第111話:弁解

 日曜日。文化祭の二日目。

 来てくれるお客さんに取って、それは単に二日目なのかもしれない。けれども長く準備をしてきた私たちには、最終日と呼びたかった。


 他のクラスや、部活の催し。昨日よりも熱が入って、学校は朝から活気があった。

 それには、長かったイベントの最後という感慨の他にも、もう一つ理由がある。

 お客さんにはパンフレットと一緒に、投票用紙が渡される。それは帰る前に校門の近くで回収されて、そこには良かった催しを三つ、順位が付けられている。

 全ての日程が終わると、実行委員会がポイントを集計して、優秀だったところを表彰してくれるのだ。


「よしお前ら、朝メシは食ったか!」

「食った!」

「今日が最後だよ!」

「おつかれさん!」

「あたしたちが一番楽しむよ!」

「おうっ‼」


 昨日と同じに、教室で円になって声を上げた。お芝居の順序は午前と午後を入れ替えているので、私は午後の最初だ。

 元々相手役だった男の子は、もうだいぶん具合いが良くなったらしい。でもみんなが頑張っている中に、風邪を撒き散らしては迷惑だからと、今日も休んだ。


「ずっとやってきたのに、参加出来ないってかわいそうだね……」

「そうだけど。自分でバカやって、体調崩したんだから。コトがあれこれ考えても、仕方ないよ」


 その通りだ。お芝居の稽古で初めて話したような私が、なにを出来るわけでもない。でもだからと、関係ないと割り切るのは難しい。

 文化祭が終わってからでも、なにか参加した気持ちになれる方法はないかな。


「ねえねえ、早く行こうよ。回る時間、なくなっちゃうよ」

「あっ、そうだね。ごめん」


 昨日は時間配分が全然分からなくて、よそのクラスを見る余裕が、ほとんどなかった。だから今日は、午前中の忙しくない時間に見て回ることにした。

 音羽くんも、男の子の友だちと回るらしい。早瀬くんは姿が見えないけど、詩織さんと一緒に居るのかな?


