。彰もそれを分かっているだろうが、説明する気はないらしく、マーゴさんと目すらあわせない。

 さすが佐藤彰。通常運転だ。


 クティさんは予想がついていたのか、落ち着いている。リンさんは、やけに楽しそうだ。分岐が見えるクティさんはともかく、リンさんは概要を聞いただけで詳しい部分は全く知らないというのに、この余裕は何だろう。

 もしかして、興味がないのか? ほんとうに冷やかしにきただけか? 

 だとしたら、彰が邪見にするのも納得だ。


 そんな事を考えていると彰の携帯が音をたてる。何度か聞いたことがあるが、あれはメールの着信音だ。軽く操作した彰は、満足そうに笑う。どうやら、よい知らせが来たらしい。


「そろそろ日下先輩が来るよ」


 吉森少年に日下先輩を連れてくるように頼んだのは、吉森少年と話をした後。

 まず、話があるからと日下先輩に吉森少年から連絡させる。日下先輩から来た返信に、あれこれと指示を出していたから、出来るだけ早く帰ってくるように上手い事誘導したのだろう。


 その姿を見ていると、唯ちゃんの事がなくても日下先輩は彰をマークしたのではと思ってしまう。それくらいには板についた詐欺師だった。


 上手い事日下先輩を誘導できた彰は、吉森少年に駅に待機するように指示した。日下先輩が帰ってきたら有無を言わせずつれてこいと笑顔で脅迫。連絡先も交換させられていたし、哀れな吉森少年に断るすべはない。


 日下先輩も、吉森少年と私たちが知り合いなんて想像もしていないだろうから、この作戦は成功するだろう。私たちだって偶然、交差点で吉森少年に出会わなければ日下先輩と知り合いなど気づかないままだった。


 そう思うと、今回の件はずいぶんと運任せだ。それとも、これも今まで選択してきた結果なのだろうか。祠の事件で出会い、小宮先輩の事件を調べ、そこで吉森少年と知り合った。その選択が、今につながっているのだろうか。


 そう思ってクティさんを見ると、クティさんはだるそうに空を眺めていた。

 リンさんはぼーっとしているし、マーゴさんはニコニコしているし……。この人たち自由だな。


「ちょっと、しゅう君。どうしたの!」


 そうこうしている間に、日下先輩の声が聞こえてくる。

 いよいよだと身構えた私は遅れて、修というのが吉森少年の名前だと気づいた。

 そういえば名前を聞いていなかった。


 吉森少年が日下先輩の手を引いて、こちらに向かって走ってきた。

 彰の指示通り、理由も説明されず連れてこられたようだ。戸惑った様子だし、息が乱れている。

 吉森少年はああ見えて体力があるから、高校生と中学生という差があっても全力疾走についていくのはきついだろう。日下先輩は頭を使うタイプだから、体力があるようには見えない。


 その証拠に日下先輩はついてくるのがやっとで、私たちが待っているという状況に、まったく気づいていない。もっと早く気付けば、先に逃げるという手も使えたはずだ。そうさせないために彰は、吉森少年に理由は説明しないで全力疾走と指示したのだろう。

 さすが彰。あくどい。


「お花はちゃんと手向けたし……今はちょっと…」


 息を整えながらそう続いた日下先輩の声は、不自然なところで止まった。

 それも当然。今回の件に関わった人間が、日下先輩にとってはトラウマである交差点の前に勢ぞろいしているのだから。

 私たちを認識したとたんに表情が引きつり、日下先輩は吉森少年と彰の顔を交互に見比べる。


「ごめんな。美幸姉ちゃん」


 吉森少年はそういうと、香奈の背後に隠れた。この中なら一番隠れやすいと判断したらしい。残念ながら香奈は小柄なため、完璧に隠れられず、バッチリ体がはみ出ているが。一番身長の高いリンさんはどう見ても地雷だから、良い判断だ。


「……これは、どういうことですか。佐藤君」

 日下先輩は乱れ方髪と、服装を整えながら彰をにらみつけた。誰の差し金かすぐに理解するあたり、冷静だ。


「どういうことも何も、日下先輩が言ったんじゃないですか」

 彰はにっこり笑うと、芝居がかった様子で両手を広げた。


「後ろの少女の噂の真相を、解明してほしいって」


 彰の言葉に日下先輩に頼まれたときのことを思い出す。たしかに日下先輩は真剣な顔でそういった。あの顔に嘘偽りはなかったと今でも思う。嘘で塗り固められた依頼ではあったが、真相を解明して唯ちゃんを救いたい。それほ嘘偽りない日下先輩の願いのはずだ。


