第102話:としにまれなるひと

「どうしたの? やっぱりおかしいよ。なにかあったんでしょ、昨日」

「昨日は――なにもないよ」

「嘘だよ。音羽を探しに行って、帰ってきた時からおかしかった。なにを話しても、『うんいいよ』しか言わなかった」


 話したい。私の気持ち。どうすればいいのか、なにを言えばいいのか、まるで分からない。だから、聞いてほしい。


「行き先を聞いたんだけど、早瀬くんは教えてくれなくて。音羽くんがなにかしてて、でも私には分からなくて……」

「うん、それで?」

「探したの、あちこち。見つからなくて、詩織さんにも聞いて。でも会えないの」

「ん──と、音羽がコトを避けてるってこと?」


 避けているという言葉が、とても悲しかった。寂しかった。

 だから思わず、「うん」と答えてしまった。


「──あいつっ!」

「ち、違うの純水ちゃん!」

「ええ?」


 落ち着いて。落ち着かなきゃ、なにも伝わらない。そう思うのに、息苦しさが増すばかり。

 ふう。ふう。

 意識して息を吐いて、そこへ新しい空気をたくさん吸い込んだ。ちゃんと言おう。


「音羽くんは、悪くないんだよ。私が、勝手に──」

「勝手に?」


 あれだけ吸った息が、もう涸れた。

 ダメだ。これじゃあダメだ。きちんと言わないと、言葉にしないと分からない。それにはまず、純水ちゃんと向かい合わなきゃ。


「大丈夫?」

「うん──全然平気、だよ」


 体を起こすと、頭の痛みが思い出したかのように刺さり始めた。でも起きた時に比べれば、随分とまし。


「純水ちゃん。私、聞いてもらいたいの」

「もちろんだよ、なんでも言ってよ。そんな、あらたまる必要もないよ」

「純水ちゃんは、祥子ちゃんのことを私に話してくれた。だから私も聞いてほしいの。どうすればいいか、教えてほしいの」


 薄く笑いながら、優しく聞いてくれていた純水ちゃん。その顔が急に引き締まった。

 目を見張って、口元がきゅっと結ばれて、どうやらあぐらをかいていたらしい脚も、正座に直った。


「うん、聞きたい。どんなことでも、あたしが絶対に助けてあげる。あたしだけでダメなら、祥子だってなんでもするよ。

 コトが頼ってくれるなら、あたしたちはなんだって出来るんだ」


 ずっと前からそうしろと言ってくれていたのに、やり方が分からなかった。

 私の親友は、とても頼りになる。


「──音羽くんに避けられるのが、つらいの。そうじゃないって思いたいのに、そうだったらどうしようって。

 偶然だって思いたいのに、どうしてこんな時に気付いたのか……。

 要領が悪いなって、私」

「うん」


 純水ちゃんの返事は、短かった。私が悪いと肯定して、責めているのでないのは分かる。

 まだ足らない。私はまだ、なにも相談していない。


「どうしたらいいのかな。私、音羽くんになにか言えばいいのかな。なにかすればいいのかな」

「違うよ、コト」

「ちが──う? なにもしちゃ、いけないの?」


 真っ白。

 頭の中が、真っ白だ。大きく開かれた純水ちゃんの目に、溺れそうになる。周りのなにもかも、机や、棚や、タンスとか、雑多な風景が消えてしまう。


「そうじゃない」


 ゆっくりと、純水ちゃんの首は横に振られた。私は操られるように、コクンと頷く。


「コトは、どう思ってるの? 音羽に言いたいこと。いちばん伝えたいこと。たった一つだよ。それ以外にないことが、あるでしょ?」

「好きなの。純水ちゃんが、祥子ちゃんを想うみたいに。私も好きなの」

「分かった」


 純水ちゃんの長い両腕が伸びて、私を包む。頭の後ろを撫でられて、ぎゅっと温かい。

 喉や、胸の奥。お腹の底に詰まっていた、邪魔ななにかが溶けていく。

 しばらくそのまま、純水ちゃんは私を抱きしめてくれていた。どれくらい経ったのか、私を解放しつつ、おもむろに彼女は言う。


「音羽ね、今日はずっと教室に居たよ」

