第94話:音羽優人の殉情主情(第六部 終)
ああ。
ああ……。
やっちまった。
どうも父さんに乗せられたと言いわけしたいけれども、そうしたところでなにも変わらない。
いや、いいんだ。結果は。
織紙は東京に行かなくてよくなったし、もう一人の誰かも全く問題なかった。
しかし俺の家も人のことは言えないけれど、あいつの家も色々あるよな。あれであの性格って、どうやったらそうなるんだ。
最初は俺の怪我と、俺の家のことで悩ませた。
もう全然痛くもなんともないし、男が骨折するのって武勇伝みたいなところもあるし、気にしなくていいって言っているのに。あいつはまだ、心配そうな目を俺の脚に向けてくる。
口に出せば、俺は「気にしないでいい」と繰り返すことになって、それがまた俺に気を遣わせていると織紙は考えているらしい。
家のことなんて大したことないとは言わないけれど、父さんが自分の焦りを織紙にぶつけただけという面はある。それがなにを間違ったか、小学生のお小遣い程度の、まさにお小遣いだけをもらって店を手伝ってくれている。
俺が反対の立場だったら、出来るだろうか。
前に織紙は俺と同じ気持ちと言ってくれたけれど、どうやらそれは別のなにかだったみたいだ。だから織紙は、俺と違っ――織紙は、特に俺のことをなんとも思っていない。友だちくらいには、考えてくれているだろうけど。
それで店を手伝う?
ちょっと難しい気がする。
野々宮と天海のことだって、普通のやつは、落ち着くまで傍観するものなんじゃないのか。恋愛に限らず、そうしたほうがうまくいくことも多いと思う。
いやもちろん、織紙の言った気持ちは分かる。それはあいつらしくて、俺もうっかり当事者くらいの気持ちにまでなった。
でもそんな俺の勘違いと、進んで関わっていったあいつの気持ちは、全然違うものだ。
織紙の婆ちゃんの時は、相当だった。
腰を抜かすほど怖がっていたけど、それが大袈裟とは思わない。俺はあくまで隣に居ただけで、自分がその立場だったら、部屋から出てこれなかったんじゃないかとも思う。
それでもあいつは学校に行ったし、店も手伝いに来てくれた。あの義務感だか責任感だか、やらなきゃって気持ちはどこから来るんだ?
あんなとてつもない気持ちなんて、俺の中にはどこを探してもない。
それが蓋を開けてみれば、またいきなり東京へ引っ越せなんていう、突然な話だった。俺がそんなことを言われたら、出来るとか出来ないとかはまず置いて、ふざけんなって考えるだろう。
別に俺がこの辺りの有力者で、居なくなると迷惑をかけるとかは全くない。それでも俺なりに、離れたくない理由はある。大人の事情に比べれば、気持ちの問題に過ぎないだろうけれど。
だからって「まあいいや」で済ませられないし、済ませられたくない。
それを織紙は――あいつ、なに考えてるんだ?
お兄さんの仕事を続けさせるのを、条件にするって。交渉相手は、同じ高校生とかじゃないのに。
それに、それで自分はいいのか。お兄さんは、お兄さんなんだぞ? お兄さんは、織紙自身じゃないんだぞ? 野々宮たちがあれだけ言っても、そこだけは譲らなかった。
あいつは――あんなに人のためにばかり気持ちを使って、大丈夫なのか?
樋本という、あいつの幼馴染の母親。
あの人も、同情してしまう境遇だ。だからって、よその店の前をずっとウロウロしたり、同じくこっそり待ち構えてるのはどうかと思うが。
でもまあ抱えた気持ちの大きさと、抱え続けた時間を考えると、無理もないのかとも思う。行方不明くらいに思ってた相手の居場所が、いきなり分かったんだから。
その幼馴染のことを、聞いてみようとした。
でも、香奈というらしいその子の名前を出した途端に、織紙の顔は曇ってしまった。もう亡くなってるからとか、そういうことではなかった気がする。
咄嗟にそう判断して、「残念だったな」とだけ言って、ごまかした。
実は嫌いだった、とかだろうか。それにしては、お揃いだっていうぬいぐるみを、大事そうに持って帰った。
たぶん、好きとか嫌いとかでは説明のつかない、なにかがあるんだろう。俺にはもう、全くさっぱり見当もつかない。
つまり織紙は、俺なんて到底及ばない、すごいやつなんだ。
あんなやつ。
あんな、本当に女神みたいなやつ。俺が好きだとか言ってちゃ、いけないんじゃないのか?
それを俺はお互いの夢とか語ったりして、あの時間を叩き壊したくなってしまう。
父さんに、でかいことを言ってしまった。
勢いというか、どうにかしなきゃと思って考えているうちに、大事な女なんて言ってしまった。偉そうに。
結局俺って、あれこれあった中で、直接にはなにもしてないんだよな。天海なんて、お兄さんの仕事まで段取ったっていうのに。
――また学校で顔を合わせるのか。そのあとは店にも来るな。
俺、どういう顔をしていればいいんだ? その時その時の思ったまま、感じたまま動いてた過去の自分が憎くてたまらない。
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