5-4 後片付け

 百合先生が事前に準備していた紐で男たちを縛り上げ、リーダーの男だけ連れて私たちは猫たちがいる場所へと向かった。

 小宮先輩は見ているのもつらくなるほど落ち込んで、私が何度慰めの言葉をかけても全く聞こえていないようだ。ここに来れば会えると信じていただけあって、いないという事実に打ちのめされている。


 百合先生はリーダーの男をナイフで脅しつつ、チラチラと私たちの方を振り返る。完全にやってることが教師ではなく、危ない人だが突っ込める空気でもない。

 唯一気にせず言えそうな彰は、小宮先輩の登場の後すぐに「電話してくる」と険しい顔で言ってどこか行ってしまった。残された私たちはとりあえず、猫たちを確認しようということになったのだ。


「本当にいなかったんですか?」

 

 猫なんていっぱいいるし、白猫ばかり集められているという話なら余計に見分けがつかないはずだ。気付かなかっただけなのではと思って問いかけると、小宮先輩は力なく頭を振った。


「いなかった……。念のため友里恵が大好きなアイスも持ってきたんだ。でも反応がなかった」

「アイス……」


 そういえば友里恵ちゃんはアイス好きだと言っていた。そのときは人間相手だと思っていたから気にしなかったが、猫でアイス好きというと特徴的だ。しかもここにいるのは野良猫。友里恵ちゃん意外にアイス好きな猫がいる確率は相当低いはず。


「捕まえた猫は皆ここにいんだよな?」


 百合先生がリーダーをナイフで脅しつつ、低い声で問い詰める。男は青い顔で頷いた。やはり、やっていることが完全にヤクザのそれだ。この現場が保護者にばれたら百合先生の解雇待ったなしである。


「猫は皆、同じ部屋で世話をしている」


 蚊の鳴くような声でリーダーは答える。

 怯え切っている様子からいって嘘ではないだろう。百合先生もそう思ったのか不機嫌を隠しもせずに舌打ちした。

 

 すべて上手くいくと思っていたのにとんだ落とし穴。みんな戸惑っている。

 だが、事態を一番把握しているであろう彰が今ここにはいない。慌てていたから、何かを確認しにいったのだろうが、それにしたって説明くらいほしいものだ。


「七海ちゃん!」


 香奈の声が聞こえて顔を開けると、沢山のゲージの前で香奈と吉森少年が所在なさげに立っていた。


 がらんとした広い空間に、猫のゲージが何個も並んでいる。中にいるのは全員白い猫。このあたりにこんなに白い猫がいたというのが驚きだ。

 ゲージは大きく、中には猫用のクッションやら、水入れ、おもちゃまで入っていて中々に快適そうだ。


 寝床として使っているゲージのほかにも、柵で囲われた遊び場らしきスペースがある。そこにはキャットタワー、砂場、ダンボールなど、猫が喜ぶものが並んでおり、閉じ込められているどころか予想外の好待遇だ。


 ゲージや遊び場にいる猫たちも怯えるどころかリラックスした様子で、誘拐して閉じ込められているようにはとても見えない。

 必死になって探していたことを思えば、脱力するが猫にはそんなことは関係ないだろう。大事にされているようで何よりだと思うほかない。


「アイス……反応しないか試してみたけど、一匹も……」

 

 香奈が泣きそうな顔でいう。その手には有名な、一つ三百円ほどするアイスが握られていて頬が引きつった。

 友里恵ちゃんが好きっていうアイスはまさか、それなのか。人間でも気軽に買えない値段のアイスがまさかの猫用。溺愛するにも程があるぞ。


「本当に、ほかに猫はいないんだよな?」


 百合先生が先ほど以上に眼光を鋭く、どすを聞かせて問いかける。やっぱり教師には見えない。客観的にみたら百合先生の方が悪役だ。哀れな被害者のリーダーは泣きそうな顔で首を左右に振っている。


「いないです。面倒見ろっていわれた猫は皆ここですし、俺たちは面倒見ろっていわれてただけで、ほかに猫がいたとしても分かりません」

「ってことは、捕まえるのは別の人がやってたの?」


 私が声を上げるとリーダーは大きく頷いた。最初は強面の男性だと思っていたが、泣きそうな今の顔を見ると可哀想にしか見えなくて良心が痛む。それでも確認しないことには話が進まない。


「本当に面倒見ろって言われただけで、理由も目的も何も知らないんです。ただ人に雇われて……」

 男が嘘をついているようにも思えず、私と百合先生は顔を見合わせて眉を寄せる。


「つまり、黒幕は別にいるってことですか?」


 吉森少年がゲージ越しに猫と戯れつつ、首を傾げた。やけに猫の方が慣れているのを見るに、義達は無事に発見できたようだ。

 本当に空気が読めない。


「友里恵だけ、別の場所に確保してたってことか……?」


 ストーカーが白猫を集めたのは友里恵ちゃんと無関係ではないだろう。でなければ、わざわざ白猫ばかりを捕まえる意味が分からない。だが、白猫を捕まえた理由も、白猫と友里恵ちゃんを別々にした理由も結局分からずじまい。

 

 所在なさげに立っているリーダーや、縄で縛られている男たちにいくら問いただしてもこれ以上のことは分からないだろう。

 ここまでやって手詰まりという現実に私は奥歯をかみしめる。


「思いのほか、いっぱいいるね」


 場にそぐわない明るい声が聞こえて、リーダー。そして何故か吉森少年がビクリと肩を揺らす。先ほどまでのんびりと寝ていた猫たちまでもが目を見開いて体を起こし、一斉に彰に向かって毛を逆立てた。

