5-6 ほどけた糸

「……日下先輩が谷倉唯を突き飛ばしたの?」


 静かな声で彰が聞くと、吉森少年は動きを止めた。次の瞬間には、彰に敵意をむき出しにする。ずっと彰を怖がっていた少年とは思えない姿に、私は吉森少年の本気を感じた。


「そんなの嘘に決まってんだろ! 美幸姉ちゃんも、唯姉ちゃんも知らねえ大人が、好き勝手に言ってるだけだ!」


 そう言って吉森少年は、忌々し気に舌打ちする。当時の吉森少年は、二人と仲が良かったというだけで無責任な悪意にさらされたのかもしれない。


「美幸姉ちゃんがそんなことするわけねえ。唯姉ちゃんと一番仲良かったの、美幸姉ちゃんだぞ。今だって、唯姉ちゃん恨んでねえし」

「じゃあ、何で日下先輩は引っ越したの?」


 荒々しい口調の吉森少年とは対称的に、彰は静かに問いかけた。吉森少年は一瞬面食らって、それから言いにくそうに視線をそらす。


「……美幸姉ちゃん、唯姉ちゃんが死んでからおかしくなったんだ」

「おかしく?」

「部屋に引きこもって、ご飯も食べないし、しゃべらないし、笑わなくなった。ずっと自分のせいだって。唯は自分のせいで死んだって言い続けて……。俺がいくら違うっていっても聞いてくれなかった。顔色はどんどん悪くなるし、痩せてくし……。このままじゃ危ないからって美幸姉ちゃんの母さんが、ここを離れるって決めたんだ。環境を変えたら少しは良くなるかもしれないって」

「……じゃあ、引っ越し先で精神科に通うようになったのか……」


 彰のつぶやきに、吉森少年は驚いた顔をする。私も急に何を言うんだと彰を見た。


「日下先輩は嘘をつくような人じゃない。そう思ってたから、日下先輩の発言を疑ってなかった。でも、そうじゃなかった」


 日下先輩は大きな嘘をついていた。事件の当事者だというのに、部外者のふりをして、私たちに事件を調べさせようとした。それは、ひどい裏切りだ。


「一番大事な部分から嘘をついていたんだから、日下先輩の言動は疑ってかかるべきだよ。毎月、地元の病院にお見舞いにいってるなんて変な話」


 じっと彰は吉森少年を見る。吉森少年は慌てて目をそらすが、それは答えを言ったようなものだ。


「今日学校を休んだのは、精神科の先生に診てもらうためでしょ。日下先輩が谷倉唯と面識があって仲が良かったっていうなら、昨日のは相当なショックなはずだ」


 彰の言葉に日下先輩の様子を思い出す。顔は青いし、体は震えていた。現実主義者が怪奇現象を見てしまったことによるショックだと思っていたが、あれはもっとシンプルな感情だったのだ。


「お見舞いだって嘘ついて、毎月、精神科に通ってたんでしょ。こっちに戻ってきたことでの精神的負担はさけられないだろうし」

「じゃあ、うちの学校に来たのは……」

「街中の学校に通うよりはマシでしょ。その気になれば学校から一歩も出ずに、卒業できる。ご両親だって、それで説得されたんじゃない」


 彰の推測を吉森少年は認めないが、否定もしなかった。ただうつむいて、じっと下を向いている。


「後輩に相談された。っていうのは作り話だったんだ……」


 香奈が悲し気につぶやく。事情が分かるとはいえ、堂々と嘘をつかれていたと思うとショックなのは確かだ。日下先輩は嘘をつくような人間ではない。そう信じていたから余計に。


