5-3 乱闘

 昨日来たばかりの廃ビルの前。

 今は昼間なので、昨日とは違って不気味さはなりを潜めている。明るさの違いより、状況や一緒にいるメンバーの違いが大きいのかもしれない。彰が隣にいる状況で、負けるという未来が思い浮かばないのだ。


 協力者がいるとはいえ、見つかっては困る。私たちは少し離れた物陰で、救出組の連絡を待つことにした。

 救出組は建物のほぼ反対側から侵入するので、私たちよりも移動に時間がかかる。その間に武器になりそうなものを捜索。彰や百合先生と違って普通の女子高生だから、素手は心もとない。


 放置された木材の中から、ちょうどいい大きさの角材を発見。手になじませるためにブンブンと振り回してみたが、思ったよりいい感じ。勢い余って手からすっぽ抜けないかだけ心配だが、そこはうまい事やるしかないだろう。

 あと勢い余って、撲殺しないかという心配もある。

 そんな事態に陥らないよう、彰と百合先生は極力人をひきつけてもらいたい。


「反対側に出入りできそうな場所なんてあったか?」


 暇だからと見取り図を確認していた百合先生が、昨日見まわった記憶をたどって首をかしげている。そういえば、正面以外に出入り口はないと百合先生が言っていた。頑丈な柵でぐるりとビルは囲まれているのだ。


「あーそれなら、昨日、適当に僕が道作っといた」


 彰はストレッチしながら軽い口調で言う。

 はあ? と私と百合先生が同時に彰を見るが、彰はあくまでマイペースに手足を伸ばしていた。


「道作ったって?」

「邪魔だったから柵、適当にぶっ壊して、人が通れるくらいの穴開けといた」


 何でもないことのように言う彰を見て、私は百合先生を見る。百合先生も口をあんぐり開けているから、私がおかしいわけじゃない。

 よかった。私は正常だ。


「それって、後で問題になるんじゃ……」

「大丈夫、大丈夫。人間がやったとは思わないでしょ」


 彰は相変わらずストレッチしたまま、のんきに言う。

 人間がやっとは思えない穴ってどういうこと……。

 そう思っていると、私の携帯からメールを告げる着信音が流れた。場所についたらメールで連絡をという話だったから香奈からだろう。


 メールは予想通り香奈で、「無事到着」というタイトル。なぜか添付画像が貼ってあり、開くと柵に大きな穴が開いている画像が表示された。

 思った以上に大きい上に、トラックが突っ込んだみたいにひしゃげている。確かに人の手によるものには見えない。見えないからこそ、彰が作ったという事実に戦慄する。


『穴があるからって彰君に言われたんだけど、ほんとに開いてるの。どうやったんだろうね?』


 そう書かれた本文を読んで、私は機械みたいにぎこちない動きで彰を見た。

 彰はやはり念入りにストレッチをしていた。なんだその、体育前みたいなノリ……。


『さあ。不思議なこともあるねえ……』


 私はそれだけ香奈に返信して携帯をポケットに入れた。

 世界に不思議は満ち溢れているが、私の中で一番の不思議は佐藤彰である。解き明かそうとは思わないし、出来ることなら解き明かされる未来も来ないことを祈る。

 解き明かされたら私の日常が更なる崩壊を遂げそうな予感。というか確信があるのだ。嫌すぎる。


「カナちゃん、ついたって?」


 問いかけに頷くと、彰は楽し気に目を細めた。

 これから殴り込みに行くというのに何とも楽しそうだ。いや、殴り込みに行くから楽しそうなのか。見た目に反して本当に好戦的である。


「彰、あくまで俺たちは囮だからな」

「わかってるって。おじさんこそ、現役の血が騒ぐとかで騒がないでよ」


 現役っていうとやっぱり百合先生は元ヤン……。似合いすぎて何の驚きもない。こんな二人の後ろについて行くことになった自分の状況が驚きだ。何でこんなことになってしまったのか。私も救出組がよかった。


