第121話:変わる風景

 市街地の、ど真ん中。洋服や雑貨のお店に飲食店が、数え切れないほど並ぶ繁華街。その中に、お祝いの会場になるアミューズメント施設がある。

 予定が決まってから、クラスのみんなが楽しみにしていたと思う。参加予定を受け付ける紙も、あっという間に名前で埋め尽くされていた。

 私もお兄ちゃんのことをあまり言えず、人混みが得意でない。だから出席するかを、迷っていた。


 祥子ちゃんは

「コトちゃんが行くなら行くし、行かないなら三人でお祝いしよー」

と言ってくれていた。

 純水ちゃんも

「あたしたちは、ホントにどっちでもいいから。コトが、そういうのもやってみたいっていうなら、それもいいと思うよ」

と。

 気を遣わなくていいと言ってくれているのは分かったけれど、それでもプレッシャーだ。先に決めてくれていて、着いていくかを判断するほうが楽に決まっている。

 でもそれではダメだ。二人とずっと仲良くするんだから、私がどうしたいのか言わないと困らせてしまう。

 でもなあ──と、貼られている名前を書く紙の前まで、何度も行っては戻り、行っては戻りしていた。


 その背中に「行こうよ」と言ってくれたのは、音羽くんだ。

「店の手伝いは、俺が都合つけるから。織紙も行ってみたいんだろ? それなら行こう」

 私の欲しい言葉が、そこに詰まっていた。ああ、そう言ってくれれば私は動けるんだ。自分でも発見だった。

 そう言ってもらって、その日のおとはで相談した。次の日の朝には、用紙の隅に名前を書き加えた。


 いよいよ金曜日当日。学校が終わって、みんな家に帰っていった。待ち合わせ場所を決めて、私も帰った。

 帰り際に「ちょっと遅れるけど、必ず行くから」と音羽くんが言ったのが気になる。

 どうしたのか聞いても、大したことじゃないと教えてくれなかった。


「やっぱり悪かったかなあ……」

「ん?」

「今日のこと。おとはが忙しいなら、悪いかなって思ったの」

「いつも、夜はそうでもないんだろう?」


 今日はお兄ちゃんも、外で晩ごはんを食べるらしい。最近あまり見たことのない服を着こなして、ちょっと格好いい。


「そうなんだけどね」

「ご主人や奥さんがいいって言ったなら、いいんだよ。どうしても無理なものを、いいとは言わないよ」

「そうなのかな」

「逆に無理してでもいいと言ってくれたのなら、それは言乃に楽しんで来てほしいと思ったからだと思うけれどね」


 そうだとしたら、それを無為にするのも良くない。だからときっぱり気持ちを切り替えられはしないけれど、私の遠慮ばかり言っていても仕方がないとは思えた。


「お兄ちゃん、お酒飲むの?」

「お付き合い程度にはね」

「ふうん。そんなお店、よく知ってたね」

「編集長がね。打ち合わせとかで、こっちで飲むこともよくあるみたいだよ」


 東京だけじゃなく、こちらにもそういう関係者が居るんだ。それなら今日は、そういう人と一緒なのかな。


「いいお店だといいね」

「そうだね。創作和食、だったかな。居酒屋さんだけど、しっかり食事も出来るらしいよ」


 おいしかったら、今度は言乃も行こうと誘ってくれた。もちろん私も、行きたいと答える。


「気を付けてね」

「ありがとう。あ、そうだ」


 私よりも早く出ると言っていたお兄ちゃんは、その通りに靴を履きかけて言った。


「なあに?」

「もしもなんだけど、僕が……」

「お兄ちゃんが?」


 お兄ちゃんの目は、じっと私を見ていた。言いかけたまま数拍ほども間があって、その目が逸れる。

 気まずかったのでなく、なにか考えているみたい。それほど言いにくいことなんだろうか。


「いやごめん。まだ僕も、こうしたらどうかなって、思い付いただけの話なんだ。てんでダメかもしれないし、煮詰められるようなら言うよ」

「うん、分かった。お仕事が楽しいのは分かるけど、いっぺんに無理したらダメだからね」


 ケイ出版のお仕事を、まだそれほど忙しくやっているわけではないみたいだ。

 でもファンの一人だと言った編集長さんは、なんとかチャンスを与えてくれようとしているらしい。

 ごり押しではなく、お兄ちゃんの作品が社内の他の人の目にも付くように。それで興味を持たれなかったら、それまでだけど。そんな機会を、たくさんくれるらしい。

 そんな締め切りがどんどん増えていくことを、お兄ちゃんは楽しんでいる。

 それを心配して言ったのに、お兄ちゃんはちょっと驚いたあと、笑った。「参ったな」なんて、私が見当外れのことを言ったみたいに。


「もう。そんなに笑うなら、これからはなにも心配しないからね」