「後輩に相談されたっていうのは、半分くらいは本当なんじゃない」

「え?」

「嘘に真実味を持たせるときは、事実を混ぜるのが有効だよ。日下先輩の性格からいって一から話を作るなんて向かないだろうし。後輩っていうのは吉森のことだと思う」


 私と香奈は驚いて吉森少年を見る。吉森少年は自分自身を指さし「俺?」と呟いた。


「僕らは日下先輩に、後ろの少女っていう噂の調査を頼まれた。後輩がこの交差点を通ると、幽霊に追いかけられるから怯えてるって」

「追いかけられる……? 俺、唯姉ちゃんに追いかけられたことなんてないけど?」


 吉森少年は眉を寄せて答える。その言葉を聞いて、私は何か引っ掛かりを覚えた。


「……さっきも思ったけどさ、何で君、谷倉唯が存在するって前提でしゃべってるの?」


 彰の言葉で、私は思い出す。そういえば先ほど吉森少年は「今だって」という言葉を使った。すでに死んでいて、存在しない唯ちゃんに対して。

 吉森少年はあからさまに、しまったという顔をした。


「君さあ、見えるでしょ」


 彰はそういって、唯ちゃんが立っている方向を指さした。吉森少年は彰の顔、腕、指、それから指し示す方向へと順番に視線を動かして驚きをあらわにする。


「彰さんも見える人!? ちょっとまって、百合さんから聞いてない!」

「僕が言うなっていってるからねえ」


 衝撃のあまり叫ぶ吉森少年に対して、彰は愉快そうに笑っている。

 私は吉森少年とは別の衝撃を受けていた。まさかの吉森少年も見える人だったとは……。

 彰に百合先生に吉森少年。高校に入学して数か月で、霊感を持つ人間に三人も出会ってしまった。私が今まで気づかなかっただけで意外と多いのか、霊感持ち?


 そういえば、香奈が静かだと思って視線を動かす。

 前だったら、ずるい! とすぐさま叫んでいたはずだが、香奈は微妙な顔で吉森少年を見ていた。困惑、羨望、恐怖が入り混じった表情を見て、昨日の出来事は香奈の思考を大幅に変えたのだと分かる。

 あんなの日常的に見なければいけない生活なんて、想像しただけでもしんどい。香奈もやっとそれに気づいてくれたようだ。


「君は、幽霊が見えるから谷倉唯がずっと成仏していないことを知っていた。それでも、日下先輩を気にして黙ってた。でも、何かのきっかけでポロっと言っちゃったんじゃない。唯姉ちゃん、まだ成仏できねえのかな。とか」

「な、何で分かんの!? エスパー!?」


 吉森少年は青ざめて、胸の前で腕を使ってクロスを作る。なんだそれは。心読ませないガードか。小学生か。


「それを聞いた日下先輩は、谷倉唯がまだ成仏できていない事を知って、僕らに調査を依頼した。自分が全く見えないけど、怪しいオカルト集団の僕らならわかるかも。そう思ったんだろうね。幽霊なんて信じないっていうわりには、幽霊の説明やけに真面目に聞いてるから変だとは思ってたんだよ」


 言われてみればそうだ。日下先輩は真剣に彰やマーゴさんの話を聞いていたし、時には質問もしていた。生来の生真面目さ故かと思っていたが、唯ちゃんを成仏させるヒントを探していたとなれば納得がいく。


「じゃあ、幽霊を信じない。っていうの嘘?」

「それは信じない。っていうか信じたくないのが本音だったんじゃない」

 そういうと彰は唯ちゃんが立っている場所を見つめた。


「自分の大事な人が、成仏できないまま彷徨ってるなんて、誰だって信じたくないよ……」


 死んだのならばせめて安らかに眠ってほしい。それは誰もが思うことだ。日下先輩だって、そう思いたかったのだろう。自分が殺したという罪悪感を抱えていたのならば、なおさら。


「そもそも、日下先輩は本当に唯ちゃんを殺したの?」

「だから! 殺してねえって! あれは事故!」

「さっきから君そう主張するわりには、具体的なこと言わないねえ、証拠があるなら言いなよ」


 彰が詰め寄ると、吉森少年はぐっと押し黙った。


「証拠は……ない。美幸姉ちゃん詳しい事教えてくれねえし、大人も噂するわりには本当の事わからなかったみたいだし。でも、警察の人は不幸な事故だって言ってた! 美幸姉ちゃんは何も悪くねえって!」


