第108話:転機
会議室からここまで、それほど離れてはいない。それを走っただけで、激しく息を乱している。
私もそれほど運動に自信のあるほうではないけれど、この人はそれ以上かもしれない。
「どうしたんですか、そんなに慌てて。なにか言い忘れたことでも?」
「忘れては、ないの。あそこじゃ、言えなかったから」
純水ちゃんも頃合いを見計らったのだけれど、まだもう少しだったらしい。けれどもなんとか、息継ぎが多い程度で会話にはなる。
「言えなかった?」
「私のせいなの」
「ええと?」
「あなたたちに嫌がらせのように──結果として嫌がらせでしかなくなったのは、私のせいなの」
さっきの説明では、進学科である委員長さんと副委員長さんが、自分たちの利益のために協力していたような話だった。
説明したのが委員長さんだったから、彼が主犯みたいな印象は受けたけれども。
「さっきのは嘘だってことですか?」
「いいえ。内申を良くするために役を受けたとか、そのためにごり押しになったのは事実よ」
「うーん? じゃあ、私のせいってなんですか?」
副委員長さんは、ごくりと唾を飲み込んで。意を決した風に話す。
「行列の数字を纏めたのは、私なの。それぞれのクラスが提出した企画から予測して、表にした。
本当はそれを、委員長にも確認して書類にしなきゃいけなかったの。処理速度を上げるために、私はそうしなかった。
彼のサインを真似て書いて、他の書類と一緒に生徒会に提出したの」
「なるほど。それがあとになって分かって、委員長はあなたをかばって、こうなったと」
肩をすぼめて、小さくなった副委員長さん。彼女は震える声で「ごめんなさい」と謝った。
深く下げられた頭も、小刻みに揺れている。
「いいですよー」
「え──」
なんと返すか、みんなで顔を見合わせる中、祥子ちゃんが軽快に言った。明日どこかへ遊びに行こうと誘われでもしたかのような、朗らかな返事。
どうしてそんな口調になるのか、副委員長さんも戸惑っている。
「さっき、あーちゃんが言ったでしょー。うちらはもう、いい感じに営業出来てるからいいんですよー」
「ええと、うん。それは聞いたわ。でも委員長が、一人で罪を被ったみたいになっていたから」
委員長さん個人に対して、もしも遺恨が残ってしまったら困る。副委員長さんは、それを心配して来たらしい。
「いちばん最初は腹も立ちましたけど、もういいですよー。委員長がそうしないといけない、理由もあるみたいだし」
「そう。私たちの利己的な理由なの。ごめんなさい」
やけにあっさりとだけれど、心配しなくて良くなったらしい。そんな風に思っているのだろう。副委員長さんの態度が、ちょっと柔らかくなった。
それでも丁寧に、もう一度頭が下げられて、祥子ちゃんは「そういうことじゃないよー」と言った。
「え? 許してはもらえない──ということかしら」
「いやいやー。だからそれは、もういいと言ってるでしょ。そうじゃなくて、委員長がかばった理由」
副委員長さんは、「ん、んん?」と。顔中にクエスチョンを浮かべるように、理解不能という感じだ。
私も最初は気付かなかったけれど、祥子ちゃんがそう言い始めると分かった。少し前までの私なら、きっと今の副委員長さんと同じようになっただろう。
「じゃあ、それを教えないのが罰ってことで」
「えー? かわいそうだよ」
「いえ。それくらい、自分で考えろということね。それが罰になるなら、それでいいわ」
そういう条件を付けた純水ちゃんが、最後にもう一言だけ付け加えた。
「明日の午前中までで分からなかったら、聞きにきてください。文化祭が終わったら、意味がないかもしれないから」
「分かった。どういう関係があるのか分からないけど、考えてみる」
思わぬ罰が下ったものの、副委員長さんの心配は解消された。彼女はもと来たほうへ、定規で線を引くような歩調で帰っていった。
音羽くんと早瀬くんは、どうも女同士の話らしいと、知らぬ顔で距離を取っていた。
ようやくみんなで、お昼ごはんに行ける。
普段、食堂は生徒や先生、事務員さんなどの関係者しか利用出来ない。しかし今日は、来場したお客さんも利用できる。
