第107話:二人

 最初という緊張にドキドキして。たくさんの人から見られることにドキドキして。好きな人へ、大胆なセリフを言うことにドキドキした。

 最後に出演したみんなで、お客さんにお辞儀をするのも隣同士だった。主役同士だから当たり前なのだろうけれど、それも嬉しい。

 頭を下げながら、横目で見たりして。いいなって。好きだなって思う。

 そんなことをしている自分に照れても、誰かに知られる心配はない。


 と、思っていたのに。

 その視線が、音羽くんと合ってしまった。何秒間かの、私の自己満足だったのに。そんなところを見られてしまった。慌てて目を逸らして、しまったと思う。

 これではますます変だ。なにかやましいことをしていたのだと、知らせたようなものだ。

 なにもなかった、と。取り繕った顔で、お客さんを見る。音羽くんも前を向いているのだから、全く意味はない。

 それでも、焦った気持ちを落ち着かせるためには必要だった。


 ふと、客席によく知った顔があることに気付く。お婆ちゃんと、司さん。わざわざまた、東京から来てくれたんだ。

 たしかに文化祭のパンフレットと、名作カフェのチラシを送った。でもそれは「こんなことをするんだよ」という報告のためだ。

 遠いのに、来てくれるなんて思っていなかった。嬉しかった。

 お芝居をするのは、一つの演目について二十分から三十分ほど。合間に十五分の休憩を挟んで、一日で十演目を全部見せる。

 そのために、カフェの店員さんも含めた配役には気を遣った。一人がずっと動き続けたりしないように。ある程度、まとまった自由時間も作れるように。

 だから忙しい時には、少しばかり慌ただしい。ステージを下りて、そのままお婆ちゃんとお話する間はないくらい。


「バタバタだねえ」

「そうなの。でももう平気」


 そうは言っても、店員さんの服に着替えるだけだ。着替えてしまえば、少しくらいお客さんと話しても問題ない。


「来てくれるなんて聞いてなかったから、びっくりしちゃった。でも嬉しい」

「綴葉に話さないといけないことがあったからね。まあせっかく来たなら、言乃の芝居くらい見ておこうと思ったんだよ」


 うっすら微笑んではくれるものの、お婆ちゃんの返事はそっけなくもあった。


「あちらを出る前には『綴葉のことは好きにさせればいい。孫の晴れ舞台を見ないなんてことが、あるものか』と、仰っていましたよ」


 司さんの発言を、お婆ちゃんは聞こえていない振りでやり過ごす。「やあ、それなりに盛況じゃないかい?」なんて。

 つまりきっと、お兄ちゃんのことも私のことも、同じくらい気にしてくれている。そういうことなのだろう。

 両親が亡くなったあと、ずっと案じてくれていたと聞いていたけれど、本当なんだなと実感できる。


「何泊かするんですか?」

「ええ。しかし今回は私しか来ていないので、ホテルを確保しました」


 司さんは、またうちに泊まるのかと思った。でもそうではないらしい。

 お婆ちゃんと二人なら、身の回りのお世話をする必要がもちろんあるのだろう。それがこの人の仕事だから。

 二人はお茶を飲んで、ケーキも食べて、次の演目が始まるころにどこかへ行った。高校とか文化祭とか、そういう雰囲気を堪能してくると言っていたので、楽しんでくれているみたい。


 私はそのまま、午前中をずっと店員さんとして過ごした。

 お芝居が始まると、お客さんの注文は減る。だから楽しみにしていた、午前中最後のお芝居も楽しむことが出来る。

 題名は、カーミラ。ヴァンパイアものの作品としては、とても古い。代名詞ともなっている、ドラキュラに多大な影響を与えたとまで言われる。


「あれは今から八年前のこと。私は恐ろしい体験をしました。お城の前で倒れた馬車。そこに乗っていた世にも美しき少女を、我が家で預かることになった。あの醒めた月夜の晩から、それは始まったのでした」


 動画で見せてくれた時も上手だったけれど、あれから祥子ちゃんもたくさん練習した。

 闇が迫るごとに襲う、血も凍るほどの恐怖。それでも囚われずにはいられない、ヒロインのローラ。

 天真爛漫で、城に一人で居る寂しさを抱えた彼女。その堕ちていくさまを、祥子ちゃんは艶やかに演じる。

 相手は、吸血鬼カーミラ。妖しくて、気高い。人の域には、どうしたとしても留まらないほどの美しき女性。

 吸血鬼であることは隠して、見初めたローラを彼女は口説き落とす。


「ねえ、あなた。ここへ座りなさいな。私の隣に、ぴたりと。手を握ってくれるかしら。ぎゅっと――ぎゅっと。もっと、ぎゅっとよ」


 冷えた声に潜む、狂おしいほどの感情。カーミラの呼びかけに、ローラは屈する。「あなたは私の手を荒々しく握るけれど、それはあまり好きじゃないわ」そう言いながらも、繋がった視線を外すことが出来ない。