 吉森少年はそう言って拳を握り締める。吉森少年は当時、子どもながらに事件について調べて回ったのだろうか。警官にまで話かけるとは、なかなか度胸がある子供だ。


「それにさ! 彰さんならわかるだろ! 唯姉ちゃん、恨みもった感じじゃねえって! 恨みもった幽霊ってもっと、ドロドロぐちゃめちゃあって感じだし!」

「恨みもった感じじゃないっていうのは同意だけど、後半の擬音は分からない」


 彰は真顔で答えた。

 香奈は「ドロドロぐちゃめちゃあ……?」と眉を寄せながらつぶやいている。いくら考えたところで、分からないと思うよ。香奈。


「マーゴさんもいってたけど、それなら何で唯ちゃんは成仏してないの?」

「何か心残りがあるんだろうけど……その心残りっていうのがなあ……」


 彰はガシガシと乱暴に髪をかき乱す。

 吉森少年の言うことが確かならば、事故当時、唯ちゃんと一緒にいた友達というのは日下先輩だ。恨みを持っている仮定するなら一番の候補だが、見える人は全員恨みは感じない。という

 正直お手上げだ。意思疎通もとれないとなれば、唯ちゃんが何を思って現世にとどまっているのか。想像するにしても情報が少なすぎる。


「……唯姉ちゃん、美幸姉ちゃんに何か言いたいことがあるんじゃねえかな」

 唯ちゃんが立っている場所をじっとみていた吉森少年が、真剣な顔でいった。


「美幸姉ちゃんが言ってたんだ。ここに来ると唯の足音がする、声が聞こえる気がするって」

「……ちょっと待って。日下先輩が?」


 彰は吉森少年の前に回り込むと、肩を勢いよく掴む。勢いに気おされて、吉森少年が後ずさるがお構いなしだ。逃がさないとばかりに目をのぞき込む。


「君じゃなくて、日下先輩がそういったの?」

「そ、そうだけど……俺は見えるっていっても百合さんほどじゃないから、よく分かんねえんだけど。美幸姉ちゃんが来た時だけ、唯姉ちゃんもちょっと反応するし、背中追いかけてるように見えるっていうか……」

「ってことは、日下先輩がいってた後ろの少女の話は完全な作り話じゃなくて、実体験ってことか」


 彰は口元に手を当て、真剣な顔で何かを考え始める。


「でも、それおかしくない? 日下先輩はゼロ感でしょ? 唯ちゃんに気づいてたなら、もっと早く行動しただろうし……」

「ゼロ感だって日下先輩も自覚があったから、気のせいだって思ってたんじゃないかな。それが吉森の話を聞いて、気のせいじゃない可能性に思い至った。日下先輩の性格からいって、気づいちゃったら気付かないふりなんてできない。何とかしようって行動した結果が、僕らへの依頼だった……」

「唯さん……なんていってたんだろ……」


 黙って話を聞いていた香奈が、独り言のようにつぶやいた。


「マーゴさんが作った空間にいた唯さん、何か言ってたように見えたけど、全く聞き取れなかった」


 香奈の言葉に私も、そういえばと思う。

 唯ちゃんが何かを伝えようとしていたのは分かったが、口が動くのは見えても、言葉は音になって聞こえなかった。慌てて空間を閉じたからとも思ったが、日下先輩にはマーゴさんの空間がなくても聞こえていた。となると、空間は関係ないことになる。


「やっぱり……、谷倉唯が何かを伝えたいのは日下先輩なんだ」

 彰は確信した様子で、ハッキリとそう告げた。


「だから日下先輩には声も聞こえるし、足音も聞こえる。反応もする。ただ、日下先輩はゼロ感だからこのままじゃ解決できない。もう一回マーゴさんに協力してもらって、日下先輩と谷倉唯を会わせるしかない」


 彰はそこで言葉を区切ると、吉森少年へと真剣な顔を向けた。


「君も協力してくれる?」

「……俺が協力したら、美幸姉ちゃんは救われるのか?」


 吉森少年はすがるような目で彰を見上げた。お願いだから救ってくれ。そう真摯に訴えかける姿に、彰は真剣な瞳で答えた。


「日下先輩だけじゃない、きっと谷倉唯も救われる。君が言う通り、谷倉唯が日下先輩を恨んでないなら」

「絶対に恨んでない」


 吉森少年は即答する。そこには不安も迷いも一切ない。眩しいほどの信頼を見ると、吉森少年の言葉が真実に思えてきた。


「そう……近くで見てきた君がいうなら、きっと大丈夫だ」


 彰も私と同じこと思ったのかもしれない。いつもの意地の悪い顔ではなく、柔らかく微笑んだ。


「日下先輩にはずいぶん振り回されたけど、やっと事件も解決だ」

 そういって笑う彰は、いつも通りの自信に満ち溢れた顔をしていた。

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