第120話:野々宮純水
最近の私たちは、お昼ごはんを保健室で食べるようになっている。与謝野先生も、生徒と仲良く出来るのっていいわ、と喜んでくれているみたい。
「ほら祥子、またごはんつぶ」
「先生も来ませんかー?」
「金曜日の放課後?」
さっきはテーブルの上に。今度は、ほっぺに。ごはんを付けてしまう、祥子ちゃん。純水ちゃんはかいがいしく、取ってあげている。
「そうでーす」
「うーん。誘ってくれたのは嬉しいけど、友だちと食事に行く予定があって」
「そうなんですか──仕方ないよ、祥子ちゃん」
「ざんねーん」
文化祭の表彰が最優秀賞だったから、クラスのみんなでお祝いをすると決まっていた。祥子ちゃんが先生を誘ったのは、そのことだ。
「でもみんな、そんなにお小遣いをもらってるの? 私が高校生の時には、そんなことする余裕なかったけど」
「うちは必要な分だけ、もらえますよー。お母さんがダメって言った時は、絶対にもらえないけど」
「祥子は、あるだけ食べ物に使っちゃうから、管理してもらわないとね」
そんなことないもん。と、膨れる祥子ちゃん。
あはは。でもごめんなさい、祥子ちゃん。純水ちゃんの言葉を、私も否定出来ないや。
「私は、おとはでお小遣いをもらうので」
「この間お邪魔したけど、賑わってたわね」
「いらっしゃったんですか。そうですね、商店街が全体的に盛り返してきたみたいで」
「良かったわね。野々宮さんは?」
純水ちゃんは、祥子ちゃんのお茶を継ぎ足してあげていた。話はちゃんと聞いていたようで、落ち着いて湯呑みを置く。
「あたしは、夏休みにたくさんやってたので。あとは月イチで、テナント清掃やってます」
「へえ。今は随分、選択肢が多いのね」
その通り純水ちゃんは、夏休みの半分くらいはアルバイトをしていた。私と同じく知り合いのお店のお手伝いという形だけれど、お給料は正規にもらったようだ。
月に一回のペースで続けているのは、そのお店に紹介してもらったテナント管理会社。かなり気に入ってもらって、高校を卒業したら就職すればと誘われていると言っていた。
ご両親から早く自立したい、純水ちゃんらしいとは思う。けれどもそんなに焦らなくていいのではと、心配でもある。
「祥子。お箸を振り回さないの」
「振り回してないもん」
こらっ。なんて、小突く素振りをする純水ちゃん。祥子ちゃんは大げさに避けて、私に助けを求める。
私はどちらに味方したものか、笑ってごまかす。
「それにしてもあなたたち、仲がいいわね」
「それはそうですけど、あらためて言うほどですか?」
「ええ。織紙さんは、前よりもっと馴染んだと思うし。特にあなたたち二人が、まるで──」
そうか、馴染めているのか。自分でもちょっと自信があったのだけれど、他の人からそう言われるとますます嬉しい。
でも純水ちゃんと祥子ちゃんの二人が特にとなると、どうなのだろう。二人はまだ、お付き合いの段階には至っていない。
それがもしも、偏見によって妨害されるようなことがあると悲しい。
「まるで?」
「親子みたい」
にこっと笑う与謝野先生に、悪意は見えない。からかおうとかでもないと思う。
まあ私も、お母さんと娘みたいと表現するのは、やぶさかでないと考えたり考えなかったり。
「ええ? そんなんじゃないですよ」
「ほら、あーちゃんがうるさく言うからだよ」
「もう、祥子まで」
「うるさく言うから、あーちゃんと一緒にごはん食べるのやめようかなー」
「ええ……」
小っちゃな祥子ちゃん。すらっとしている純水ちゃん。その力関係が、見た目の大きさとは逆になった。
いや、今や純水ちゃんがみるみる萎んでいって、叱られた子犬みたいだ。
どう考えたって、祥子ちゃんが本気でそんなことを言うはずがない。
でも純水ちゃんは、もしも本当だったらとか、そうでなくともその言葉が胸に痛いとか。色々と感じてしまうのだろう。
「あらあら、ごめんなさい。親子みたいっていうのは、冗談よ」
「うふふー。うちも冗談だよ」
「分かってるけど──」
悔しそうに睨む純水ちゃんに、祥子ちゃんはいつも通りに抱きつく。それだけで純水ちゃんは、「ほんとにもう」以上には、なにも言えなくなってしまう。
「友だちに限らないけど、親しくなった人は大切にしたほうがいいわ」
