第103話:あまくものよそ
私たちのクラスが文化祭でやるのは、名作カフェ。
とても有名だったり、名作と呼ばれている物語でも、誰もがその内容を覚えているかというとそうでもない。
そんなお話ばかりを選んで、短い時間でお芝居をする。
それをお客さんには、軽食や飲み物を提供しつつ楽しんでもらう。
そのお芝居の一つを、私も演じる。題目は『伊勢物語』だ。作者は不詳。つまり分からない。
成立したのは平安時代で、
タイトルの割りに、
「背比べをしましょう。今日も私のほうが高いに違いないわ」
「前に測ってから、どれだけ経ったと思っているんだ? 今日は──今日は、なんだっけ?」
私の書いたシナリオの、最初の場面。幼い子どもたちが、遊んでいるところ。
相手の男の子が、セリフを忘れてしまったらしい。手放していた台本を、慌てて読みに行く。
「今日は僕のほうが高いに決まってる、だよ。どうした? 昨日は覚えてたのに」
「いや昨日はさ、後半のセリフが怪しかっただろ? それでゆうべ、そっちばっかり読み直してたんだよ」
「それで今度は前半が飛んだのか? しっかりしてくれよ。演技はそれで問題ないからさ」
悪いなと言いつつ、たぶんその前後も読み直しているんだろう。男の子は台本のページをめくっている。
「織紙はセリフを覚えてるみたいだけど、もうちょっと感情が欲しいな。棒読みすぎる」
「あっ、ご、ごごごごめんなさい!」
「いやそんなに謝らなくても……」
演技に指摘をしてくれているのは、音羽くん。演出家を志望しているだけあって、私がやっていたみたいに、ふんわりとしたチェックではなかった。
直すべきところははっきり言って、それでいて良かったところも褒めてくれる。これならみんな、うまくやろうと思ってくれるだろう。
「よし、今度は完璧。最初から頼む」
「あいよー。織紙もいいか?」
「はいっ」
今日は水曜日。文化祭は土日で行われるから、準備出来るのはあと三日しかない。
例の委員会からの難題にどう対応するかによっては、それだけでたくさんの時間を使うかもしれなかった。
だから早く準備が終わるなら、そのほうがいい。みんな少しの焦りを持ちながら、頑張っていた。
「我が妻は、あのように化粧をして。やはり別の男と……」
「別の男と会っておるのやもしれん、だよ。後半も怪しくなってるじゃねーか!」
「悪りい!」
演じるタイトル数は、十個ある。日本のお話が四つ。西洋のお話が四つ。中国のお話が二つ。
ここまで見ている限り、音羽くんはどのお話も、ちゃんと中身を理解してくれている。あらすじをねじ曲げたりはしていないけれど、かなり端折っているものもあるのに。
しかも台本は脇に置いているだけで、ほとんど見ていない。書いた私だって、聞かれると不安で読み返してしまうのに。
「普通に話せてるね」
伊勢物語の時間は終わって、次の題目の順番になった。周りの誰にも聞こえないように、純水ちゃんがこそこそと話しかけてくる。
「うん──お芝居のことしか、話してないけど」
「休憩時間には話さなかったの?」
「そういうタイミングがなかったし、なにを話せばいいか……」
「そっか。まあ、あたしが聞いてからのほうがいいだろうしね」
普通にお話どころか、稽古以外では目も合わせていない。
彼の姿を見ただけで、今日の私はその場に立ち竦んでしまう。どんな目をして、どんな顔を向ければいいのか分からない。
そうやって先に目を逸らしてしまうから、私も彼がどんな顔をしているか分からない。
もしかしたら嫌な印象を与えているかもしれないと、また別の心配まで生んでしまっている。
「コトちゃん、手直し終わったよ。最終チェック出来る?」
「えっ、もう出来たの?」
「出来たよー」
金曜日は、一日全部を使って準備が出来る。その日にはなんとかなるというスケジュールだった道具類のうち、建物や植え込みなどの大道具は、今朝の時点でほとんど完成していた。
「これは──ああ、カーミラのやつだね。こっちは
「よく見ただけで見分けがつくねー」
昨日、純水ちゃんが帰ったあと。祥子ちゃんは考えた。私も純水ちゃんも居ない中、予定通りにやっていていいものかと。
その通りに進まなかったら、それはもちろん困る。けれども私が一日休んだだけで、また登校出来るかは分からなかった。
様子がおかしいからと純水ちゃんが来たくらいだから、それどころではないかもしれない。
それなら予定よりも、だいぶん先まで進めたほうがいいのではと。なによりそのほうが、自分らしくて格好いいのではないかと。
祥子ちゃんには、他の誰にも出来ない特技がある。それは学校中のどのクラスにも、たくさんの友だちが居ることだ。
同じ一年生だけでなく、二年生にも三年生にも。彼女はその縁をフルに使って、美術部や工作部の人たちをかき集めた。
自分たちの教室を当日の待機室にしか使わないクラスに頼んで、作業場所も確保した。
十人以上の人数を集めて、しかも全員が高い制作スキルを持っている。私たちのクラスの道具係をしてくれる人と力を合わせれば、あっという間だったそうだ。
「持ち運びもしやすくなってるし、言うことないよ。すごいよ祥子ちゃん」
「祥子、ありがと」
「えへへー。作ってくれた人たちが、すごいだけだよー。うちは頼んだだけ」
「そんなことないと思うけど。でもいいよ。とにかくありがとうなんだよ」
これで道具係の人たちは、衣装係の人と協力する必要のある、小道具に集中出来る。