「マーゴさん、空間作ってください」

「え?」


 突然のことにマーゴさんは目を見開いた。今? と視線が告げているが、彰は何も言わずに一睨み。マーゴさんと、近くで見ていたクティさんが固まった。

 次の瞬間、マーゴさんは慌てて両手をパンッと合わせ、昨日見た赤い空間を造り上げる。非難する間も、心の準備をする間もなく、空間が歪み、目の前の景色が赤く染まる。

 日下先輩の顔が青ざめるのが見えた。


「なんだこれ!?」


 香奈の後ろに隠れていた吉森少年が悲鳴を上げる。時間が惜しいと彰は何の説明もしなかったので、吉森少年からすれば緊急事態だ。

 だが、それに構っている余裕はない。私は再び見えた、倉坂唯の姿から目が離せず、さっそく冷や汗が滴り落ちるのを感じる。


 変わらず、唯ちゃんは横断歩道に立っている。ランドセルを背負って、流れる血をぬぐいもせず、折れ曲がった足もないかのように。ただ、うつむいて立ち続けている。


「ヒュー、マーゴ。能力操作上手くなったな」


 リンさんが場違いな歓声を上げた。一人だけ、舞台でも見に来たようなテンションだ。彰が一睨みすると、口はつぐんだが表情は楽し気なままだった。


「この空間については、他の皆は知ってるので省くとして」


 吉森少年が、嘘でしょ!? という悲痛な顔をする。可哀想だが、仕方ない。今の最優先は日下先輩と唯ちゃんであって、吉森少年はおまけだ。マーゴさんはちょっと気の毒そうな顔をしたが、クティさんは完全に無視だ。


 唯ちゃんの姿が視界に入り、真っ青になった日下先輩の前に彰は立つ。ちょうど唯ちゃんの姿を隠す位置にたったのは、気を使ったのか、ただ話を円滑に進めるためか。

 どちらにせよ、彰はこれ以上無駄話を続ける気はないようで、真剣な顔で日下先輩を見つめた。


「まず先輩、僕に嘘をつきましたね?」

「何のことですか?」


 彰の揺さぶりに、日下先輩は一瞬ひるんだものの堂々と答えた。唯ちゃんの姿が隠れたことで、少しだけ余裕が生まれたのかもしれない。


「日下先輩、そこにいる谷倉唯さんのことご存知ですよね?」

 彰の言葉に日下先輩は、明らかな動揺を見せた。


「後ろの少女の噂。調べたんですけど、日下先輩以外誰も知りませんでした。物知りだって評判の女子寮の寮母さん。彼女にも聞いたんですが、まったく知りません」


 彰はそこで言葉を区切ると、意地の悪い顔で笑う。


「当たり前ですよね。日下先輩が噂だって嘘をついただけで、噂なんて流れていなかった。少女に追いかけられるのは、日下先輩ただ一人」


 彰が言葉を発すごとに、日下先輩の顔が青ざめる。体の震えがだんだんと大きくなり、平静を保とうとする表情が歪む。すぐに平静を装ったように見えるが、心なしか顔が青い。


「おい彰さん! 美幸姉ちゃんいじめるなよ!」


 香奈の後ろに隠れていた吉森少年が飛び出す。日下先輩をかばうように彰と先輩の間に入り、両手を広げる。怒りの表情で睨まれても、彰は相変わらず愉快そうに笑っていた。


「最初に嘘つかれて、いじめられたのは僕の方なんだけど。日下先輩が嘘なんてつかずに、助けてください。幽霊が見えるんです。って正直に話しくれれば、事はもっと簡単だったのに」

