第79話:いけん

 高い年齢を感じさせる、枯れた声。だからといって、弱々しくはない。むしろ辺りを漂う空気さえも律するような、強い意志を感じる声。


「お婆ちゃん──?」


 司さんはスマホに向かって話した。それならば、私が話しても聞こえるはず。

 でも返事はない。


「そうです。実はこの部屋の映像を、送らせていただいています」

「盗撮? 趣味わる」

「返す言葉もありません」


 手厳しい純水ちゃんの言葉。ずっと年下に言われても、司さんに怒ったりした様子はない。


「とりあえず──座ってはいかがでしょう。信用に欠けるとは思いますが、強硬にことを進めるつもりはありませんので」


 確かにみんな、立ったまま話していた。その中で私だけが座っていて、私に抱きついている祥子ちゃんも、立ってはいないけれども。


 部屋の隅に立てかけられていたパイプ椅子を出して、私の両隣には純水ちゃんと祥子ちゃんが座った。音羽くんと先生は、並んで壁際に。

 司さんは私に見せた写真を、みんなにも見せて説明する。


「ああ、いいところね。部屋は広いし、立派な庭まであるし、遊びに行くのも便利が良さそう」


 褒め言葉を並べる純水ちゃん。その顔は苦み走って、彼女の嫌いな虫の写真でも眺めているようだった。


「なにか不足があるようですね」

「当然よ。ここには、あたしたちが居ない。関わるなって言われても、こんなところにまで押しかける、おせっかいがね」


 そんな言葉を、私は言っていない。でも純水ちゃんには、そう聞こえたんだ。

 私がどうしたいのか言えば、その通りになるように助けてくれると言った。私はそれを断った。

 そこまで聞いて、言われて、でもやはり必要ないと言った。


「なるほど。ですがいつでも遊びにいらして結構ですよ。仰るように、こちらよりも楽しいところは多いと思いますし」

「遠すぎるってのよ。ここから何キロあると思ってるの? 新幹線に乗ったって、五時間くらいかかるのよ。そんなの、年に一度だって行けるかどうか」


 確かに。と、司さんは人ごとのように言う。いま問われているのは司さんで、さっきの言い分を信じるならば、みんなも説得するつもりだろうに。


「私にも友人は居ます。高校生のころからや、もっと前からの友人も。会える頻度は──数年に一度でしょうか。それでも私には大切な友人です」

「それはもう、出来上がった関係の人たちでしょ。出会った最初のころに引き離されて、それでも仲良しだって言える人が居る?」


 笑みを残したまま、困りましたねという風に。「そうですね……」と歯切れの悪い返事があった。

 対処に迷う司さんを見ていて、ふと思う。

 どうしてお兄ちゃんのことを、材料にしないのだろう。


 お兄ちゃんは、このまま行けば収入がなくなる。そうなったら高校生を養うなんて、出来るはずはないから引き取る。

 とても分かりやすくて、筋としてなにも間違っていない。

 これにまたどんな反応があるかは分からないけれど、行った先の待遇がどうこうというよりも、よほど説得力があるはずなのに。


「言乃さんの編入先は、もう決定しています。試験を受けてはいただきますが、言乃さんの成績ならば心配はないでしょう。

 新しい土地、新しい生活に、不便はあると思います。ですがそうならないよう、私どもがバックアップをします」


 私の生活がどんなものになるのか、司さんは丁寧に説明してくれた。

 ある程度の目標を掲げて学力を上げる必要はあるけれど、がんじがらめではないらしい。

 今のクラスにも習い事をしている人は居ると思うけれど、たぶんそれと同じくらいだ。


 自宅には炊事洗濯をしてくれる人が居て、それを習うことも出来る。栄養管理だって行き届いている。お小遣いも高校生なりの、普通の額をくれる。

 普通の高校生という定義がどこかにあるなら、きっとそれを踏襲したのだろうという内容。


「だから。そこにはあたしたちの入る隙間がないって言ってるの」