「ナナちゃん。いつまでも未練たらしい態度とらないでよ」

「無茶言わないでくれる。ケンカなんてしたことないんだから!」

「いや、案外その方が良かったりするぞ。中途半端にケンカ慣れしてると、軌道が読みやすいんだよな。初心者ががむしゃらに武器振り回した方が怖い」


 真顔でアドバイスしてくる百合先生に私は顔をしかめる。そんな知識、知りたくなかった。


「そういうわけだから、ナナちゃんは一番後ろでがむしゃらに角材振り回しといて。できるだけ、そっちには行かせないようにするけど」


 今から遊びに行くと言われた方が納得の浮かれた様子で、彰は柵へと近づいていく。昨日男たちが入ろうとしていた場所だ。あの時はこんなことになるとは思ってなかった。数時間前の記憶だというのに、すでに懐かしい。


 少し離れた場所で角材をもって待機していると、彰はじっと出入り口を眺めている。柵の一部が外されて、少しだけ隙間がある。そこを上手い事、立ち入り禁止という看板で隠しているため、近づかなければ隙間は気付かれない。人がめったに来ないことも上手い事作用したのだろう。


 彰はそれをじぃっと見つめて、それからなぜかにっこり笑うと、勢いよく看板ごと柵を蹴り倒した。

 

 けたたましい音が静かな空間に響き渡る。同時に中から、「何だ」「どうした」という男たちの声が聞え、私は何も始まってないのに焦る。

 百合先生は「派手だな」とのん気に眺めているがそういう問題じゃない。


「こんにちはー。白猫救出隊でーす。猫ちゃんたちを秘密結社から助けに来ましたー」


 元気いっぱいにそう叫ぶと、彰は意気揚々と中に踏み込んでいった。

 他に言い方なかったのか。なんだ白猫救出隊って、秘密結社って。初めて聞いたぞ。


 百合先生が悠々と中にはいっていったので、仕方なく、後に続くとすでに十人ほどの男たちが廃ビルの中から出てきていた。皆戸惑った様子で、私たち、主に彰を見つめている。

 廃ビルの入り口あたりに、昨日見た男の一人が立っていた。彰を見るなり青ざめた顔で逃げ出したのは、協力するためというよりは純粋な恐怖のように見える。

 トラウマになってないといいなあ……。


「嬢ちゃん、何の用だ」


 リーダーらしくガタイの良い男が前に出る。百合先生ほどではないが中々にいかつい顔立ちだ。当たり前のように彰の性別を間違えていることについての突っ込みは不要だろう。


「何の用って、さっき言ったでしょ。ここに白猫がいっぱいつかまってるって聞いたから、助けに来たんだよ」


 彰はリーダーあからさまな威嚇に動じずににっこり笑った。不釣り合いすぎる明るい笑顔が不気味だが、リーダーは彰の外見に騙されて気づかなかったようだ。


「誰に聞いたかしらねえが、それは嘘だな。ここに猫なんていねえ」

「えーほんとに? おかしいなあ」

 彰はわざとらしく小首をかしげて、リーダーをじっと見上げた。


重里しげさとさんがここに猫を集めるように命令したって聞いたんだけど」


 彰がひそめた声で言った言葉に、リーダーは目を見開く。重里。その名に大げさに反応した時点で認めるようなものだ。

 リーダーは顔をゆがめ、彰をにらみつける。先ほどまで見世物気分で眺めていた他の男たちも、一様に緊張した表情を見せた。


「お前、それ誰から聞いた」

「んー誰だっけ?」


 彰は再びわざとらしく小首をかしげて、考えるしぐさを見せる。殺気だってこちらを見る男たちの視線をものともせずに、たっぷり間を開けてから彰は笑った。


「忘れちゃった」


 いうなり彰は走り出し、リーダーに向かって飛び掛かった。信じられない跳躍力で地面をけるとリーダーの顔を踏みつける。そのままバランスを崩して倒れるリーダーを踏み台にして、背後にいた男たちへと勢いのまま殴りかかった。


「な、なんだこいつ!」

「や、やっちまえ!」


 男たちの焦りの声が引き金になって、大乱闘が始まった。

 様子を見ていた百合先生が楽し気に飛び出して、近くにいた男の体をぶん殴る。勢いよく吹っ飛んで、近くにあった廃材に突っ込んだが、無事だろうか。

 私はその状況を廃材片手に見守るしかない。出入り口に陣取って、逃亡を防いでいるから一応、役に立っていると思いたい。


 彰と百合先生が大暴れしてくれているおかげで、今のところ私に意識を向ける者はいない。正確にいえば余裕がないのだろう。鬼の形相で殴りかかってくる百合先生に、笑いながらトリッキーな動きで翻弄する彰。圧倒的な実力差は見ていて可哀想になってくる。