「た、たしかに嘘ついたのは美幸姉ちゃんが悪いけど……」


 吉森少年は両手を広げて日下先輩をかばいつつ、ごにょごにょと呟く。こういう時でも素直に認めてしまうのだから純粋すぎるというか、何というか……。


「とにかく! 彰さん、美幸姉ちゃんも唯姉ちゃんも救ってくれる。って言ったじゃねえか!」

 唯という言葉にか、救うという言葉にか。下を向いて震えていた日下先輩がピクリと反応した。


「救いたいって気持ちはあるにはあるけどねえ……、人を救うって言うのは一人じゃ無理なんだよ」 

 彰はそういうとわざとらしいため息をついた。


「人を救うためには、人を救う人間と救われる人間がいる。でもって、救われる人間は救われることを望まないといけない」

「……どういうこと?」


 吉森少年が険しい顔で彰を見る。私も正直いって彰が何を言いたいのか分からない。香奈も首を傾げて彰を見つめている。


「ようするに、日下先輩が救われたいって望んでないなら、僕の行動はただのお節介ってこと」

「美幸姉ちゃんが救われたくない。って思ってるっていうのかよ!」


 「そんなわけねえだろ」と言いながら吉森少年は後ろを振り返り、日下先輩を見た。先輩はうつむいていた。下を向いて、私服のスカートを握り締め、震えていた。髪の隙間から辛うじて見える唇は、固く結ばれている。

 それはどう見ても、救いを求めている人間の姿ではなく、拒絶する人間の姿だった。


「……何で?」

 吉森少年は信じられないといった様子で日下先輩を見つめる。


「自分は救われるに値しない人間だって、思ってんだろ」


 いきなり割り込んできた声に、彰が顔をしかめた。吉森少年がはじかれたように視線を向けた先には、電柱に寄りかかったリンさんの姿がある。


「後悔、懺悔、罪悪感、嫌悪。自分に対してのプラスの感情が一切ねえ」


 リンさんは心底愉快そうに笑う。それを見て、近くにいたクティさんが顔をしかめ、マーゴさんが苦笑した。

 クティさんはリンさんが食べるモノは感情だと言っていた。分岐が見えるクティさん、幽霊を見る空間を作れるマーゴさん。ということはリンさんは人の感情が見えるのだろうか。


「罰せられたい。ずっとそう思ってる。何に対してだ? 何の罪を犯したんだ?」


 リンさんは言葉の重さとは裏腹に、楽しそうに笑う。口角を上げ、心底愉快そうに、鼻歌でも歌いだしそうなほどの軽さで、日下先輩の心をえぐる。


「ちょっと、リンさん」


 止めようとしたマーゴさんをクティさんが止めた。関わるな。口を出すな。そう強い視線が訴えかけた。下手に口を挟んだら、次の標的はお前になると真剣な表情が告げている。


「罰せられたいって望むなら、隠さずに話せよ。そうすれば、誰かが罰してくれる。いつまでも胸に秘めてちゃ、お前の望む結末は訪れない」


 リンさんは一歩も動いていないというのに、押しつぶされるような重圧を感じる。とても大きく見える。高い身長、黒尽くめの恰好。怪しい雰囲気。そういったものから感じる重圧ではない。生まれ持った本能、魂が感じるものであり、拒絶するものだ。

 これに関わってはいけない。すぐにでも逃げろと。


「……私は……」


 日下先輩は真っ青な顔でリンさんを見つめる。体は震えて、立っているのもやっとだ。自分の体を握り締める手が、力が入りすぎているのか白く痛々しい。


「日下先輩……」

 彰が静かな口調で声をかけた。


「あの、クソバカ、KYろくでなしの存在は無視していいです」


 口調が静かなわりに言っていることは、相当酷かった。リンさんが視界の端でショックを受ける姿が見える。それと同時に感じていた重圧が消え、私は息をつく。無意識のうちに息を止めていたのだと今になって気が付いた。


「でも、いつまでも胸に秘めたままじゃ何も変わらないのは、本当です。罰せられるにしろ、救われるにしろ、あなたは本当のことを言わなければいけない。あなたを信じている吉森君のために」


 日下先輩はゆっくりと、未だに自分を守ろうとしている吉森少年を見る。吉森少年は不安そうな顔で、じっと日下先輩を見つめていた。その姿を見て、日下先輩の表情が歪む。


「それに、谷倉唯のためにも」


 彰の言葉で、日下先輩の顔はさらに歪んだ。泣きたいのか、叫びたいのか。それとも両方なのか。震える自分の体を抱きしめて、怖気づきそうになる言葉を絞り出す。


「私なんです……」

 その告白はとても小さかった。


「私が唯を殺したんです……」

 それでも、私の体を貫くには十分な力を持っていた。

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