第105話:ちよをひとよ

「渡部さん、本当にここなのか?」

「そうですよ、何度も言ってるじゃないですか」


 待ち受ける私たちのところへ、詩織さんがやって来た。こちらへ来るのを渋っているらしい男子生徒を、後ろから押すようにして。

 その後ろを着いてくる、女子生徒も一人。きっと二人とも、実行委員会の上級生なんだろう。


「わざわざすみません、先輩」

「ええと、野々宮さんだったか。こちらは忙しいんだよ。こんな時間になって、なんの用なんだ」

「もちろん、あたしたちの名作カフェを営業するための相談ですよ」


 クラスの実行委員である純水ちゃんも、その二人を知っているらしい。こっそり聞いてみると、「男のほうが委員長で、女のほうが副委員長だよ」と教えてくれた。


「営業は禁止だと伝わってるはずだろう」

「それは行列と、待ち時間の問題だと聞きましたけど?」

「そうだ。行列で通行止めになるような状況を、作るわけにはいかない」


 威圧的と言うまでの態度ではなかった。でも、「分かっているならなぜ呼んだのか」というような、こちらへの配慮など感じられない雰囲気を隠す気はないらしい。


「問題はそれだけなんだよね?」

「なんだ君は」

「うちはクラスメイトですよー。委員でないと、質問もしちゃいけないの?」


 委員長はこちらの言い分を聞く前に、とにかくダメだと理屈抜きで押し切りたいようだ。

 話は聞きに来た。そこであらためて、営業してはいけないと納得させた。そう報告すれば、生徒会や先生も「なるほど」と言うだろう。


「そんなことは──」

「それだけなんだね?」

「そうだ!」


 祥子ちゃんはそれを察してか、委員長さんに会話の主導権を与えない。気の長いほうではないらしい委員長さんは、あっさり条件を確定させた。


「なら、話は簡単です。行列がどうこうって問題にならない場所で、営業すればいいんでしょ?」

「それはそうだが──」


 自信たっぷりに言う純水ちゃんに、委員長さんは気圧されつつあった。

 こんなことを言っては申しわけないけれど、自分たちのミスをその場の言い逃れで押し通した人だ。そもそも交渉には向いていないのかもしれない。

 副委員長さんも見ていられなかったのか、「私が」と前に出た。手にしたバインダーには何枚も紙が挟まっていて、手強そうな雰囲気がしている。


「行列が問題にならない場所。それは結構です。でも教室でない場所となると、他にチェック項目はありますよ」

「どんなのですか?」

「色々です。項目をいちいち言っていても長くなりますから、そこを見て判断します」


 祥子ちゃんが取り付けた、行列の問題さえ解消すればいい。というのは、なかったことにされてしまった。

 純水ちゃんも副委員長さんの言い分に少し不安を覚えたように、ちらと音羽くんを見る。彼はそれに、深く頷いて答えた。


「分かりました。じゃあ早速見てください」

「どこを? まさか屋外で営業するつもり?」

「まさか。数が決まってるんでしょ? 目の前のここですよ」


 全体的に丸みを帯びた形。三階建てにしては、高い屋根。私たちの立つ目の前にあるのは、我が校の誇る講堂だ。


「講堂で? なにを言っているの、スケジュールはいっぱいよ。それにステージでカフェなんか、出来るはずないでしょう」

「ステージじゃないですよ。ま、ここで話しててもですから、見に行きましょう」


 返事を待たずに講堂に入っていく純水ちゃん。副委員長さんは「どうしますか」と問いたげに委員長さんを見る。

 私たちが居なかったら、二人とも逃げてしまっているのかもしれない。


「ささ、行きますよー」

「分かってる。押すな」


 さっきの詩織さんと同じように、今度は祥子ちゃんが委員長さんを押す。

 そうまでされて立ち去ることが出来るはずはなく、委員長さんは覚悟を決めて講堂に立ち入る。すると副委員長さんも、着いていかざるを得ない。


「聞いては、いたが。当日までに整理、出来るの、かっ?」

「計画書では、問題──ありませんでした!」


 少し前に見た時よりも、置かれた物が増えている。どこかよそで作っていたか、ステージに運びこんでいたのを出したかだろう。

 密林に分け入っているような錯覚さえ感じるロビーの様子に、委員会の二人は辟易していた。


「見回ってないんですか? 現場のチェックがなおざりですねえ」

「余計なお世話だよ。それよりどこだと言うんだ」

「ここですよ? 正確には、この上の三階ですけど」


 純水ちゃんの自信は揺るがない。それでも二人は「はあ?」と声を揃えた。


「ここでどうやって営業するんだ。カフェやら演劇やらどころか、紙芝居だって難しいぞ」


 鼻で笑う態度。どうしてそんなことをするんだろう。先輩と後輩とはいっても、同じ学校の生徒なのに。

 管理する苦労はあると思う。でもそれだって、言うべきことを言うのにそんな態度である必要はない。

 みんなで楽しく、文化祭をやればいいだろうに。


「先輩。ちょっと聞いてみますが、クラブはなにかやってますか」

「今度はなんだ。誰なんだ」

「見ての通り、野々宮のクラスメイトですよ。質問もしちゃ──」

「ああ、分かった分かった。部活はやってない。帰宅部だよ」

「へえ、それでですか」


 聞いたのは音羽くんだ。ここまで全部。ここから先も、私たちは打ち合わせをしたわけじゃない。

