第118話:天海祥子

 お墓参りを終えて、おとはのお手伝いまではまだまだ時間があった。だからそのまま音羽くんと二人で、美術館に行った。


「高校生か!」


 翌日の学校でそのことを話すと、祥子ちゃんにそう言われた。


「高校生だよ?」

「そうだけどねー。まあ楽しめたなら、いいんじゃない?」

「うん、面白かった。美術館に行ったの、初めてだったし」


 今日は最初の授業時間が、全校朝礼になっている。その時に文化祭について発表があるので、実行委員だった純水ちゃんは、朝からそちらだ。


「祥子ちゃんは昨日──」

「なあなあ、天海」

「なにー?」


 二人で話しているところに、クラスメイトの男の子が声をかけてきた。手には、どこかのお土産だろうか。小さな紙袋がある。


「昨日ちょっと出かけててさ。お土産やるよ」

「えー、うちに? いいの?」


 祥子ちゃんはお友だちが多くて、こういうことがよくある。クラスメイトだけじゃなく、他のクラスや、なぜだか二年生や三年生の人も。

 いつもの人懐こい感じで、祥子ちゃんは両手を伸ばす。どんな物も嬉しそうに、なんだか分かったら飛び上がって喜ぶ。

 誰だって、「またなにかあげよう」と思うに決まっている。


「ていうか、まあ──俺の気持ち」

「気持ち?」


 出ていた両手が、祥子ちゃん自身のほっぺを挟む。その仕草も可愛らしいけれど、私は「ああ……」と察する。


「それって、そういうこと?」

「いやまあ……」


 他の人には聞こえないように、こそこそと耳打ちをするように祥子ちゃんは言う。それでも私には聞こえているので、男の子は気まずそうだ。


「いや、あれだ。そういうんじゃないよ。よく言うだろ? お歳暮とかで、気持ちですって」

「あー、そういう気持ちね。ありがとー。開けていい?」


 今度は受け取った祥子ちゃん。嬉しそうに、がさごそと音を立てて包みを開ける。

 中から出てきたのは、オルゴールだ。透明なケースに入った小さなそれは、金色にぴかぴかと光っていた。


「うわ、可愛い。嬉しいよー、ありがと」

「いやいや。喜んでくれたら良かった」

「うちね」

「え?」

「いま、お付き合いしようかなーどうしようかなーって、考えてる人が居るんだよ。だから、うちが勘違いしたようなことだったら、もらえなかった」


 純水ちゃんの一件以来、似たような言葉を何度聞いただろう。

 祥子ちゃんは相手のためを思って、自分が変な勘違いをしたと言う。でも純水ちゃんのために、受け取れないとはっきり言う。


「だから、大事にするよ。ホントにありがとう」

「そうか──俺も嬉しいよ」


 こういう時、祥子ちゃんは思いきり頭を下げる。ぐいっと、前屈の測定でもするみたいに。

 それがふざけているのでないのは、話しかたで分かる。彼女は、ごめんなさいとは言わずに、それを伝える。

 男の子が去って、私は気付かない振りでオルゴールを褒めた。


「すごく綺麗だね」

「だねー。ちょっとだけ鳴らしてみる?」

「え、平気?」

「だいじょぶだよー」


 祥子ちゃんは、ネジをほんの少しだけ巻いた。聞いたことのある、洋楽──アニメかな? のメロディー。

 落ち着いていて、優しくなれそうな曲が、祥子ちゃんの手からこぼれ落ちてくる。

 彼女はそれを、そっと耳に近付けた。貝がらで波音を聞くように、目を閉じて耳を澄ます。


「道はどこに繋がってるのかなー」

「どこだろうね……」


 鳴り止んだオルゴールを、祥子ちゃんは丁寧に両手で持ち替えた。横を見たり、裏を見たり、愛おしそうに眺める。


「うちは、一人で寂しいのを我慢するのは嫌だなー」

「うーん──そういう時もあるけどね」

「うちには、コトちゃんも居るもん」


 純水ちゃんの名前は、出てこなかった。でも私の名前に、副助詞で「も」と付いた。だから、そういうことなのだ。


