第117話:伝えたいこと
別れ際に、樋本さんと連絡先を交換した。家の仏壇も、また拝ませてくださいと約束した。
お煎餅でも食べながら、私のお母さんのことを教えてくれるらしい。
「さて──どうする? なにか予定がある?」
「予定じゃないんだけど、もう一度お父さんとお母さんのお墓に行ってもいい?」
「もう一度?」
さっき行ったばかりなのに、という疑問はあったみたいだけれど、音羽くんは「いいよ」と言った。
どうして、とか。なにをしに、とか。そんなことは聞かなかった。
広大なお寺の外周を回ると、それなりに時間がかかる。さっきは、お婆ちゃんたちがどこへ行くのか、なんてことを話して歩いた。
その時と同じに、また並んで歩く。
「俺さ……」
「ん、なあに?」
なんと言ったか、聞こえてはいた。でもそこからなにを言いたいのか、予測のつけようもない。
聞き返した私に、音羽くんは口ごもる様子を見せて、黙って聞いているのが良かったのかと私は悔いる。
「織紙は、すごいやつだなって思ってたんだ」
「え──?」
いきなりなんの話だろう。私にすごいところなんて全然ないし、それでも「そうと思っていた」って。
なにか見損なわれたという話だろうか。
「頼まれたら嫌って言わないし、頼まれなくてもなんでもやろうとするし。あげくに俺の家の手伝いまで」
「えと──ごめんなさい」
「あ、いや! 違う。迷惑とかじゃないよ。助かってる。すごく」
違ったらしい。でもそうすると、ますますなんだか分からない。
「どうしてそんなに頑張れるんだって、不思議に思ってさ」
「どうして? 変、なのかな」
「変じゃない、すごいんだって。例えば、お兄さんの仕事の件。自分がなんでもするからって、あんな交渉は俺には思いつかない」
すごいことなんだ。私にはそれしか思い付かなくて、それでは解決しなかったのを助けてくれた、みんなのほうがすごいと思うけれど。
なんとも答えられない。言葉が見つからなくて、音羽くんを見ているのも違う気がした。
私たちの歩く通りは、お寺とお寺の間の道。人も車も自由に通れるけれど、実際にはほとんど通らない。遠くに覗く大きな通りには、車が列を為しているのが見えるのに。
ここが無用の音を避ける、聖域みたいに思えてくる。
「野々宮と天海の件、あったよな」
「う、うん」
「たいていのやつは、放っとくと思うんだ。当人同士のことで、余計な口を挟むもんじゃないって」
「そうなんだ⁉ 私、余計だったのかな……」
二人とは、あの時にますます絆が深まった気がしていた。でもそれは、私の思い違いなのだろうか。
「いや違う! 織紙は間違ってない! 間違ってるのは、俺のほうだ」
「音羽くん──」
「俺あの時、織紙に偉そうなこと言ったけど。俺自身のことじゃないから、言えたんじゃないかって思ってさ。俺はあんなに、自分が傷付いても役に立ちたい、助けたいって思ったことはないなって」
そんな風に、私を思ってくれてたんだ。本当の私は、そんな人間ではないけれど。すごいと思ってくれていたんだ。
「他にもあるけど、とにかく俺も織紙みたいにならなきゃって思ったんだ。だからカフェの場所を、一人で解決しようとしたりして。でもダメで。それでまた織紙に気を遣わせて、なにやってんだろうって」
私はその件を、嫌われたのかと心配していただけだ。そのうえ音羽くんは、謝ってまでくれた。だからそんな風に、自分を責めるような言いかたをしなくてもいいのに。
けれども考えてみれば、音羽くんはこの話をしに来たのかもしれない。だからさっき、もう予定はないかと聞いたのだろう。
だから私と二人になったこのタイミングで、この話を始めたのだろう。
でもそうなると、一つおかしなことがある。
「私は音羽くんがすごいと思ってるよ」
「俺が?」
「うん。純水ちゃんと祥子ちゃんのこと。お兄ちゃんのこと。カフェを講堂でやることも。全部、音羽くんが助けてくれたよ」
「いやだからそれは……」
「それも全部、助けたいって思わなかったの?」
そう聞いたものの、思わなかっただろうなと、私は考えていた。
だって私がそうだから。音羽くんが言ってくれたような時に、私は助けたいなんて思わなかった。
純水ちゃんの想いが叶えばいい。お兄ちゃんが、大好きな仕事を出来ればいい。それしか考えなかった。
「ええと……」
「それに音羽くん。私のこと、なんでも気が付いてくれるよね」
「え、そうかな」
「そうだよ。気が付いてるから、今日ここに居るんでしょう?」
図星だったらしい。音羽くんは、目を逸らした。
きっと音羽くんは、私が香奈ちゃんにいい感情を持っていなかったと知っている。でもそれが、樋本さんと会ってから変わりつつあったことも知っている。
だからそれも、すごいなと褒めてくれようとしたのだろう。でも実際に口にするには、重い話だから言わなかった。
「参るな──やっぱり織紙がすごいってことじゃないか」
「違うよ。少し前の私なら、気が付かなかった。でも今は音羽くんのこと、気が付けるんだよ」
音羽くんは少しの間、黙って考えた。しかし「どういうこと?」と聞いてくる。
「ある人にね、教えてもらったの」
「なにを?」
「伝えることを、ためらっちゃいけないって。それから、相手の気持ちを待ってあげなきゃって」
「……ますます分からないんだけど」
真剣に考えてくれる顔を見て、すぐに伝えたいと思う。でも今日は、先に伝えないといけない相手が居る。
「着いたから、また今度ね」
「ええ……うん」
お寺に着いて、再びお墓に向かった。また両親に対面した私は、さっきは言い忘れていたことをまず伝える。
「お父さん、お母さん。誕生日のプレゼント受け取ったよ。ずっと、ずっと大切にするね」
その次は心の中で、内緒話をするように。
それから、好きな人が出来たんだよ。隣に立っている男の子。音羽くんっていうんだよ。
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