第122話:みんなの歌
はやりの歌を、知ってはいる。でもそれは歌番組なんかで見て、いい曲だなと思ったとか、それくらいだ。PVを探したり、CDを買ったりとまではいかない。
クラスのみんなが、それぞれ歌っていく。聞いたことのある曲も、ない曲も、ちゃんと歌いこなしている。
渡されたリモコンの使い方は、教えてもらった。でもこれは、こういうのを歌おう、と思い付かなければ使いようがない。
それほど台数があるわけじゃないのに、私が一台を独占してしまっている。
どうしよう。なにを歌えばいいんだろう。早く決めなきゃと焦るほどに、なにも思いつかなくなる。
「コトちゃん、決まったー?」
隣に座っている祥子ちゃんの声が聞こえて、なんだかほっとした。歌う曲を決めるだけのことなのに、大げさだな私。
「悩んでるっぽい?」
「うん、思い付かなくて」
祥子ちゃんの向こうに居る純水ちゃんも問いかけてくれて、「うーん、そうだねえ」と考えてくれる。
悪いけれど、知恵を借りてしまおう。
「あ、コトちゃんさ。この間なんかのテーマソング歌ってたよね」
「え? そうだっけ」
「ああ、歌ってたね。えーと、あれだよあれ」
二人が言ったのは、海賊がたくさん出てくるアニメの主題歌だ。言われてみれば好きな歌で、口ずさむこともあると思う。
「あんなの、鼻歌みたいなものだよ? それにアニメの歌だし」
「メロディーは、覚えてるってことじゃん」
「みんな結構、アニメソング歌ってるよー」
そうなんだ。そんなに身構えることはないんだ。それなら、その曲にしようかな──。
「コトのあと、あたしたちもアニメソング歌うから。行っちゃいなよ」
「うん、やってみる!」
入力して、順番が回ってくるまでわくわくしていた。初めてのカラオケで、みんな楽しそうで、私も同じに出来るんだと。
でも段々と私の番が近付く度に、胸がドキドキするのも高まっていく。歌えるかな、間違えないかなと。
「おっ、誰が歌うんだ⁉」
モニターにタイトルが表示されると同時に、誰かが期待を込めた声で言った。
ああ、緊張が……。
「コトちゃん立って、うちも歌うから」
とても早口で、祥子ちゃんが囁く。背中を押されて、思わず立ち上がってしまった。
歌詞の最初を「行くぜ!」と歌い始める。声が出てない、リズムに乗れていない、私らしくない。
でも、恥ずかしくなかった。祥子ちゃんがとても上手に、同じキーで歌ってくれるから。
「おー、カントクー!」
「カントク頑張ってー!」
時々視線を交わしながら歌っていると、またわくわく楽しくなっていく。
まだ声が出せる。ここはもっと元気に。
そうやっていると、いつの間にか祥子ちゃんの声はしなくなっていた。私が一人で歌っていた。
「いいぞカントクー!」
間奏で声をかけてもらって、ますます嬉しい。カラオケって楽しいなと、すっかり私は調子に乗っていた。
終盤に差しかかって、ラップパートになった。小休止とばかりに、ふう、と息を吐く。でも画面には、ラップも歌えと表示されている。
えっ、ここも歌うの。なんて言っているかも分かっていなかったのに、そんなこと……。
「早瀬!」
「任せろ」
純水ちゃんの合図で、早瀬くんは手近にあったマイクを取った。
──うまい。途中から入ったのに、リズムに完璧に乗っている。
周りのみんなも手拍子をしてくれて、私は最後のパートを歌う。そうしたらまた祥子ちゃんも歌ってくれて、早瀬くんからマイクを奪った純水ちゃんも歌う。
気付くと曲は終わっていて、私は人差し指を、天井に向けていた。
なにしてるんだろう──。
恥ずかしくて、マイクをさっとテーブルに置いて、小さくなった。何人かが「上手だったよー」なんて声をかけてくれて、冷や汗と安堵の息が一緒に溢れた。
約束通りに祥子ちゃんは、ロボットアニメの主題歌を歌う。とてもテンションの上がる曲で、祥子ちゃんの歌いっぷりは熱くて熱くて熱い。
おかけで私も、さっきの恥ずかしさが消えてしまった。