もうよほどのことがない限り、間に合わないなんてことはないだろう。
「さて、残るはこれだね」
「どうすればいいんだろうね……」
「来てくれた人にはもう一回聞いたけど、やっぱり無理っぽいー」
見取り図を何回見ても、お芝居とカフェを同時に出来るようなスペースは見当たらない。
「二人とも、今すぐやることはないよね。自分の目で探しに行ってみようよ」
「そうだね。見落としてるところがあるかも」
純水ちゃんが提案して、祥子ちゃんも私も断る理由はない。
少し前に買い出しから戻ってきた早瀬くんと、まだ稽古に付いている音羽くんに断って教室を出た。
どんな場所があるのか、分からないところなんてないと思える一般棟。それでも万全を期すために、全て回ってみる。
「コトちゃん。緊張しなくてだいじょぶだよ。話せてるよ」
その道中、黙っている必要は全くなくて、我慢しきれないという様子の祥子ちゃんが言った。
昨日、純水ちゃんと話したことは、今日のお昼休みに彼女にも伝えた。
最初の感想は「えー、あーちゃんだけずるい」だったけれど、「でもまー、勢いって大事だよね」とも言ってくれた。
「うん。でもお芝居のことだからだし、話しかけてくれてるからだし」
「なんにも出来ないよりいいよー。無視しちゃう感じになったら、最悪でしょ?」
「それはそうだけど──」
「にしても、音羽はなんなんだろうね。普通に稽古してくれちゃってさ。自分が不自然だった自覚くらい、あるだろうに」
それは私も、思わなくはない。
純水ちゃんは「コトに気を遣わせてさ」と怒ってみせてくれているけれど、それとは少し違う。
やはり音羽くんは、私を避けていたのだと思う。でないと早瀬くんが、一人であそこに待っていた理由がない。
それが今日は、お芝居の話だけではあっても、至って普通に話してくれる。私には、それだけなにか考えていることがあるように思えた。
自分の態度が変でも、気にしていられないくらい。もしくは、変だと気付くことも出来ないくらい。
「体育倉庫の裏──」
「なに?」
「体育倉庫の裏がね、結構広いの。あそこじゃダメかな?」
「ああー、あそこねー。長細いけど、カフェには逆にちょうどいいかもねー」
「そうなの? 行ってみようか」
昨日の早瀬くんを思い出したおかげで、気付いた。
これで解決かも。と思ったのだけれど、着いてみるとすぐにダメだと分かった。
「入り口の狭さは目を瞑るとしても、ダメだね」
「そうかなー。秘密基地っぽくていいと思うけど」
「天井がないでしょ」
「あ、そうだった──」
露店形式は数が決められていて、それはもう限界に達している。聞いていたのに、うっかりしていた。
「ごめんね、ちゃんと考えなきゃ」
「いやいやー。こういうのは、思いついたのをどんどん言ったほうがいいと思うよー」
「あたしもそう思うよ。自分ではダメだと思っても、あとの二人が改善する案を持ってるかもしれない」
「そ、そうだね。分かった、もっと考える」
露店の数が問題なら、どこか辞退があれば私たちにも順番が回ってくる。
早速それを言うと、「そうだねー、教えてくれるように詩織ちゃんに言っておくね」とすぐに、祥子ちゃんは連絡を取ってくれた。
移動したついでに、体育館にも入ってみる。
「観客のことまで考えると、空きスペースはないね……」
「だね」
下足室とステージ。ステージ袖。それ以外は仕切りのない一つの空間である体育館は、やはりそこでしか出来ない催しに使われるべきだろう。
隣の食堂も広いけれど、やはり現実的でない。
そこから外の建物として最後に、講堂を見た。入り口のロビーを入ってすぐに、完成した大道具や資材で溢れている。
「うわ、迷子になれそう」
「なれそうって」
おかしな表現だけれど、それはそうと思える。背の高い物もたくさんあって、奥のほうに行くと、どちらが出口かも分からなくなりそうだ。
入り口の扉に貼ってある演目の表を見ても、スケジュールはいっぱいだ。そもそも座席やステージで、カフェを営業するのも無理がある。
ここも体育館と同じく、ここでしか出来ない出し物に譲るほかない。
特別棟の各教室にも、準備物がたくさんあった。それぞれ程度の差はあるけれど、聞いていた通りになにもしない所はなさそう。
祥子ちゃんは一つひとつ部屋ごとに、そこに居る友だちを呼んで聞いてくれた。例えば教室を半分に区切って使うとか、そういうことも出来ないかと。
けれども返事は全て、芳しくない。申しわけなさそうに断る人たちに、気にしないでと言う祥子ちゃん。見ている私のほうが、神経をすり減らしそうな気分になる。
「どうしよう……みんな頑張ってるのに、対策がないよ」
「困ったねえ……」
私たちの教室に戻る途中。階段の踊り場で、純水ちゃんは立ち止まった。
遅くとも今日か明日には、対策を委員会に報告して、クラスのみんなにも伝えないといけない。
委員会の判断の時間も考えると、明日の朝くらいがタイムリミットだ。あたしがどうにかすると宣言した純水ちゃんは、気が気でないだろう。
それなのに、私の応援ばかりしてくれて……私のために昨日一日を潰させてしまった。
目の前にあるあれもこれも、どうして困りごとは一度にやってくるのか。自分の無力さに、唇を噛んだ。
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