 説明をじっくり聞いていた純水ちゃんは、あらためてそう言い切った。

 もしも。絶対にそんなことを思いもしないけれど、もしも私が。純水ちゃんたちなんか必要ないと言ったら。

 私が逆の立場なら、きっと考えるだろう可能性を、彼女は微塵も感じていないみたい。


「祥子、言いたいことあるんでしょ。今だよ。さっきみたいなでっかい声でなくても聞こえるから、その分いっぱい言いなよ」


 表の道路からは、反対側にあるこの部屋。そこでも聞こえたくらいだから、よほど大きな声だったのだろう。

 そんな叫びをあげたのは誰なのかと思っていたら──どうやら祥子ちゃんらしい。


 その祥子ちゃんは、私の腕を抱えて隣に座っている。頬を膨らませて、可愛いという印象しかないけれど、どうやら怒っているらしい。


「うち、コトちゃんがそうしたいって言うなら、それがいいのかなって思ったよ。

 でも違うじゃん。絶対、違うじゃん。そっちがその気なら、うちにだって奥の手があるんだからね」

「あ、いえ──その気と言われましても。先ほど純水さんが仰ったように、誘拐しようとか、強硬な手段に訴えるつもりはありません。どうかご安心を」


 またちょっと突っ走り気味な祥子ちゃんにも、司さんは丁寧に答えた。

 そのついでと言っては悪いけれど、流れというのか、壁際の二人にも話が向けられる。


「そちらのお二人からもなにか?」

「……私はまだ、織紙さんの意見を聞いていませんし。そちらさまのお話も、全て終わったのではないのでしょう?」


 先生は大人らしく慎重に、立場を軽々には明らかにしない。

 すると視線は、残る音羽くんに向く。彼もそうと察して、「俺は……」と口を開いた。


「俺は織紙さんの役に立てるとか、必要だとか、自信を持っては言えなくて──」


 音羽くんの視線は、斜め下の床に向けられている。

 言うべきことを、そこに浮かべているのだろうか。真剣な目で、じっと考えて。少しの沈黙のあと、彼は立ち上がった。

 なにか決まった目は司さんに向けられて、彼女も正面からそれを受け止める。


「織紙は、いつも頑張ってます。自分がこうすればあいつが喜ぶ、あいつが助かるって。

 でもずっと前から、そう出来てたわけじゃないんです。

 ここに居る野々宮と天海が、織紙を変えた。織紙も二人を変えた。

 だからこの三人は、一緒に居なきゃいけないんです」


 そこで一度、言葉が途切れた。緊張で喉が乾くのか、音羽くんは唾を飲み込む。


「気が付きませんで、すみません。お茶を持ってこさせましょう」


 それで話が途切れると思った。でも音羽くんは、座らない。緊張でか上がりかけた息を静かに整えて、また話し出す。


「ありがとうございます。でもあと少し。

 ──俺は三人が羨ましかった。出会って何年も経ったわけじゃないのに、分かり合おうとしていて、分かり合ってて。

 それでそばに居たら、いつの間にか俺もそうなってた。

 女同士じゃ怖いことだってある。そうなったら、俺が守ってあげられればいいなと思った。

 そんな風に思わせてくれる、不思議なやつなんだ」

「なるほど──それで、つまり?」

「つまり……俺も、織紙に居なくなられたら困ります」


 恥ずかしくて、顔が熱くてたまらない。今度は私が、床を見ていないとすまなくなった。

 視界の端で、音羽くんが椅子に座ったのが見える。疲れたように、ちょっと乱暴な座り方だった。


 こんなに褒められては、このあとみんなにどんな顔をすればいいのか分からない。

 私はいつも、その時思いついたことをやってしまっているだけなのに。それが本当に正しいのか、深く考えもせずに。考えたところで、答えも出せずに。


「ていうか、さ。強硬な手段は使わないって。使ってるよね」

「と仰いますと?」

「とぼけないでよ。コトのお兄さんのことだよ」


 前触れもなく、核心に触れたのは純水ちゃんだ。

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