「そうなんだ……」

「コトが休んでるの、気にしてたみたい。そうとは言わないけど、コトの席を見てるところ、何回も見たよ」


 だから、避けられているわけじゃない。そういう意味だろうか。

 そうなのかもしれない。そうじゃないかもしれない。純水ちゃんの言うことは信じるけれど、それだけでは分からない。


「昨日はなにしてたのか、聞いたんだよ。コトがそんな風に思ってるのは、知らなかったから。普通に、なにサボってるんだってね」

「気付いたのは、ゆうべだよ。突然だったの。そうなんだ、って」


 なるほどね、と嬉しそうな純水ちゃん。その表情のままでは話しにくいみたいで、咳ばらいを一つ。


「役に立てるかと思ったけど、ダメだったって言ってた」

「場所のことで、なにかしてくれてたのかな」

「そうだと思うけど──」

「なにかは言わなかったの?」


 純水ちゃんは頷いた。

 彼女に任せるとなったのに、勝手に動いて、あえなく失敗した。そんなことを恥ずかしくて言えない。

 音羽くんはそう言って、謝ったそうだ。


「その代わり、今日はコトの居ない分も頑張るって。芝居の稽古が、随分進んだよ」

「そうなんだね。すごいね」


 それで引き換えになるのか、純水ちゃんの評価は知れなかった。私はその代わりなんて、必要ないように思う。

 私もこうして休んでいるように、やろうとした通りになにもかも進むのではないから。


「コトはもう、セリフ覚えてるんだっけ?」

「覚えるだけは覚えたよ。言うのは難しいね」

「なんなら──相手を音羽に替える?」

「それはダメだよ。他の人もみんな、自分の役目を頑張ってるんだから」


 ぷぷっと、純水ちゃんは吹き出す。

 どうしたのか聞いたけれど、「ごめんごめん」とだけ言って答えてくれない。


「そうだね、もうみんな動き出してるもんね。誰か一人の希望だけで、動かせないよね」


 ひとしきり笑ったあと、純水ちゃんは顔をすました。「話を戻すけどさ」というのは、音羽くんへの私の気持ちのことだろう。


「どうするのが正解かは、分からないよ? コトも分かってるとは思うけど」

「うん」

「そうだねえ、はっきり言えるならそれがいいけど……」

「けど?」

「今はタイミングが悪い気がするね」


 いい機会とは、あるだろう。うまく行くように見計らってとかいう前に、相手のコンディションが悪くない時がいい。

 それはこういう話に限らず、きっとなにについてもそうだ。


「いつがいいのかな」

「うーん、なんか落ち込んでるっぽいから、それが解決するまで?」

「私のせいで落ち込んでたら、解決しないよね……」

「それなんだよ。それをどうするかっていうと──」


 視線が一旦、私から外された。黒目がぐるりと円を描くように動いて、また私のほうに戻ってくる。


「あたしが聞いていい?」

「そんなこと、頼んでいいのかな……」

「コト?」

「あっ、ううん。ごめんなさい。でも、恥ずかしくて言えないって言われたんだよね?」


 落ち込んでいるのが昨日の続きだったら、なにをしていたのかも同じ話なのだろう。

 けれど同じことを何度も聞くのは、音羽くんが本当に嫌だとしたら、申しわけない。


「そうだけど、コトの気持ちを知らなかったから。そうとなったら、聞き方も違ってくるよ」

「そういうものなの?」


 絶対に大丈夫とは言えない。でもどうにか、聞き出してみせる。純水ちゃんは、覚悟を決めた風に言う。


「だから任せてくれる?」

「──お任せします。お願いね、純水ちゃん」

「任されたよ。コトの初恋だもんね。高校生になって、やっとの恋。あたしが失敗なんてさせないからね」


 にっ、と笑う顔が頼もしくて嬉しい。けど、そう何度も言われると恥ずかしい。いまさらに顔が燃えだして、布団に顔を埋めた。

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