 これだけは言わなきゃね。というくらいは話したけれど、誰がなにを言うか段取りを決めてはいない。

 それでもみんな分かっていた。必要なことは誰かが言うし、余計なことは誰も言わない。


「帰宅部が悪いかい?」

「いいえ、俺も帰宅部ですよ。でも俺と先輩が違うのは、趣味とかあまりないんだろうなって思ったんです。もしかして、勉強ばかりしてます?」

「だから、それが悪いのかと聞いているだろう」


 私たちの学校には、普通科と進学科がある。進学科は希望の大学に行くためのカリキュラムが組まれていて、私たちの県ではそれなりに有名だ。

 勉強しか取り柄がないとか、そんな風に受け取ったのだろうか。委員長さんの態度が変わって、少しばかり怒りを感じる。


「勘違いしないでください、俺との違いを言っただけですよ。それが悪いなんて、一言も言ってません」

「じゃあなんだ。なにが言いたい」


 イラっとしたのを、抑えているのかもしれない。委員長さんは眉間を手で揉む。

 周りにあるのは、誰かが一所懸命に作った物だ。イライラをそちらにぶつけなければいいけれど。


「ウチの学校は、文化系の部活が強いの知ってますよね」

「それくらいは知ってる」

「吹奏楽が全国レベルなんですが、軽音楽とか演劇部もいいところまで行ってます」

「それも知ってる。だからなんだ」


 音羽くんがなにを言おうとしているのか、私にも分からない。たぶん純水ちゃんや祥子ちゃん。他のみんなも。


「コンテストって、時間制限が厳しいんですよ。一秒でもオーバーすると、審査対象外です」

「減点とかじゃないのか。それは厳しいな」

「でしょ? その時間には、持ち込んだ物の設置と撤去の時間も含まれます。だからこういう物は──」


 すぐ傍にあった資材のひとつを、音羽くんは軽く叩く。木と紙で作られた空洞が、ぽんと小気味のいい音を鳴らした。


「おそろしく軽く出来てるし、頑丈で、片付けるのにも場所をとらない」

「──そうは見えんが」

「だから趣味とかないんだろうなと思ったんですよ。プラモとか作ってたら、言わなくても分かる。乾かす時間が、数日単位でかかるくらいのことはね」


 私も読書以外には、趣味という趣味がない。だから委員長さんの心情に近かっただろう。

 でも今の話で分かった。乾燥が終われば、ここはすっきり片付くと。


「……そうか」

「じゃあ、上に行ってみましょう」


 委員長さんも副委員長さんも、言葉が少なくなった。純水ちゃんと音羽くんの二人が、話術の巧みさでも、理屈でも、自分たちでは敵わないと悟ったのだと思う。


「三階です。そのいちばん奥で、営業しようと思ってます」

「見てみます」


 副委員長さんが、手元の資料を見ながらあちこちチェックしている。委員長さんは少し離れて、その様子を見守る。

 それは多少の時間がかかったけれど、副委員長さんが真面目に見てくれているのは、なんとなく分かる。


「この三階ロビーは一階よりも広く、よほどの人数を押し込まない限りは、人員的な問題は起きないでしょう。

 防災面でも、直火以外での調理ならば問題ありません。空調は他のどこよりも充実しています。

 あとは電源管理の問題ですが……」

「この講堂は、地方大会の予選にも使われます。待機室もありますけど、とても入りきりません。となると出場者は、ここか二階のロビーで準備をします」


 まだ音羽くんの説明は続くようだった。でも委員長さんが、手で制する。


「もういい。アンプとか、電気系の装置がたくさんあるのも知ってる。ホットプレートやコーヒーメーカーを少しばかり使ったくらいで、問題のあるはずもない」

「じゃあ……」


 期待を込めた声を出したのは、祥子ちゃんだ。純水ちゃんと手を繋いで、神妙な顔で返事を待つ。


「営業に問題は認められないと、生徒会には報告する」

「営業しても、いいんですね?」

「生徒会の承認待ちだがな。しかし、却下されることはないだろう」


 みんな息を飲んだ。いいんだよね、喜んでもいいんだよねと、確認し合うように目と目が合う。


「やった!」

「やったねー!」


 純水ちゃんが言って、祥子ちゃんも言った。それから他のみんなも、続けて声を発する。

 私はなんだか力が抜けて、小さく「良かった」と言えただけだ。


「でも」


 みんながひとしきり声を出して収まったころ、副委員長さんが言った。今度はなんだと、警戒の視線が彼女を襲う。


「これ以上なにもないわ。でもここでカフェをやっていると、お客さんが気付くかなとね。気になっただけよ」

「そうだな……看板を出しても、講堂の前は他にもたくさん置くことになってるしな」


 これは思わぬ罠だった。教室で音羽くんが言った中にも、この懸念は含まれていなかった。

 罠と言ったって、委員会の二人が用意したわけじゃない。これを言ってくれたのは、むしろ親切だっただろう。


「ああもう、まだあるのか」

「考えなきゃね」


 純水ちゃんたちがそう言って頭を掻く中、「問題ない」と言ってのける声があった。


「俺に考えがある。任せてくれ」


 音羽くんは、洋画の登場人物みたいに言った。右手を拳に握って、親指の腹を見せながら。

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