 どこのクラスも、盛り上がっていた。中庭では、クイズ王大会なんてものもやっている。

 茶道部でお茶を頂いて、パソコン部では自作したというゲームをやらせてもらった。

 部活も楽しそうだねなんて話しながら、ぐるりと回って、私たちの教室近くへと戻ってくる。


「あれ、音羽じゃん」

「えっ」

「あー、並んでるね」


 なんの行列だろう。結構な長さの最後に、音羽くんの背中が見えた。

 どうしよう。なにか言ったほうがいいんだろうか。などと考えている間に、祥子ちゃんが彼の背中を叩いた。


「なにしてんのー」

「ん、おお。ここ、面白いらしいよ」

「そうなんだ」


 どういう催しなのか、壁や入り口に表示があるはずなのだけれど、行列で見えない。

 私にはそんなことよりも、音羽くんの顔がまともに見られなくて困るのだけれど。


「あー……ね、ね」

「ん?」


 祥子ちゃんは純水ちゃんの腕を取って、なにか耳打ちをした。二言三言という程度で、二人は揃って私に微笑む。


「あたしたちも並ぼうか」

「そうだねー、そうしよう」

「え、うん。いいけど」


 列は二列で、一分ごとに進んでいるらしい。音羽くんは、お友だちと三人で回っているようだ。そのすぐ後ろに着くのは、どうにも心臓に悪い。

 祥子ちゃんたちの後ろで、こそこそ隠れるようにしてしまう。順番が来るまで十分くらいだったと思うけれど、私はずっと窓の外を眺める振りをしていた。


「二人ずつでお入りくださーい」


 私たちの番まで、あと三組。入り口で案内をしている人たちが言った。

 ずっと聞こえていたはずだけれど、いよいよとなるまで、その意味に気付かなかった。


「あれ、三人じゃダメなの?」

「そうみたいだね」

「ね、ね。音羽っ」


 呼ばれた音羽くんは、「なに?」と振り返る。


「こっち、一人余っちゃうんだよねー。そっちは?」

「そうなのか。一人ずつ入ろうって言ってたんだけど、二人じゃないとダメらしいから、こっちもだな」


 言いながら音羽くんの視線は、ちらちらと私を見ていた。気まずいけれど、気になる。きっと私と同じ──いや、好意の部分は違うだろうけれど。似た感覚でいるみたい。


「じゃあさ、コトちゃんと一緒に行ってあげてよ」

「お、おお──うん」


 音羽くんの顔が、赤くなった。私も顔が熱い。途中から、そういう狙いだと分かったけれど、なにも用意が出来なかった。


「次の方どうぞー」

「は、はいっ!」


 話している間に、私たちの番が来た。

 慌てる私に「行こう」と、音羽くんが言ってくれる。さっきまでの表情はなくなって、いつもの音羽くんだ。

 私はますます胸が高鳴っているのに、なんだかズルい。


 暗幕で仕切られた入り口を入る時に、なんだか気になるイラストが見えた。

 お墓とか、火の玉とか、そういう物だったような……気のせいだよね。


「──なっ、なにここ」

「なにって、お化け屋敷だよ」


 部屋の中には、暗幕で通路が作られていた。その狭い空間の先には、ぼやあっとした灯りで浮かび上がる、お墓が見える。

 忘れていた。私たちの隣のクラスは、お化け屋敷をやっていたんだった。


「こういうの、苦手?」

「えっ、いや、あの……無理、かも」


 もうこの時点で目を閉じてしまいたい。脚がガクガクして、腰が抜けそう。


「ずっとここに居るわけにも行かないから、これなら行ける?」


 もうへっぴり腰になって、前屈みの情けない姿な私。その目の前に、音羽くんは手を差し出してくれた。

 おそるおそる。

 ううん。音羽くんにじゃなく、この雰囲気では素早く動くことが出来ない。

 ゆっくりと腕を伸ばして、手を握った。火照ったような彼の体温が、ぐいぐいと私に伝わってくる。


「う、うん。なんとか。ごめんね」

「いや。そうなのかなって思ってたけど、相当苦手みたいだな」

「本当にごめんなさい」


 そうだ。私はこういうのが、全くダメだ。他の人と比べても相当なものだけれど、どうしてここまでになったのかは分からない。

 音羽くんは「平気だから」と手に力を込めて、引っ張ってくれる。私はけん引される車みたいに、されるがまま。

 設置されたお墓のところは、一段高くなっている。教壇なんだなと分かるけれど、ギシギシ軋む音が恐怖をかき立てた。


「きゃあぁっ!」


 カタンカタン。と、私の後ろで連続して音がした。振り向くと、数本の卒塔婆が傾いて、また元に戻っていくのが見える。

 暗幕の向こうで操作しているのだろうけれど、もうその光景さえも怖い。


「えと……織紙」

「あっ。ごめんね、ごめんなさい」


 大きな声を出してしまって、それを謝った。なぜだかまた、気まずそうな顔をしている音羽くん。その原因はすぐに分かる。

 驚いた私は、彼の腕にしがみついていた。ぎゅうっと抱きしめて、これでは鬱陶しいに違いない。


「ごごごめんなさい! はなっ、離れるから!」


 音羽くんは、なんとも答えに迷っているらしい。すぐに離れないと。

 そう思っているのに、体が動かない。音羽くんに色々思っていることも、今だけは、恐怖で上書きされている。


「あの。もし、どうしても嫌とかじゃ──」


 言いかけたのが、誰かの「ぎゃあっ!」という悲鳴でかき消される。

 ダメだ、怖い。どうしよう。


「嫌なわけない。行こう」


 ぐいっと。私を引きずるようにして、音羽くんは歩き出した。腕にしがみついたままの私の手を、反対の手でトントンと優しく叩いてくれながら。


「ここまでだとは、知らなかったから。昨日、行かなくて良かったよ」

「え?」

「樋本さんが、また店に来たんだ。お墓の場所を聞いたから、俺も一緒に行かせてもらおうと思って」


 樋本さんとお墓。となったら、それは香奈ちゃんのだろう。そういえば住所は知っていても、連絡先の交換はしなかった。

 司さんに聞けば知っているのかもしれないけれど、本人に聞いていないのに使うわけにもいかない。


「また昼間に行こう。っていうか、俺も行っていいかな」

「うん」


 話していると、思考がそちらに向く。視線も音羽くんの顔に。それはすごく近くて、私の視界を全部塞いでくれる。

 こんな場所だから、ちょうど恐怖と相殺されるんだろうか。普段なら絶対に見ていられないその風景を、ずっと見ていたかった。


「それと……ごめん」

「な、なに?」

「俺を探してくれたのに、居場所を言うなって」


 早瀬くんに聞いたんだ。それは聞くか。

 怒っているわけではないし、怒ることでもないから、謝られても困る。

 でもなんだか、ほっとした気にはなった。


「あ、もう終わりみたいだ」

「ホント? 良かっ……」


 出口の脇に、木枠の井戸のような物があった。筒井筒のお話を連想させて、親しみさえ湧きそうだ。

 でもその横を抜けようとした時、中から骨ばった青白い手が伸びてくる。


「きゃあぁぁっ! いやあっ!」


 私は音羽くんを急かして、出口の外へ押し出すようにしてしまった。

 だって手だけでなく、上半身まで乗り出して、襲いかかってきたから。


「う──ううっ」


 ぐすぐすと泣きべそをかく私を、音羽くんは背中を叩いて慰めてくれた。

 でもいくらもしないうちに、「織紙」と呼びかけられる。


「なあに……」

「俺はいいんだけど。みんな、見てるから」

「え──?」


 見回した。

 まだ行列は長いままで、その人たちやその横を通っていく人。それなりにたくさん居る人たちが、みんな私たちに目を向けていた。


「わー、結構面白かったねー」


 そこへ出てきた祥子ちゃんと純水ちゃんも、なぜだかそれ以上はなにも言わずにこちらを注目する。

 それもそのはずだ。

 私は音羽くんに抱きついて、ずっと泣いていたのだから。

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