 シャーという声が部屋の中に響いて、私は戸惑う。先ほどまでとの変わりように、落ち込んでいた小宮先輩ですら驚いて顔を上げた。


「お前、ほんと動物に嫌われるな……」


 心なしか落ち込んだ顔で立っている彰に、百合先生が哀れみの言葉をかける。

 猫たちの威嚇対象はあきらかに彰で、動物って悪いものと良いものが本当によくわかるんだなと私は感心した。

 そういえば子狐様も初対面から彰を毛嫌いしていた。神様と動物を一緒にしたりしたら怒られそうだが、一応妖狐と言われるものだし、連想するのは許してほしい。


「お兄さんさー……」


 いつもより低い不機嫌な、いや、落ち込んだ声で彰がリーダーに声をかける。

 男は大きな体をびくつかせ、こわごわと彰を見ていた。吉森少年と言い、トラウマを植え付けるのがうますぎる。


「今日はごめんね。僕ら用事すんだから帰る」

「はあ?」


 彰の言葉に男だけでなく、全員が驚いた。猫のシャーという威嚇の声だけは「早く帰れ!」と言っているようだ。彰もそう思ったのか、先ほど以上に顔をしかめた。


「ケガした人にはちゃんと治療費だすから。あと、今回の件で契約料もらえないなら、ちゃんと払うよ」

「は、はあ……」


 男は気の抜けた声を上げた。一方的にタコ殴りにしてきた相手からの言葉なのだから当たり前だ。私だって意味が分からない。


「こっちの勘違いって言うか、調査不足っていうか……とにかくごめんね。納得いかないっていうなら、もっと出すし」


 そういいながら彰は男に近づいて、縛り上げた紐を引きちぎる。

 解くではなく引きちぎるだ。比喩表現でもなんでもなく、彰は当たり前のように、あっさりと紐を引きちぎった。


 それを見て男がますます青ざめる。「そんな、恐れ多いです!」といったのは本心からだろう。いくらお金をもらえるといっても、こんな得体のしれない鬼みたいなやつからは貰うなんて、後で何をされるか分からない。


「遠慮しなくていいのに……」

 彰はそうつぶやきながら、ポケットから名刺を取り出し、男に渡した。


「連絡はこっちにして。佐藤彰に連絡するように言われたっていえば通じるから」


 男は彰から渡された名刺を「はあ」と気の抜けた声を上げながら見つめ続けている。思考が事態に追いついていないようだ。それは男だけでなく私も一緒で、彰が何をしたいのか全く分からない。


「あとさ、猫たちの件だけど」

 その言葉に、ぼんやり名刺を眺めていた男が顔を上げた。


「もし情がわいてこのまま面倒見る気があったら、それも相談して」


 最後にいたずらっ子のように笑うと彰は男に背を向ける。

 そのまま、「行くよ」と視線で私たちに告げると、さっさと歩きだしてしまった。

 百合先生が顔をしかめながら、小宮先輩を促してあとに続く。吉森少年は義達と、去っていく百合さんを交互に見てから、リーダーに「後で義達迎えにくるから!」と叫んで走り出す。

 最後に香奈が戸惑った様子でついていき、残された私は未だに思考が付いて行かずにぼんやりと皆の後姿を見送る。


 やっとこのままだと置いて行かれると脳が理解し、動き出した私は何となく突っ立ったままの男を見た。男は呆然とした様子で名刺を見つめているが、先ほどよりも表情に生気が宿っているように見えた。いや、決意か?


 彰がいなくなったと同時に威嚇をやめた猫たちが、男に向かってにゃーにゃ―と鳴く。その声は親に餌をねだる子猫の声と重なって、私は彰の行動の一部をやっと理解した。

 どこで何を察したのか。本当に佐藤彰という人間は心が読めるのではないかと私は顔をしかめる。


 男の今後の行動が何となくわかってしまって、くすぐったい気持ちになった私だが見える距離に香奈たちの後姿がないことに気づいて、慌てて走り出した。


 彰は廃ビルの入り口で不機嫌そうに私を待っていた。おいて行かれてはいなかったことに安堵するが、彰はわざとらしく舌打ちする。

 縛られた男たちはすでに縄を解かれ、遠巻きに彰を見つめている。強面の男たちが怯えた様子で小柄な少年を見ている図は異様だが、あれだけの実力差を見せられては仕方ない。

 しばらく皆、悪夢にうなされそうだ。


「他の皆は?」


 見える範囲には彰しかいない。皆先にいってしまったのか。だとしたら、彰だけ私が来ないことに気づいて待ってくれたのか。変なところで、妙な優しさを見せるから反応に困る。


「ナナちゃんだけ、置いてって何かあったら目覚め悪いでしょ」


 彰はそういうと、さっさと歩きだす。私は一応男たちに頭を下げてから後を追った。帰り際、去っていく彰を見て心底ホッとした顔をした男たちを私は見逃さなかった。

 本当にトラウマ植え付けすぎである。


「どこ行くの?」

「公園」


 私の問いに彰は視線も合わせずにそっけなく答える。

 公園というと小宮先輩が友里恵ちゃんと会っていた公園だろうか。それ以外に私と彰が共通で知っている公園などない。


「何で公園?」

「友里恵ちゃん公園に戻ってるってさ」

「えっ」


 私は彰の顔をまじまじと見るが、彰は相変わらず不機嫌な顔で前を見ている。素の彰は仏頂面も多いが、ここまで不機嫌そうなのも珍しい。


「どういうことなの……」

「それは、公園で説明する」


 それを最後に彰は本当にだんまり決め込んで、私がいくら呼びかけても答えることはなかった。おかげで私は、落ち着かない気持ちで足早に公園を目指すことになったのだ。


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