その次は純水ちゃん。聞き覚えのあるイントロだけれど、なんだろうと考えた。すぐに思い出せなかったのも納得で、とても古いアニメの主題歌だ。
カトリック系の女学園を舞台にしたお話。名作と名高くて、私も見たことがある。
静かに、さらさらと。小さな水の流れを、愛おしむような歌い方。時々視線が、祥子ちゃんに向く。
私はもう、なにも言うことはなかった。
「音羽、来ないねー」
順番が一周するころになっても、音羽くんは現れない。携帯電話を見てみると、二人も自分のスマホを確認してくれた。
「早瀬、なにか連絡あった?」
「──いや、なにもないな」
早瀬くんもスマホを取り出して見ていたけど、同じ。
なにかあったのかな……。
心配していると、マイクを通して私を呼ぶ声がする。
「カントクー。この曲知ってたら、一緒に歌ってよ」
「えっ。あ、はい!」
知っている曲だった。これもアニメの主題歌で、男性と女性のグループが歌っている。だからだろう。私を誘ったのは、クラスの男の子。「知ってて良かった」と、はにかんでいる。
物語も歌詞も、切ない内容だ。でも曲調は明るくて、そのギャップが胸に苦しい。
「ありがとう。アニメ、よく見るのかと思って」
「うん。結構見るかも」
ステージと呼ぶのだろうか。モニターの目の前の、歌う人用のスペース。歌い終わって、自分の席に戻ろうとすると、そう話しかけられた。けれどそれだけで、その子も自分の席に戻っていく。
「コトちゃんお帰りー。音羽から、連絡あったよ」
「えっ、ほんと?」
見せてもらったスマホの画面には、『いま向かってる』と書かれていた。
「コトちゃんにも来てない?」
「あっ、うん」
言われて、さっきしまった携帯電話をまたバッグから取り出す。開く前に、メールの着信を知らせるランプが点いていて、良かったと思う。
なにかトラブルがあったのではと、心配していたこと。連絡が祥子ちゃんだけでなく、私にもあったこと。
ほっとしたのは、どっちの比重が大きいのだろう。
『遅くなってごめん:もうすぐ着くから、待ってて』
思った通りに、音羽くんからのメールだった。
音羽くんは、どうやって来るのかな。電車かな、バスかな。もうすぐっていうことは、もうバス停に着いたのかな。
来ても部屋が分からないかな。迎えに出ていたほうがいいのかな。
私の心が、急におしゃべりになる。
「えっと、私──」
「ん?」
「ちょっと行ってくるね」
「一人でだいじょぶ?」
「うん、平気だよ」
二人に言って、部屋を出た。平気と言ったものの、部屋がたくさんあるから少し心配。でも戻るときには音羽くんも居るし、問題ないよね。
受け付けの近くまで行って、入り口を眺める。まだ姿は見えない。
「カントク」
「えっ?」
後ろから、声をかけられた。振り向くと、さっき一緒に歌った男の子。
「ええと、俺もトイレでさ」
「あ、うん」
私はおトイレに行くのではないけれど、わざわざ否定する必要もない。そうするほうが、なんだか恥ずかしい気がした。
でもおトイレなら、ここまで来なくても他にあったはずだ。場所が分からなかったのだろうか。
「えと、おトイレはあっちに──」
「あ、いや、うん。それはもういいんだ」
「そ、そうなの?」
それぞれの個室からは、音楽や歌声が漏れ聞こえてくる。けれども廊下や受け付けの辺りは、新しく入ってくるお客さんも落ち着いて、それほど賑やかでない。
その中で私と男の子との間に、不自然な沈黙が降りる。
「──カントク。いや、織紙さん」
「はい」
「聞きたいことっていうか、聞いてほしいことっていうか、あって」
「うん……」
気まずそうに、言い淀んでいる。また私は、なにかやってしまったのだろうか。これほど言いにくくさせるなんて、どれほどのことをしたのか。
なんと言って謝るべきか、私は頭を悩ませる。
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