「私はね、あなたの中に生きているの。だからあなたは、私のために死ぬの。それほどに、私はあなたを愛しているの。誰にも奪われたくないわ」


 互いの手を、それぞれの胸にあてがうカーミラ。二人の唇は、吸い寄せられるように、そうなることが決まっているように、重なり合う。

 激しい想いを、あえて静かに語るカーミラ。演じるのは、純水ちゃん。


 そしてカーミラは正体がばれて、滅ぼされてしまう。原作ではローラがどういう感情を抱いていたのか、最後まで描かれない。

 そこに私は一つ、ローラのセリフを挿入した。


「あなたは私の中に生きていると言ったけれど、そうは思わない。私はいつまでも待っている。現実のあなたが、迎えに来てくれる日を」


 演劇部の人とか、きちんとお芝居を習った人と比べれば、それほど上手ではなかっただろう。

 でも私には、言葉で言い表せないほどのなにかが、心に届いた。吸血鬼だからだろうか。熱い血潮を全身で浴びたような、火照った空気に晒される。

 お客さんもそうなのか、たくさんの拍手が鳴り響く。その中を主役の二人は手を繋いで、お辞儀した。


 着替え用のついたてに消えた二人を、私は追わなかった。感動したよと言いたかったけれど、まずは二人で成功を分かち合いたいだろうと思って。

 二人が「良かったね」と。「お疲れさま」と、目を合わせるだけの時間はあげたい。私はそのあとでいい。

 目を合わせる以上には、時間をあげない。


 私も遅れて着替えを済ませて、同じく着替えた音羽くんと早瀬くんの二人と合流する。文化祭実行委員会に、私たち五人が呼び出されているから。

 こちらの都合がいい時間でいいと言われたので、この時間を指定したのは純水ちゃんだ。用件は聞いていない。

 普段は主に、先生たちの使う会議室。臨時で実行委員会の控室となっている部屋に着いた。

 先日の印象からは、門番でも立っているような物々しさを想像していたけれど、さすがにそんなことはない。


「失礼します」

「お邪魔しまーす」


 先頭の二人が言ったので、五人全員がなにか言うのもうるさいかなと遠慮した。私は頭を下げるだけで、部屋に入る。

 中に居たのは、三人だ。委員長さんと、副委員長さん。それから、夏目先生。


「忙しいのに悪いね。芝居、見せてもらったよ。よく稽古したね」

「えー、見ただけですかー?」

「コーヒーもいただいたよ。おいしかった」


 全員が椅子に座るまでの、雑談というところだろう。でも先生は苦笑しつつ、再来店で使える券をひらひらと示した。「ありがとうございます」と言ったのが私だけで、少し恥ずかしかった。

 落ち着いたところで、おもむろに委員長さんが話す。


「わざわざ来てもらって申しわけない。今回の件を、謝りたかったんだ」

「え──ああ、そうなんですか」


 今度はなんの文句を言うつもりかと、純水ちゃんは警戒していた。それがどうも肩透かしの形になるようで、きょとんとした顔をしている。


「はっきり言ってしまうと、僕がこの立場に立候補したのは、内申点のためだ。だからうまくやらなきゃいけないと思ったし、出来ると思った」

「ぶっちゃけましたね」


 先生の前でそんなことを言っていいのか、表情を窺ってしまう。でも先生は特に顔色を変えないし、副委員長さんも申しわけなさそうにしているだけで、慌てた感じはしなかった。


「開き直って見えたらすまない。謝るには、事情の説明が不可欠だと思ったんだ。そういうことだったから、ミスを認められなかった。すまなかった」


 そこで委員長さんと副委員長さんが椅子から立って、頭を下げる。これになんと答えたものか。私たちは誰も、咄嗟に言葉が出ない。

 ちょっとした間があって、とりなすように夏目先生が口を開いた。


「してしまったことは問題だし、心得違いもいいところだ。ただまあ──間違っていながらも、自分のために頑張ろうとした結果なんだ。許してやってはもらえないかな」

「いや許すって──」

「うやむやにしないために、立ち会ってほしいと言ってきたのは彼らだ。君たちには不公平だと感じるだろうけど、僕に免じて許してやってほしい」


 夏目先生までが頭を下げた。

 私は妨害みたいなことがなく、名作カフェをやりたかっただけだ。もしもこの件がなくて、誰も行列のことに対処しなかったら、そのほうがまずいことになっていたかもしれない。

 むしろ今の形で営業出来て、とてもやりやすくなった。

 これはたぶん、みんな同じ意見だと思う。五人で顔を見合わせて、頷いた純水ちゃんが答えた。


「許すも許さないも、営業出来てるんだからいいですよ」

「そうか。ありがとう」


 三人がもう一度頭を下げて、話は終わった。

 これですっきり解決だねと祥子ちゃんが言ったりしながら、ついでにお昼ごはんを食べようと食堂に向かう。

 会議室からちょっと離れたところで、息を切らしながら追いかけてくる人に、私は気付いた。


「副委員長さん?」

「ま、待って──」


 たった今、「じゃあこれで」と別れたばかりの副委員長さん。彼女は立ち止まった私たちの前に来て、乱れた息を必死に整えた。

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