第99話:ぬすびと

 特別棟の窓からは、学生寮に向かう小道のほとんどが見える。けれどそこに、音羽くんの姿はない。

 じゃあ、どこに居るのだろう。いくら考えても、なにも思い浮かばない。私は音羽くんのことを、なにも知らない。


 分からないことは、分かる人に聞けばいい。これも私は、みんなから習った。なにもかも、自分だけで考える必要はないと。

 ポケットから携帯電話を取り出して、住所録を──あった。

 電話をかけると、すぐに相手が出てくれた。


「もしもし。言乃ちゃんからかけてくれるの、初めてだね」

「詩織さん、もう会議は終わってますか? ちょっと教えてもらってもいいですか?」

「だいじょぶだよ」


 文化祭の準備が本格的になってから、詩織さんと顔を合わせることも増えていた。だからいつだったか、少し前に連絡先を交換していた。


「ええと、いま急いで音羽くんを探していて。たぶん早瀬くんと一緒に居ると思うんです。行き先に心当たりがないですか?」

「ええ? 行き先かあ──」


 先に戻ると言っていたはずなのに、早瀬くんは居なかった。私が音羽くんから遅れたのも、そんなにたくさんの時間じゃない。

 だとすると、音羽くんが早瀬くんを連れてどこかに行ったのではと考えた。


「屋上には居なかったの? うーん、それなら……体育倉庫の裏かな」

「体育倉庫ですね、分かりました。ありがとうございます」

「いいよー。私も探そうか?」


 行ってみて居なかったら、頼むかもしれない。まずはそう言って断った。

 それにしても体育倉庫の裏か。倉庫の前なら何度も通ったけれど、裏には行ったことがないと思う。


 私たちの学校の施設は、どこも屋根のある通路で繋がっている。体育館に行くにも、靴を履き替える必要がない。

 体育倉庫は体育館の隣にあって、体育館の中からも通路からも出入りが出来る。そのまた隣には食堂があるから、踏み入らないことにはどんなところか見ることも出来ない。


 看板やらなにやらの工作物と、準備で活気づく人たちの間を縫って倉庫の前に。食堂との間は一メートルもなくて、なんとなく「部外者は立ち入り禁止」みたいな雰囲気を感じてしまう。


 迷っていても仕方がない。「ふうっ!」と息を吐いて、勇気を出して隙間を通る。

 鎖がしてあるでもなし、私はここの生徒なのだから、部外者でもなんでもない。

 誰に問われたわけでもないのに、心の中で言いわけを繰り返す。


「お──よくここが分かったな」

「詩織さんが、ここじゃないかって」

「なるほど」


 体育館や食堂に比べて、体育倉庫の奥行きは短い。その距離分の空き地が、敷地を囲むフェンスまで続いていた。

 倉庫のすぐ裏はコンクリートのたたきになっているので、ここまでならば上履きでも気兼ねなく来れる。

 どうやら知る人ぞ知る、安息の地になっているようだ。


「どうした?」

「音羽くんを探してて。早瀬くんと一緒に居るのかと思ったの」


 そこに居たのは、早瀬くんだけだった。

 音羽くんの名を出した時に、私がいま通ってきた通路に視線が動いたので、ひと足遅かったらしいと悟る。


「どうして?」

「音羽くんに聞きたいことがあるの」

「聞きたいこと? 文化祭のことなら、俺が聞くけど」


 どうしたんだろう。早瀬くんは、私が音羽くんを追うのを、止めようとしているみたいに見える。


「文化祭のことなんだけど──音羽くんに考えてもらわないといけないの」

「音羽にじゃないとダメなのか。別にあいつ、なにかの専門家とかじゃないけど。俺じゃ考えられないことって、なに?」


 言われてみれば、それはそうに違いない。

 また音羽くんにも聞くとしても、早瀬くんにも考えてもらうのは、いいかもしれない。

 ──いやダメだ。

 名作カフェを営業出来る、教室に代わる場所を思いつかないか。

 それを考えるだけならば、早瀬くんが言う通りに専門の知識なんて必要ない。音羽くんでなければダメだと言ったのが、意地悪をしたみたいになってしまう。


「ええと……」


 答えに詰まると、少しの間のあとに早瀬くんが吹き出した。やれやれというように頭を掻いて「だから心配ないって言ったんだ」と、意味の分からないことを言う。


「音羽でないと考えられないんじゃなくて、織紙が音羽に考えてもらいたいんだろ? なんだかは知らないけどさ」

「……うん。そういうつもりはなかったんだけど、そうみたい。ごめんなさい」

「いや、いいって。あるよ、そういうことは。俺も、どうしても詩織にやってほしいこととかあるよ。誰がやっても同じなのにさ」


 悪いことを言ったと恐縮する私を、早瀬くんは慰めてくれた。しかもそれはよくあることで、早瀬くん自身もそうだと言っている。


「そうなの? そういうものなの?」

「そういうもんだよ。織紙って、面白いな」

「え、ええ? 面白いの? 私が?」


 慰めてくれたり、面白いと言ったり。お話があちこちに飛んでいるように感じるのだけれど、早瀬くんはそうでもないみたい。

 まあ、面白くないと言われるよりも、よほどいいけれど。


「音羽がどこに居るかは知ってるよ」

「そうなの? 教えてもらえるかな、早瀬くん」

「それは無理」

「ええ……」


 今度は早瀬くんから、意地悪のお返しだろうか。ぶっきらぼうではあっても、そういう人じゃないと思ったのだけれど。


「どこでなにをしてるかは知ってるけど、教えるなって言われてるんだよ」

「音羽くんが?」

「そう」

「私に?」

「誰にもかな」


 ここまではっきりと断られたなら、もうどうにもならない。悪あがきで「どうしても?」と聞いたけれど、やはり肯定が返ってきた。


「そう──無理を言ってごめんね、ありがとう」

「いや。こっちこそごめん」


 近寄るな、と。言われたように思えた。

 私がなにかしてしまって、音羽くんに嫌われたんだ。

 脚が重い。

 どうしてだろう。なにをしただろう。

 他のなにも考えられないまま、私は行く当てもなく教室へと戻っていった。

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