でも露店でたくさんの食べ物を売っているせいか、それほど混雑してはいなかった。いつものお昼休みより、空いているくらいだ。
それぞれ食べたい物を確保して席を探すと、お婆ちゃんと司さんが居た。
テーブルのトレーには、もう空っぽになったお皿ばかりで、食事は終えてしまったらしい。
「今からかい?」
「うん。お婆ちゃんは、もう食べ終わっちゃったんだね」
「そうだね、そろそろお暇しようと思ってね。まあ夜は一緒に食べればいいさ」
残念だなと思っていたら、お婆ちゃんからそう言ってくれた。前に来てくれた時に、ごはんを一緒に食べるくらいすれば良かったと思っていたから、すごく嬉しい。
「立ってないで、座ったらどうだい? ええと、あなたは知らない友だちだね」
「早瀬です」
食堂のテーブルは、八人で座れる大きな物を三つ連ねて列にしてある。
お婆ちゃんの対面に座った私の隣には、祥子ちゃん、純水ちゃん。司さんの隣には、音羽くんと早瀬くんが着いた。
座った中で両端になったお婆ちゃんが、反対の早瀬くんの顔を覗く。それから視線を少し手元に戻して、音羽くんを見た。
「音羽くんは、店はどうだい? 言乃は役に立っているのかねえ」
「はい、すごく助かってます。客からも、評判がいいみたいですよ」
それは良かったと言ったあと、お婆ちゃんは音羽くんの顔を眺め続けた。表情は柔らかいけれど、あれでは緊張してしまうだろう。
「あの……なにか」
「いいえ。可愛い顔をしているから、見ていたくなっただけだよ」
「は、はあ……」
まさかお婆ちゃんがライバルに。なんてことは、さすがに思わない。
音羽くんは私に対して、お芝居から離れるとまだぎこちない。それを見てしまったら、私も同じようになる。
この短い時間でも、そういう部分があった。もしかすると、それを見てのことだろうか。
私としては、そんな風ではあっても、先日のようにどこかへ居なくなってしまうわけじゃない。私に探してくれるなと、言うわけじゃない。
話せるだけでも、満足だ。
「さて、そろそろ行くとするかね」
「どこか観光でもするの?」
「それもいいんだけれどね。まずは、言乃の家だよ」
そうだった。お兄ちゃんと、話すことがあると言っていた。
お兄ちゃんのお仕事がどうなっているのか、私はあれから全く聞いていない。
心配だろうけど、方向が見えたら言う。とお兄ちゃんは言っていたから、信じて待つしかないのだ。
お婆ちゃんと司さんが行ってしまうと、純水ちゃんが祥子ちゃんに聞いた。
「ケイ出版だっけ。あの話はどうなったの?」
「分かんない。お父さんなら、なにか聞いてるかもしれないけど。連絡をつけただけだしね」
私も問われたけれど、よく分からないと答えた。ケイ出版のお仕事を、まだやっていないのは間違いない。
だからとそれが断ったとは限らないし、私が憶測で勝手なことは言えなかった。
「織紙」
「えっ、あっ、はい!」
突然。
あまりにも突然に、音羽くんから呼ばれた。手を添えていたうどんの器を、ひっくり返しそうなほど慌ててしまう。
「あ──ごめん。あのさ、今日、学校終わったら、付き合ってくれないか?」
「つ、つき。つきあ……付き合う、の?」
「ああ。一緒に行ってほしいところがあるんだ」
付き合うというのが、男女交際を指していないのは分かっていた。でも言葉としては同じだから、意識しないのも無理だ。
勝手に舞い上がって、みんな見ている前でこんなになってしまうことが、恥ずかしい。
「どこ行くの? 二人?」
「そうだな。あんまり大勢で行くと、迷惑になるから」
「そうなんだ?」
祥子ちゃんは、隙あらばからかおうとしたのだろう。でもなんだか神妙な雰囲気もある音羽くんに、そうも出来なかったみたい。
どこへ行くのか分からないけれど、そんな態度になる場所なのにと思うけれど。
二人でという言葉が、嬉しいと感じてしまう。そんな自分が、はしたないと思う。
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