第96話:にしのきょう

 どうしよう。

 今から詩織さんと一緒に行って、撤回を求めるべきだろうか。それともクラスのみんなに、意見を求めるべきだろうか。

 悩んでいる間、詩織さんを待たせるわけにもいかない。そうなると余計に考えがまとまらない。


「詩織。話は分かったけど、どうするのかあたしがすぐ答えられることじゃない。みんなで考えるから、いくらか待ってほしいって言っといてくれる?」

「分かった。なるべく時間を稼いでみるよ」


 来たときとたぶん同じに、詩織さんは小走りで帰っていった。際どいところまで上げているスカートから下着が覗きそうで、自分のことのように照れてしまう。


「考えるって、なにか案があるの?」

「それも今からだね」


 教室の中に戻りつつ、純水ちゃんは頭を掻いた。不愉快そうな顔で、教卓の所に立つ。


「みんな、ちょっとごめん! 聞いてほしいんだけど」


 実行委員会の理解と、こちらの想定に差があった。それがたまたま両隣のクラスの事情ともぶつかって、私たちが譲歩すれば丸く収まる。

 そんなことを委員会に頼まれたと、純水ちゃんは説明した。


 まるきりとまでではないけれど、ほとんど嘘の内容だ。

 どうしてそんなことを。

 正直に言えば、詩織さんと一緒に行って、すぐに交渉をするのかと思っていた。こちらに非はないのだから、正々堂々と話をつけるのが純水ちゃんの流儀だと。


「ちょっと調整が難しくてさ、てんでに話すと拗れるかもだから、あたしが任せてもらってもいいかな。みんなで楽しく文化祭やりたいでしょ」

「いいよー」

「悪いけど頼むね」


 気楽な感じで答える人。手を合わせて、ごめんねと労ってくれる人。反応はそれぞれでも、誰も純水ちゃんを疑っていない。


 難しそうな問題だけれど、純水ちゃんなら解決してくれるだろう。まさかその問題そのものが取り繕った嘘だなんて、考えもしていない。

 ありがとーと答える純水ちゃん。そこへすぐに、祥子ちゃんがやって来た。


「あーちゃん、どうしたの? うちはなにをすればいい?」

「あ、えと、祥子ちゃん。今のはね」

「分かってるよ、コトちゃん」


 口元に手が当てられて、内緒話の格好をしている。膝を曲げると、「今のは全部嘘で、なにか無理難題をふっかけられたんでしょ」と、祥子ちゃんはぴたり当ててきた。


「どうして──」

「まあ、ここで話すのも難しいから。ジュースでも買いに行こうか」

「おとわー、はやせー、ちょっと作戦会議ー」


 企画したチームを呼び集めて、私たちは食堂近くにある自動販売機に向かった。

 道々で話すつもりだったのだと思うけれど、どこの通路も食堂前も、誰も居ない場所というのが見当たらない。

 じゃあ例の場所だねと言ったのは、祥子ちゃんだ。それはもちろん、屋上のこと。


「……なんだそれ」

「よく怒鳴り込まなかったな」


 話を聞いた男の子二人は、揃って呆れた顔をした。早瀬くんは眉をひそめて委員会を非難して、音羽くんは純水ちゃんに敬意を表す。


「あーちゃんは、そんなに怒りんぼじゃないよ」

「あ、いや。そうじゃなくて、やっぱりおかしいって思うからさ──うん、でもそうだな。そんなことは思ってないよ、悪い」

「やだなー、悪くないよ。分かってるならいいんだよー」


 あははっと笑う祥子ちゃんは、ずっと純水ちゃんの背中に手を当てている。腕組みをして、考えながら話している純水ちゃんを支えるように。


「いやそんな、怒鳴りはしないけどさ。文句を言いに行こうとは思ったんだよ」


 返事という風でもなく、ぽつりと言った。純水ちゃんの目は、音羽くんにも早瀬くんにも向いていなくて、少し遠くの床を見ている。


「でもそうしたらさ、ミスを隠そうとした誰かは困るわけじゃん?」

「隠そうとするのが悪いんだから、それは仕方ないよ」

「うん、そうなんだよ。でも、さっきも言ったけど、みんなで楽しく文化祭やりたいって思うの」


 そのみんなとは、クラスだけじゃなくて委員会や学校のみんなということだろう。

 それはとてもいいことだと思うけれど、反面とても難しい。


「みんなって。これだけの人数が、みんな思う通りにはならないだろ」

「その通りだと思うよ。でもさ、その理由を作るのが、あたしとかあたしのクラスである必要はないよね」

「ああ……」


 問うた早瀬くんは、思いもよらない、でも納得出来る答えに遭って言葉を失ったのだろう。小さく頷いて、次を言わなかった。


「夏目先生とかがさ、そうしろって言ったんなら怒ったと思う。でも今回は、たかが一つか二つ上の先輩たちなんだよ。勘弁してやろうって思ってね」

「すごいね、純水ちゃん」


 純水ちゃんが、大人に敵意を持っているのは変わらないみたい。

 それでも今言ったことは、とてもすごい。楽しくないと誰も思わないように、委員会の人たちも、私たちのクラスのみんなも。

 そうするには、両方の言い分を叶えなければ。私ならどうしただろう。出来るはずがないと、諦めていただろうか。


「すごくないよ。あたしがこう思えたのは、コトのおかげなんだから。コトだったら、みんなが嬉しい方法を考える。コトだったら、誰も置き去りにしない。そう思ったんだよ」

「え、ええ? 私?」

「あたしがコトと違うのは、あたし自身も楽しんでみせる。だからコトも、これからはそうするんだよ」

「ええと? う、うん。分かったよ」


 分かったと言いつつ、ちょっと疑問形みたいな言い方になった。突然に話がこちらを向いて、理解が追いつかなかった。


「だからここに居る四人は、ちょっと大変かもだけど、手伝ってほしい」

「もちろんだよー」

「うん、頑張るよ!」

「俺はなにすればいい?」


 それぞれがすぐに返事をする中、音羽くんの声だけが聞こえなかった。


「音羽くん?」

「──あ、ああ。ごめん。手伝う手伝う」


 どうしたんだろう、疲れているのかな。ぼうっとしていたようだけれど。

 でももういつも通りみたいだから、平気かな?


「ありがと。じゃあ、早瀬は道具係の進捗と買い出しの管理。基本的に全部任せちゃうけど、いいかな」

「任せろ」

「音羽は、芝居の段取りね。芝居の内容はコトが見るから、運営のほうの管理」

「分かった」


 うん、今度はちゃんと話している。さっきはたまたま気が逸れちゃっただけだね、きっと。


「でもそれだと、委員会はどうするの?」

「いやー。まだなんにも考えてないから、思いついたら相談するよ」

「そっか。さっきの今だものね」


 祥子ちゃんとアイデアを出し合ってみると、二人は屋上に残った。私たちはいつまでも作業を抜けられないので、教室に戻る。


「早瀬くん。詩織さんから連絡があったら、教えてね」

「もちろんだ。でも織紙にだったら、音羽に連絡が──音羽!」


 早瀬くんの叫び声に従って、私も視線を前に戻した。数歩先を歩いていた音羽くんの背中が見えた一瞬のあと、姿が消える。


「音羽くん⁉」


 階段の際まで駆け寄ると、すぐ下の踊り場まで転げ落ちた音羽くんの、倒れている姿が見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る