第86話:おやこのはなし

 さて、と。一言を発した司さんに、みんなの視線が集まる。

 彼女自身の目はまだ、お婆ちゃんが去った扉に向けられていて、開かれたままの口からはなにも聞こえてこない。


 まばたきを何度か。そのあとに視線が私を向いて、お兄ちゃんにも向けられて、閉じる。

 意を決するように、ふうっと強く息が吐かれて、また目が開いた。


「お婆さまは、後悔されていました」

「後悔?」


 問い返した私に、司さんの視線は一瞬向いた。けれども答えないままに、それはテーブル上に落とされる。


「すみません。少々これから、独り言をしたいと思います。お聞き苦しいようであれば、耳を塞いでいただければ」


 正規に伝えたのではないとしたいのか、だから質問を許さないということなのか。

 分からないけれど、独り言であればそれさえも質問出来ない。

 誰もそこに異を唱えず、司さんは聞こえるかどうかの声で、「ありがとう」と呟いた。


「文乃さんが失踪されたあと、須能言葉はさしたる捜索を行いませんでした。

 好いた方と二人とは言え、大して持たずに帰ってくると考えていたのが一つ。そうは言っても自分の娘だから、多少のことはうまくやるだろうと信頼していたのが一つです。

 この二つは相反していますが、『人の親っていうのは、そういうものなんだよ』だそうです。言ったのも、言葉自身ですが。


 良かったのか悪かったのか、後者が現実となりました。数ヶ月が過ぎ、数年が過ぎ。連絡の一つくらいはあるだろうと考えていましたが、ありませんでした。

 そうなると、もうどうしようもありません。精神的な負担が大きかったのでしょう。既に引き継いでいた社長職に支障をきたすほど、一時は体調を崩しました。

 しかしもしもの時に、自身の居場所も不明では困るだろうと、そう思い立たれて回復されました。


 残念ながら、そのままお二人が再会することはありませんでした。交通事故によって、文乃さんとその夫、鉄人てつとさんが亡くなられたからです。

 こちらではそれなりに報道されたようですが、東京の報道には載りませんでした。

 しかし言葉は、主要な地方紙の全てに目を通しておりましたので、その記事を発見することが出来ました。


 すぐにこちらの関連企業の方を頼み、大学生になっていた綴葉さんと、まだ五歳の言乃さんを見つけ出しました。

 言葉は自ら出向いて、お二人を東京に連れ帰ろうとしました。しかしそれは、綴葉さんに断られます。

 無理もありません。言葉は『勝手に死んだ文乃や鉄人など、どうでもいい。お前たちに罪はないから、面倒をみてやる』と、怒りに任せて言ってしまったのですから」


 そこまでが、話したい一つのまとまりだったのだろうか。司さんはお茶を飲んで、私たち全員の顔を眺める。

 まさかお話に飽きたりはしないけれど、そんなことはどうでもいいと考える人が居ても、おかしくはないと思う。そうであれば、司さんは続きを話さなかったのかもしれない。


「その怒りが──どこに向けられたものなのか。それは私にも分かりません。

 一つ確かなのは、そう言ってしまったことを言葉は後悔し続けています。そのせいでお二人と暮らせなくなったからというのはもちろん、文乃さんを余計に傷付けてしまったと。

 私の前任者が、『これで文乃は、本当にあたしのところへは帰って来なくなった』と聞いております。


 そのようなあれこれが、今回の件で言葉の行動の理由となりました。

 お二人のことは、綴葉さんに仕事を与えることで様子を伺っていました。こちらに居る協力者にも、それとなく頼んでおりました。

 しかし休刊が決定し、綴葉さんへの執筆依頼も予定されないことが事実となって、言葉は対策を講じなければなりません。

 まだ高校生の言乃さんへは、特にです。


 感情が先行したために、言葉は二度の失敗をしています。ですからまずは情報を得ねばと図ったのが、一連の行動というわけです」


 みんな、なにも語らなかった。

 意地悪でとか、ただ自分のいいようにしようとしていたのではないと分かったから。

 娘である私のお母さんを案じ続けて、会ったこともない私たちを思い続けてくれていた。


「本当に、申しわけありません。言葉は極度に失敗を恐れていました。言乃さんにまで拒絶されてはと。

 その不安を解消する一助になればと、調査計画を立てたのは私です。言葉に命じられた以上に、少しでも情報を得ようとしました」


 椅子から立って、司さんは深く頭を下げる。こうまで互いを庇われると、もうどちらが真実を言っているのか分からない。

 でも、それはもう良かった。

 感情を理解しない非道の人でないのはよく分かったし、こちらに向けられた意図が悪意でないのも理解出来た。

 それでも強いて知りたいことがあるとすれば、一つだけだ。


「あの、さっき純水ちゃんも言ってましたけど。もうみんな分かっていると思います。だからそんなこと、しないでください」


 私も立とうとすると、純水ちゃんが腕をつかんでさせなかった。どうしたのか目を向けても、首を横に振るばかりで答えはない。

 仕方なく座ったまま、聞き入れて座ってくれる司さんを待つ。


「一つだけ分からないんですけど、どうしてそんなに前のことを、見てきたように知ってるんですか?」

「それは知っていて当然です。私の前任者というのは、私の母ですから」


 二代に渡って、お婆ちゃんのお世話をしてくれている親子。もしかするとお婆ちゃんからは、司さんもまた娘か孫に見えているのかもしれない。

 そう感じた。

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