第80話:せいかく

「お兄さんが仕事を出来ないようにしてさ。それからコトをいいようにしようなんて、汚いよ」

「あ、純水ちゃん」

「そこまでしておいて、そのうえ監視もして。コトをなんだと思ってるの。かと思えばそっちは代理ってなに。どうかしてるんじゃないの」


 純水ちゃんが怒っている。音羽くんに向けてそうしたのとは違って、静かに、冷静に。

 語気は強くて、少し早口だ。でも感情は抑えられている。怒っているとは分かっても、どこがどうと言えるほどには表に見えない。


「いやそれは──」

「いいよ、司。もう分かった」


 答えようとした司さんを、スマホ越しにお婆ちゃんが遮った。

 その瞬間に、司さんは口を閉ざす。絶対服従と言うのか、その言葉自体が司さんの電源スイッチだったみたいに。


「そちらは、野々宮さんだったかねえ。色々と気に入らないようだ」

「当たり前でしょ。初対面の孫を引き取ろうって人が、姿も見せないなんて。それより大切な用ってなに? 国家の存亡とか? あたしなら、それでもコトを選ぶけどね」


 司さんもそうだったけれど、来てくれたみんなが誰なのか把握しているらしい。やはりそれくらいのことは、基本の情報として調べてあるようだ。

 夜道で腰をぬかした時の、得体のしれない物への恐怖。それが思い出されて、気持ち悪い。


「耳が痛いねえ。それならどうだろう。例えばあたしがそこへ行けば、少しは機嫌を直してくれるのかい?」

「あたしの機嫌がどうこうなんて──それが最低限だって言ってるの」


 なにが面白かったのか。お婆ちゃんはそこで、ふふっと短く笑う。 

 おかしくてたまらないとかいう感じはなくて、あえて示した感情にも思える。

 そこから次になにを言うのか、純水ちゃん以下、私たちは待った。けれどもスマホは黙したまま、司さんも姿勢を正したままだ。


 怒るとか呆れるとか、言葉を失う場面は様々あるだろう。でも今は、そんな状況になかったはず。

 まさかあちらで、なにかあったのだろうか。私の考えがそんな可能性にも及びかけたころ、また事態は変わったのだと告げたのはノックの音だった。


 ついさっき、みんなが来てくれた時にも鳴らされたノック。それを録音でもしておいて、再生したかのようにそっくりだった。


「どうぞ」


 ノックをした人そのものは、たぶん司さんの同僚とかそういう人なのだろう。問題は、誰のためにノックしたのかということ。

 それを考える前に、やはり先ほどとそっくり同じに扉が開けられる。


 そこには、和服姿の女性が立っていた。

 お歳は──六十とか、それ以上。白髪だったり、顔にいくらかしわが目立ったりするけれど、くたびれた感じはしない。

 写真で見るのとは、多少ながら印象が違う。でも間違いなく、私のお婆ちゃんだ。


「どれ。あたしの席は残ってるかねえ」

「こちらへどうぞ」


 扉を開けた人も、司さんも、深くお辞儀をしていた。お婆ちゃんの言葉で姿勢は直されて、扉が閉められた。

 座ったまま見上げる私たちの視線には構わず、お婆ちゃんは歩く。勧められた椅子に座ると、司さんも元の椅子に座った。


「こちらが言乃さんの祖母、須能言葉です」

「よろしく。あなたたちの名前は知っているから、自己紹介は結構だよ」


 スマホ越しに話して、映像も送っていると言っていた。だからどこか遠くに、きっと東京に居るのだろうと思っていた。

 たぶんみんな、同じなはず。証拠に、少なからず驚いて誰からも言葉が出ない。


「おやおや。せっかく要望に答えたのに、なにも反応がないのかい。寂しいことだね」

「──ここには来てないって。用があるからって」

「言いましたね。ここには来ていませんでしたでしょう。別室で見る、という用がありましたから」


 そんな。

 確かにそう言われれば、嘘ではないけれど。そう思うように仕向けたのは明白だ。

 そんなことをしてなんの意味があるのか、私にはさっぱり想像もつかない。


「もしかして、からかってるの? 大の大人が、そんなことはないと思うけどさ。そうなのかなって思っちゃうよ」

「あの、失礼ながら。私もこれは、ひどいと思います。織紙さんは真剣に悩んで、きっと相当の覚悟をしてここに来ています。この子たちだって……。

 それを嘲笑うような行為は、部外者である私でさえ許せなく思います。ご説明はいただけるのでしょうか」


 押さえつけていた怒りが、顔の端々から迸りそうな純水ちゃん。

 きっ、と。厳しい目で、司さんとお婆ちゃんを見据える与謝野先生。

 また私は目の前のことを当たり前と受け止めてしまって、分からない自分がおかしいくらいに思っていた。


 ダメだな──。やっぱり私は、一人じゃなにも出来ないんだ。

 思いを寄せてくれること。庇ってくれること。すごく暖かな気持ちに晒されながら、臍を噛む気持ちに冒されていく。

 ひざの上で、両手を拳に握りしめた。

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