先生は湯沸かしポットから、熱いお湯を急須に注いだ。それから急須をぐるぐる回して、色を早く出そうとしている。
「ん? どうしたんですか」
「別に? ふと思ったから言っただけよ。大人になって、歳を重ねれば重ねるほど、そういう関係を取り戻すのは難しくなるかなって」
この間の話だろうか。例の生徒の人とは、稀に会うことがあると言っていた。
でも今さら、どうこうということにはならない。大事な縁なら、最初から手放すなと先生は言っているのかもしれない。
「うーん。たしかに、そういうことはあるかもしれませんね」
先生の注いでくれた熱いお茶を、ずずっと純水ちゃんは飲んだ。視線はじっと湯呑みに注がれていて、真面目に考えながら話していると分かる。
けれどそれが、ぐいっと上がった。「でも」と、力強い言葉と一緒に。
「あたしはコトのためなら、世界中を敵にだって回すし。祥子のためなら、海を飲み込んだっていい。そんなことは出来ないって知ってるけど、それくらいに思ってるんです」
なにかの物語か、歌の文句に、そんな内容があったかもしれない。とても大きな覚悟をしていると、示したかったのだと思う。
先生はどう受け取ったのか、純水ちゃんの目を見たまま、なにも言わない。
「もしかするとその時に、ちょっとだけケンカしてることもあるかもしれない。でもそれを理由に、諦めたりはしない。会って、どうしてケンカしちゃったんだろうねって話すために、あたしは海を全部飲み干しますよ」
「そっか……」
かくんと、先生の首が折れた。なにやら考え込んでいるのだろうか。テーブルに見える木目のような模様を、数えているのではないと思うけれど。
その姿勢のまま、何度か「そうね、そうよね」と先生は呟いた。同意の言葉として言っているのだか、自分になにか言い聞かせているのか、きっと両方だろうと聞こえる。
「うん。野々宮さんの言うので、正解だと思う。それくらいの覚悟でいれば、歳とか立場とか、そんなものは関係ないわね」
再び上がった先生の顔は、さっきまでと同じ笑顔。でもなんだか、すっきりとしたようにも見える。
それから先生は、お祝いをどこでどんな風にやるのかと話を変えた。それには祥子ちゃんが、身振り手振りで詳しく答える。
「先生はどこに行くのー?」
「え?」
「食事に行くって」
「ああ、そのことね。ええと──」
記憶を辿るように、先生は斜め上へ顔と視線を逸らした。でも途中で、いたずらっぽい顔に変わって、視線だけがこちらに戻ってくる。
「内緒」
「ええー、ケチー」
「祥子、そんなこと言わないの」
「あ、えと。なんのお店なんですか?」
聞いてどうするのか知らないけれど、祥子ちゃんはすごく知りたそうだった。でも内緒と言うなら、場所や名前を何度も聞くのは心苦しい。
だから洋食とかそういうジャンルだけでもと、聞いてみた。
「和食というか、居酒屋というか、そんな感じみたいね」
「行ったことないんですか」
「ええ。おいしい煮物があるらしいからって、誘われたの」
煮物のおいしいお店なのか。それは私も、行ってみたいかもしれない。などと暢気なことを考えていると、純水ちゃんが鋭い指摘をした。
「誘った人も、初めてなんですね」
「そうなの。まあ、出歩くタイプの人じゃないし」
うふふっと笑う先生が、なんだか可愛く見えた。
──あ。でもこれは、また祥子ちゃんが相手のことを聞きたがるのかもしれない。先になにか、質問しなければ。
「あ、あの。ええっと。煮物が好きなんですか?」
「そうね。クワイの煮物なんてあったら、最高ね」
「うちもクワイ好きー」
「そうなの?」
祥子ちゃんがなにか言うたびに、純水ちゃんは本気で驚き、笑って、怒って、寂しがる。
私はその間近に居させてもらって、同じ空気を味わわせてもらう。
そこには例えば今は与謝野先生がいるみたいに、早瀬くんや詩織さんが居ることもある。もちろん音羽くんも。
さっき純水ちゃんが言ったのは、祥子ちゃんのことで悩んでいた時の反省なのだろう。
そこには私への気持ちもあって、それを聞いて私は? と自問しても、答えが出てこなかった。
こんな幸せな空気をくれた純水ちゃんと祥子ちゃんに、私はどんな想いを向けるのか。慌てずに、考えてみようと思った。
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