第123話:微笑み
ええと、と。言葉を探して、その男の子も黙ってしまった。たぶんそれほどの間ではなかったのだけれど、私には随分と長い時間に感じる。
「ご、ごめんなさい!」
「え……」
私がなにかしてしまったのは、間違いないだろう。それなら謝るだけでも先にと考えた。
なのにその子は、とても悲しそうな顔になってしまう。ただ謝るだけでは足らない、深刻なことらしい。
「えと、私。なにをしてしまったか分からないんだけど──言ってもらえたら、どうにか対処したいと思うの」
「え、え? 対処?」
驚き? 戸惑い? なにを言っているんだという反応に、私も戸惑う。
「──ああ、そういうことか。違うよ、織紙さんはなにもしてない。責めてるように見えた?」
「えっ、ごめんなさい。そうじゃないけど、きっと私がなにかしたと思って」
「違うよ。安心して」
「うん。ごめんなさい」
苦笑だろう。「ははっ」と短く、その子は笑う。私は恥ずかしくて、どんな顔をしていればいいのか分からない。
「俺──織紙さんと、あんまり話したことなくて。でもこの文化祭で、頑張ってるなってすごい思って。もっと織紙さんと話してみたいと思ったんだ」
「私と? えと、うん。でも、うまくおしゃべりできるかな」
私は特に、面白い話なんか出来ないのに。それでもいいのだろうか。もちろん私は、クラスの誰と話すのだって嬉しいけれど。
「あー、うーん……そう、じゃなくて」
「ち、違うんだ。ごめんねっ!」
「いや違わないけど! たくさんおしゃべりしたいよ。でもそれは、そういうことじゃなくて。俺と、つ、つ、つきっ」
言葉をつかえてしまって、その子は頬だけでなく顔中を真っ赤にする。でも「つき」まで聞こえた言葉と、その顔色で理解した。
交際を申し込まれてる?
私なんかに?
「付き合って! ほしいんだっ」
言い切った瞬間、男の子は目を閉じた。絞り出した勢いなのか、恥ずかしさが臨界を超えたのか。
「付き合う……」
「あの。一応、どこかへ一緒に行くのをとかじゃ──ないよ?」
こわごわとした素振りで、男の子は目を開けて、こちらを窺う。もうそんな勘違いはしていないけれど、さっきの今だから、そうなるのは仕方がない。
「分かる。と、思うよ」
こくんと頭を下げて、それでは了承したと見えると思った。慌てて付け足した言葉が、カタコトみたいになる。
「──そか、良かった。いや分かってるんだ。いきなりすぎるって。でも俺はもう、そう思っちゃってて。色々話してから言うとかしてる間に、先を越されたらどうしようって」
「それも、分かるよ」
好きなもの。それが一つしかないならなおさら、どうしても自分のものにしたい。私自身がそんな風に思ったことは、思い返しても出てこない。
でも分かる。きっとそれは、純水ちゃんと、祥子ちゃんと、友だちのままで居たかったのと同じだ。
その気持ちに、私はなんと答えればいいのだろう。お友だちになるというなら、いくらでも増やせるけれど、お付き合いは一人としか出来ない。
「あ、先に聞くべきだったね──付き合ってるやつとか、居た?」
言葉に迷って、少し俯いてしまう。結局この問いには、首を小さく横に振った。
お付き合い。男女交際。そんなことをした経験は、今も昔にもない。
でも──。
「……じゃあ。好きなやつが居る、とかかな」
消去法だろうか。それとも、私の態度から察したのだろうか。どちらにしても、聞かれた以上は答えないといけない。
頷く以外の答えはないのに、難しかった。そうしてしまえば、断ったのと同じだ。
いや断らないという選択肢もない。けれども真剣に、勇気を振り絞って言ってくれたものを、頷くという動作一つで終わらせていいものだろうか。
「そか……分かった。そうかなと思ってたんだ。ちょっとね」
「えっ」
「織紙さん、好きなやつ居るでしょ。でも断るのも、俺に悪いなって」
伝わって、しまった。
さっきはすぐに首を振ったのだから、それと答えが違うのは、自明なのかもしれない。
頷くどころか、なんの反応もなく終わらせてしまった。なんて不誠実なことをしてしまったのだろう。
「聞いてもらえて良かったよ。俺が言ったこと、忘れていいから」
寂しそうに言って、「じゃあ」と男の子は背中を向けた。もう振り返ることはなく、みんなの居る部屋のほうへと戻っていく。
「あ、あの。待って」
「……ん。なに?」
呼び止めると、足を止めてくれた。しかし少し振り返っただけで、完全にこちらへは向いてくれない。
「答えられなくて、ごめんなさい。でもそんな風に言ってもらえて、嬉しかったの。ありがとう」
深く頭を下げた私に、今度はその子が答えを返せなかった。失笑と苦笑の間みたいな、乾いた息を吐き出しただけみたいな、短い笑い声。
いいよと言うように、手の平を私に向けて、その子は去っていった。何歩か歩いたあと、駆け足で。
私はそれを見送って、どこを見ていればいいのか視線に困る。
どうするのが正解だったのか、少なくとも傷付けずにいられたのか。そんなのは不可能だと、分かっていることを考え続ける。
「織紙」
さっきの繰り返しみたいに、また後ろから声がかかった。
けれど今度は、誰だか分かる。自分がいまどんな顔をしているか分からないけれど、リセットするために大きく息を吸って、吐く。
「音羽くん、遅かったね。なにかあったの?」
「いや、急に団体さんが来てさ。それが落ち着くまで、抜けられなかったんだ。ごめん」
振り向くとそこに、優しく笑った音羽くんが居た。私が聞くと、参ったなという困り顔をしたけれど、私の思ういつもの彼だ。
「そうなんだ──私、休ませてもらって悪かったね」
「全然。問題ないよ。それより、織紙こそ、なにかあった?」
さっきの男の子が消えた通路に、音羽くんは視線を向けた。
見ていたんだ。どこからだろう。私が迷っていたと思われたら──なんて。そんなことを考えたら、さっきの子に悪い。
「ちょっと、ね。でも全然だよ」
「ホントに?」
「うん、本当にホント。嘘じゃないよ」
実は告白されたの。と言ってしまうのも、あの子は恥ずかしいだろう。だから精一杯、なにも問題はなくて、嘘でないとアピールした。
頑張って、笑おうとした。
「そっか、なら良かった」
でも彼が微笑むと、頑張る必要がなくなった。
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