「そっか。私も、祥子ちゃんと純水ちゃんと、ずっと仲良くしてもらいたい」

「するよー。嫌だって言っても、ずっとするよー。しつこいよー」


 左手を鉤爪みたいにして、祥子ちゃんは私を狩るジェスチャーをする。「がお」と言いながら頬をぺちぺちされるのは、まねき猫に撫でられている想像しか出来なかったけれど。


「昨日は二人で、どこかに行かなかったの?」

「ん、昨日? 昨日はねー。うちがパーティーに行ってたから、遊べなかったんだよー」

「パーティー?」


 誰かのお誕生日会……とか?

 よく聞く単語ではあるけれど、実際にやったとか行ったとかいう人は、あまり見かけない。


「お父さんのお仕事の関係だよー。ヒールのある靴履いたりするから、面倒なんだよー」

「え。なんだかすごく、本格的なパーティーに聞こえるけど」

「本格的なのかなー? よく分かんない。ごはんは、おいしいんだけどねー」


 どこであったのか、場所を聞いた。すると県内でもきっと一番の、豪華なホテルの名前が返ってきた。

 お仕事関係のパーティーで、そんなところを使うなんて、かなり上流の人たちが集まるのではと想像できる。

 そこに招待されている祥子ちゃんのお父さんは、もしかすると……。


「えと──もしかして祥子ちゃんのお父さんって、すごく偉い人?」

「えー? いつもダジャレばかり言ってるよー」

「あ、うん。楽しそうだね。ええと、印刷機を作ってるんだっけ?」

「えーと。車とか家の部品も作ってるんだって」


 ああっと……。

 勇気を出して、聞いてみた。会社の名前を。すると聞こえたのはやはり、世界的に有名な工業系の会社。

 詳しくは祥子ちゃんが覚えていなかったけれど、お父さんは役職に取締役と付くらしい。


「お兄ちゃんに、お礼に行くように言っておくね──」

「えー、そんなのいいよ。電話はあったみたいだよ」

「ううん、ちゃんと。ちゃんとお礼をしてって、言っておくね」


 ホントにいいのにと祥子ちゃんは言うけれど、そうはいかない。

 別にお父さんが偉い人だからというのでなくて、そんな人が動いてくれたなら、その周りの人にも影響があっただろうと思うから。

 誰かが手間を取ってくれたなら、そのお礼もしないといけないと思った。

 あの編集長さんも、お兄ちゃんがまた遠慮をしないように言わなかったのだろうけれど。

 一緒に食事をした日に、何度も「実力を認めている」と念を押していたのは、このせいだったんだ。


「そういえば祥子ちゃん、兄弟とか居るんだっけ?」

「居ないよー」


 ひとり娘かあ。

 純水ちゃん、ファイト! と握りこぶしを作って、密かに応援しておいた。


「そろそろ集まってくださーい」


 クラス委員の男の子が、みんなに声をかける。全校朝礼は講堂でやるから、移動するのだ。


「あーちゃんは、直接行くのかなー」

「そうかもしれないね」

「じゃあコトちゃん、行こ」


 小さくて柔らかそうな手が、目の前に出される。

 もちろんしないけれど「いや、そういうのはいいです」なんて、私が断ったらどうするのだろう。

 そんなことを微塵も疑っていない、満面の笑顔。純水ちゃんでなくても、抱きしめるくらいは考えてしまう。


「うん、行こう」


 手を取って列に並ぼうとすると、廊下を走ってくる女の子の姿が見えた。


「祥子! コト!」

「あーちゃん!」


 満面と思ったのは、どうやら私の勘違いだったらしい。

 純水ちゃんに全身で抱きついていく祥子ちゃんの笑顔は、もうはちきれている。三日も離れていた飼い主に、対面した猫はこんな感じだろうか。

 繋いだ手はいったん離れてしまったけれど、今度は二つの手が私を呼んでいる。


「コトもおいでよ」

「コトちゃーん」

「待って」


 私は笑いをこらえきれずに、両手を二人に差し出した。

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