「あははは、それは困る。言乃に嫌われたら、僕の生き甲斐がなくなるよ」


 おどけて言いながら、肩掛けのカバンを持つ。今度は出かけるようだ。


「行ってらっしゃい。楽しんできてね」

「──そうだね。とりあえず、十年分ほども話してくるよ」


 楽しんできてと言いはしたものの、お兄ちゃんが人とお話するのを楽しみだと言っているのは初めてだ。


「珍しい」


 そういえば、約束の時間は私よりも遅いらしい。その前に、なにか買い物をすると言っていた。

 一回の外出で、あれもこれもと用事を済ませるのは、慌ただしくて嫌いなはずなのに。それもまた珍しいと思った。


 お兄ちゃんから遅れること、およそ三十分。私も家を出て、待ち合わせの場所に向かった。

 駅に自転車を止めて、電車で。そうしていると、海に行ったことを思い出す。あの時はノースリーブだったと思うけれど、今はカーディガンを羽織っている。


「来年も行けるかな」


 窓の外を眺めながらそんなことを考えていると、すぐに目的の駅に着いた。

 祥子ちゃんと純水ちゃんの最寄り駅で、駅前のロータリーには二人の姿が見える。

 学校で別れてから、大した時間も経っていないのに、祥子ちゃんが両腕を大きく振ってくれる。

 私が右腕で振り返すと、純水ちゃんも小さく右手を振った。


「バス。すぐ来るよ」

「コトちゃーん」

「なになに?」


 会場まで歩くには遠いので、バスの乗り場まで移動する。えへへと笑って祥子ちゃんがしがみつくけれど、これという意味はなかったようだ。

 お返しに、わき腹をくすぐっておいた。

 バスに乗っているのも、十分くらいだっただろうか。バス停から、会場まではすぐの距離だ。


「おっ、早瀬だー」

「早瀬くん、早いね」

「やることもないしな」

「詩織は? あっちもなにかやってんの?」


 絵の具の白をべたっと塗ったような、真っ白な建物。その前に早瀬くんと、他にもクラスメイト数人が待っていた。


「いや、なにも表彰されてないから。ゲーセンで遊んでるよ」

「ああ、来てるんだ」


 ここには、ゲームセンターやボウリングなどもあるらしい。私たちが会場として使うのは、カラオケだ。

 詩織さんも来ているということは、終わる時間まで待って、一緒に帰るのかな。仲がいいなあ。


「音羽は遅れるって?」

「うん。ほんの少しだけど、間違いなく遅れるって」

「そうか。まあそういうこともあるし、来るならいいじゃないか」

「う、うん」


 音羽くんのことを、早瀬くんは私に聞いた。仕方ないと言ったのも、なんだか私が音羽くんを待ちわびているみたいに。

 いやまあ、間違ってはいないけれど。

 ──それから間もなく、ほとんどの参加者は集まった。クラス委員の女の子が、声をかけてくれる。


「みんな、そろそろ行くよー」


 それぞれが曖昧に返事をして、ぞろぞろと着いていく。見ていると、その子はクラス委員の男の子の隣へ自然に寄っていって、腕を取った。


「あれ。あの二人、付き合いだしたの?」

「そうみたいだな」

「なんだよー」


 なんだよーと言ったのは、純水ちゃん。すかさず祥子ちゃんが、「したいの? されたいの?」と聞く。


「うーん。したいし、されたい」

「なんだよー」


 今度は早瀬くんが言った。二人がそんな風にしていても、誰もなにも言わないみたいだ。隣に詩織さんの居ない、早瀬くんくらいしか。

 祥子ちゃんは「じゃあ、代わりばんこね」と、まずは自分が腕を取った。


「付き合うといえば。例の委員長と副委員長、最近一緒に登校してるな」

「えっ、マジで」

「俺がバスに乗るの、結構まちまちだからさ。同じ時間になることがあるんだよ」

「へえー」


 へえ。へええ。へえええ。

 そうなんだ。私が保健室に行っている間に、その話はしたと聞いていたけれど。そうなったんだ。

 進学科で三年生だから、いよいよ忙しくなるのだろう。でもそんな時に、信頼出来る相手が傍に居てくれるなら、どんなに励みになるだろう。


「はい適当に座ってー」


 予約していたという、大きな部屋。クラスの全員が来れたわけではないので、十分に入れる。

 祥子ちゃんが走っていって、純水ちゃんが着いていく。私はそれに、手を引かれていく。


「コトちゃん、なに歌うのー?」

「なにを歌えばいいのかな。私、初めて来たの」

「マジで? うわ、三人で来れば良かったね」


 明るいのだけれど薄暗いような、独特の照明。大きなモニターに、カラオケの装置。まずは息を呑んで、未知の光景に見蕩れた。

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