 吹っ飛ばされた男の一人が、血走った目で胸ポケットからナイフを取り出した。刃物は標準装備なんですねと私は青ざめる。

 ナイフを持った男は、自分より一回り大きい男の腹を容赦なく殴りつける彰へと走りよった。

 百合先生よりは小柄だから何とかなると思ったのか。子供、そのうえ女(だと思っている)にいいようにされることへの怒りか、大声をあげながらナイフを突き出して突進する。


 彰は男の声に振り返ると、一瞬目を見開き、だがすぐに不敵な笑みを浮かべ、男の手を掴みあげた。掴まれると思っていなかった男の目が驚愕で見開かれる。そんな男に向かって、彰はにっこりとほほ笑んで、そのまま勢いよく男をぶん投げる。


 自分よりも一回り小さい子供によって宙を舞うことになった男は驚きの表情を浮かべ、同じく驚きの表情を浮かべて男を見上げていた仲間の上に落下する。

 体と体がぶつかる鈍い音がして、地面にたたきつけられた男たちは動かない。宙を舞った男も、下敷きになった男も気絶してしまったようだ。


「お前はほんと派手だよなあ」


 彰と違って意外と地道に、一人ずつぶん殴って気絶させている百合先生が感心した様子でいった。

 あれを派手の一言で片づけていいのか。なんて私が突っ込めるわけもない。


 あっという間に彰と百合先生以外に立っている人間はいなくなり、廃ビルに静寂が戻ってきた。正確にいうと、複数人の男が痛みによるうめき声をあげているから、静かとはいえない。それでもさっきの乱闘騒ぎよりは静かだろう。


 これだけ盛大に騒いで、警察が来たらどうしようと私は冷や汗を流す。そのときは百合先生と彰を囮に逃げてもいいだろうか。小宮先輩と香奈は責任もって逃がすから。


「これだった、子狐ちゃんの方が運動になったなあ」


 ため息交じりにそういって彰は肩をぐるぐると動かした。

 神様と比べられた男たちが哀れなのか。人間と比べられた子狐様が哀れなのか……。


「人数いるわりには骨がなかったな」


 百合先生も不満げに倒れた男たちを眺めている。

 ほんとに、この甥っ子と叔父は血の気が多すぎる。


「彰どうする?」


 気絶する男の傍らにヤンキー座りして、様子を見る百合先生。その姿はどこからどう見ても現役のヤクザで、教師という職業にはとても見えない。


「リーダーっぽい人は下っ端よりも事情知ってそうだったけど、どこだっけ?」


 倒れ伏した男たちをひょいひょいと飛び越えながら、彰はしょっぱに踏みつけたリーダーを探している。百合先生も協力して、倒れている男一人、一人の顔を確認。

 死んだわけではないが、絵柄としては死体あさりである。


「……私いる意味あった?」


 角材を握り締めながら、唖然とつぶやく私の声は百合先生にも彰にも届かない。

 救出組に混ざりたかったと心の底から思った。あっちだったらもっと平和だったし、きっと小宮先輩と友里恵ちゃんの感動の再会シーンだって見れたはずだ。心が温まって、よかったなって幸せな気持ちになれたはずだ。

 こんな虚しさは感じなかったはず……。


 そう思いながら私は八つ当たり気味に角材をぶん投げる。角材は中途半端な距離で落下して、余計に苛立ちが増したが、仕方ない。

 ふぅっと大きく息を吐き出して、気持ちを切り替えることにする。私、個人としては微妙な気持ちになったが、小宮先輩は友里恵ちゃんと再会できたはず。小宮先輩と友里恵ちゃんが最優先なのだ。

 そう心の中で念じて、私は精神を落ちつかせた。


 だからこそ、廃ビルからすごい勢いで飛び出してきた小宮先輩を見て、私は動けなかった。全力疾走したらしく息を切らした小宮先輩は、今まで見たことがない必死に形相で、驚いて固まる彰と百合先生を見つめて叫ぶ。


「友里恵が、友里恵がいないんです!」


 予想もしなかった展開に私は何の反応もできない。

 視界の端で固まった彰は、数秒後、乱暴に髪をかき乱して、


「あー、そういうことか……」

 そう忌々し気に吐き捨てた。

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